山下敏明さんのあんな本、こんな本

第063回 プラントハンターの目から逃れたハスカップ

`94.12.21寄稿

大学を出たばかりの元美チャンに連れられた行った札幌は創成川近くのスナックで,マダム自家製という「ハスカップ酒》を味わったのは、もう20年も昔のことです。ハスカップは初めてで,当時では珍しいものでした。今では,室蘭から国道36号線を札幌に向かって,苫小牧に近付くあたりにある「三星」のパン屋でも、ハスカップ入りのケーキやら,ジャムやらを買えますし,デパートや空港には,ハスカップを生かした土産物が,ワンサと並んでいますから,ハスカップは今や,ありふれたものです。

と思ったところ、 梅谷献二/梶浦一郎の「果物はどうして創らされたか1 」を読んでいて,大いに驚きました。と言うのは『開発が進んだ狭い日本には、「忘れられた果物」はないと思われがちですが、ごく最近になってから栽培化された果物があります。十数年前、つくば研究学園都市で開催された果樹の会議の際,北海道の担当者から「ハスカップ」という果物のジャムが紹介され,日本にも「忘れられた果物」があったことにみんな驚きました』とあったからです。この文章は更に『〜北海道ではアイヌの人が「ハスカップ」と呼んで古くから食用にしていました。昭和50年代迄は、まだ森の中で採取する果物」でした。やがて,苫小牧の開発が進んで,原野が工業団地に変わるとき,周辺の農家の人達が,この木の失われるのを惜しんで,野生株を畑に移植したことから栽培植物のなかまいりをしました。〜現在では栽培面積が160ヘクタール程になっています。この事実を、国の研究者が知らなかったのも恥ずかしいことですが、〜』

と続きます。ハスカップ(和名クロミノウグイスカグラ)は日本国内では未知の果物であったのか!!を初めて知って,私も恥じ入りました。

更科源蔵/更科光の「コタン生物記12 」(法政大学出版局)をみると、「和名が長たらしいので,北海道ではアイヌ語の訛であるハスカップとか,エノミダニなどと言う名で呼んでいる所もある。湿原帯に多い忍冬科の灌木で夏になると、枝の先に子供の指先程の濃紫色の漿果をつけて〜」

とあります。そこでアイヌ人言語学者の知里真志保著「分類アイヌ語辞典」(平凡社)をみると、

『(1)「( e-ni-mi-tan-ne)「エぬミタンネ」〔e (頭) numi (の粒)tamine(長い)〕漿果〜和人はそれを訛って

エノミダニという。

(2)「(ha`-s-kap)「はシカップ」〔has(枝條)ka(の上)O(に沢山なる)P(もの)〕漿果(しょうか=果実)』(カタカナ、ひらがな表記は現文のまま)と出ています。成程成程。

ハスカップは一応これで奥として,この本でもう一つ驚いた箇所があります。それは、『〜昭和53年(1978)その2年後の2回にわたってアメリカ農務省のプラントハンターが日本に来て〜〜彼は2回とも北海道を訪問していますが、どういう訳かハスカップは“目こぼし”されています。もし、3.4年後に来ていたらおそらく千歳空港でこれ(ハスカップジャム)を見つけ,フライトをキャンセルして,勇躍して勇払(ゆうふつ)原野(工業団地に変わった原野)に出かけたことでしょう。〜ハスカップが長い歴史の中で,目の肥えた外国のプラントハンターの目を逃れて来たことだけは,間違いなく「奇跡」と言えるでしょう』

と言うくだりです。おやや!!プラントハンターなるものは、只今,現在でも現役として存在しているのか?と言うのが私の驚きです。

「プラントハンター3 」とは珍しい植物や有用な植物を求めて,世界の奥地や秘境へ採した「植物採集家」のことです。

プラントハンターハ18.19世紀の現象と思っていました私は,この記述には面食らいました。

と言う訳で。この果物はどうして創られたのか」はお昼の弁当のあと必ず果物を食べる果物好きの私には滋味あふれる面白さに満ちた本で、実にSweet(快い、新鮮な)ものでした。

さて,貴方は「キウイ」とたら「ニュージーランド」と思っていませんか?キウイは実は揚子江沿岸のもので,現地では、「弥候桃」(ミホウタオ)と言われるものの由。これを見つけて欧米に紹介したのが,1860年我が国にも来た,ロバートフォーチュンです。

この英国園芸協会の有名なプラントハンターを含めて、未知の植物の発見に賭ける,彼らの世界を股にした情熱的な行動の数々を描いたのが,白幡洋三朗の「プラントハンター」ですこれが又、「アレレ、アレレ」と面白い。同書は今年、第48回毎日出版文化賞の奨励賞を受けました。

つけたり①

「焼芋」のことを「十三里」と言います。これは栗(=くり=九里)より四里うまい」と言うシャレだと我々は常識的に知ってます。「果物はどうして創られたのか」のクリの所にも、この足し算的語呂合わせが出て来ます。

ところが、斉藤貞夫著「川越舟運4 」-江戸と小江戸を結んで三百年-」(さきたま出版会)を読んでいたら”川越“と言えば”さつまいも”いも”と言えば“川越“と言われる程の名物いもを、藩主の松平大和守直恒(まつだいらやまとのかみなおつね)が、徳川十一代将軍の家斎に献上したところ、城中で「川越いもは美味じゃ」と賞賛してくれたため江戸市民に川越いもが一層広まったと言う話の紹介のあとに、「菓子も少ない時なので、独特の美味しさから江戸市中に多くの焼芋屋が現れた。お江戸日本橋から川越迄、十三里(約52キロ)あるので「九里(栗)より(四里)うまい十三里半」と川越迄の距離を詠み込んだ名宣伝もてつだって〜」なる文章が出ています。これはおどろき!!「十三里」は甚だ実証的な数字だった訳です。

つけたり②

知里真志保によると、かって室蘭線「沼の端」駅でハスカップ飴やハスカップ羊羹の呼び売りをしていた由。今はどうなっているのでしょうかね??



  1. 梅谷献二/梶浦一郎.果物はどうして創らされたか.筑摩書房(1994) []
  2. 更科源蔵/更科光.コタン生物記1.法政大学出版局; 〔新装版〕版 (1992) []
  3. 白幡洋三郎.プラントハンター.講談社(1994) []
  4. 斉藤貞夫. 川越舟運.さきたま出版会(1982) []

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