山下敏明さんのあんな本、こんな本

第064回 渡辺一夫と大江健三郎

`95.1月12日寄稿

東大の正面前に、「落第横丁」と呼ばれる通りがありますが、昔、そこを友達と歩いていた時、長身の紳士とすれ違いました。私が思わず、「あっ、渡辺一夫だ」と声を出すと、その人は立ち止まって振り向きましたが、私が、黙って顔を見たままなので、にっこりとして立ち去りました。
私はその頃、本郷の西方町に下宿していて、晩ご飯をいつも。東大農学部前のそば屋「増田屋」で取っていましたが或る時、向こうむきに背を丸めてソバを食べている人を見て、「あっ渡辺一夫だ」と心中つぶやいたことがあります。

「フーン、渡辺一夫に会ったからとて何をそんなに興奮しているの?それに、渡辺一夫って一体、誰?」とおっしゃるのですか?

渡辺一夫とは、1975年5月10日に、73才で死去した、我が国フランス文学界の代表的な存在でした。多くの業績の中でも、とりわけ偉業の名に値するのは、16世紀フランスの大作家フランソワ・ラブレーの大作「ガルガンチュワとパンタヴリュエル」全5巻(岩波文庫)の翻訳です。

私は、高校2年の時に、この人の「蟻の歌1 」と題する随筆集を読み、その説く所の「ユマニスム」(=ヒューマニズム=人道主義,人文主義))に魅かれて以来、今に至る迄、この人の本を殆ど読んで来ました。

まあ、言うなれば私淑(ししゅく=尊敬する人に直接には教えを受けられないが、その人を模範として慕い。学ぶこと)して来た、と言ってもよい位なものです。ですから、先程話した、大学時代に渡辺一夫を見かけた際の気持ちの高ぶりも、若い読者としての「あこがれ」と言った気持ちのなせる「わざ」だったのです。

私淑して来たと言っても私はこの程度ですが、もっとすごいのが、大江健三郎です。大江はその著、「日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む2 」(岩波書店)の中で語ってます。

「〜僕は高等学校の2年生の時に、この先生に習おうと思って、受験勉強を始め、浪人したあげくやっと大学に入学して、そして、3年生になって本郷に来て、先生の初めての講義がある。それで、まず、もう自分の人生の目的に達したと言う、気持ちをまず持つたように思うのです。」

どうですか?この熱烈な「あこがれ」「あっ、渡辺一夫だ。」の比ではありません。どうして、大江は「この先生に習おうと思った」か??  大江は渡辺一夫の最初の授業の回想にからめて、その事を語ります。

「〜当の先生(渡辺一夫)の講義を聞こうと、緊張して待っていた学生達は、みんな渡辺一夫と言う学者の文章を、特に岩波新書の、今はもう絶版になっておりますが、「フランス・ルネサンス断章3 」によって16.7才の時に読み感銘を受けていたのです。〜先生の本を読む。それから先生に教わろうと発心する〜」大江は発心(ほっしん=発起する事)とまで言っています。これは、そもそも仏教の言葉ですから、決意の表明としても仲仲に強い言葉です。

さて、大江が感銘を受けた「フランス・ルネサンス断章」は大江の言う通り、今は絶版ですが、その決定版が「フランス・ルネサンスの人々4 」(白水社)です。(今は岩波文庫になってー92-¥670)

自分の主張を通す為に「キリスト」の名をかかげて、他者を圧迫し、あまつさえ、殺してしまう、ゆがんだ神学者たちに対して、ルネサンス時代の心或る人々は「それはキリストと何の関係があるのか」と問いかけましたが、その勇敢だった心或る人達の列伝を集めたのが本書です。...(あの大予言のノストラダムスに関する一章もありますよ。)

...と言うと、むずかしげな神学論争の本か?と思うかも知れませんが、さにあらず、実に面白くかつ、やさしい読み物なのです。(内緒ですが、大江の文章よりはずっとやさしく読めるとだけは、自信をもって言えます。)

大江はノーベル賞受賞講演で,自分の師、渡辺一夫に触れましたが,大江の本共々渡辺一夫の本ももっと読まれなければなあーと思います。あけまして、おめでとうございます。今年もよろしく御愛読の程を!


  1. 渡辺一夫.蟻の歌.創文社 (1953) []
  2. 大江健三郎.日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む.岩波書店(1984) []
  3. 渡辺一夫フランス・ルネサンス断章 .岩波新書(1950) []
  4. 渡辺一夫.フランス・ルネサンスの人々.白水社(1992) []

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