第106回 チャタレイ夫人の恋人日本語訳完全版

アンドレア、ハーシッグなる女性ジャーナリストがどんな人か私はしりませんが、彼女が或新聞にのせた「アンデイのわかったつもり?」を私は、全くもって同感の至り、、、という思いで読みました。それは、次のような文章です。

(下線は山下)、アンデイさん、引用を許して下さいね。「日本で映画が上映される時に入る、いわゆるボカシにはいつも参っているけど、最近聞いた話にも開いた口がふさがらなかった。なんと、あのD,H,ローレンス作”チャタレイ夫人の恋人”の日本語訳の完全版が、ようやく店頭に並ぶことになったっていうじゃないですか。お上の言い分では、この小説は公序良俗を乱すんだとか、でもねえいまどき電車に乗れば隣に座ってるサラリーマンは雑誌のヘアヌードを広げているし、郵便箱にはポルノビデオのチラシが投げ込まれている。こんなご時世なのに、”チャタレイ夫人の恋人”のページをめくり、ロレンスのたぐいまれなるイマジネーションに触れるのは、今まで、ご法度(はっと=禁止事項)だったってわけ。、、、中略、、、東京には現に、良俗を乱すようなキテレツなものがそこらじゅうにあふれかえっているのに、何が悲しくて政府はあの小説の翻訳出版許可に、40年も費やしたのだろうか、、、、、後略  」  もう一度、全くもって同感の至り!!

但し、この文章にはアンデイさんの違いが一つあります。二重下引いたところがそれです。

裁判所が出版を許可したのではないのです。読者から、何故いつまでも、この名作を読むことが出来ぬのか?とか、社会はもう大きく変化しているのではないか、とか、色々の理由やら、指摘が、重なりあって、新潮社が慎重な検討の後、新版、新訳の出版に踏み切ったのです。出版後、「何事も起こりませんようにと念じながら日々を送っていた、、、」と言う訳者、礼は 「何事も起こらずというその何事というのは、もちろん警視庁とか、その親類のような筋から電話とか特別送達の手紙が来るということがあって、、、中略、、昔の裁判の判決の呪縛はまだ完全に解けていないと思うからである。」と心情を語っています。話を整理します。

小山書店によって、全17巻の「ロレンス選集」の弟一回配本分として世に送られた「チャタレイ夫人の恋人」(上下)は不幸な運命をたどりました。というのは、1950年に、小山書店主、小山九二郎と、訳者、伊藤整は、共々、最高裁判所によって、起訴され刑法175条、ワイセツ文書頒布の罪を犯したとして1957年に罰金刑を科せられ、上下二冊の書物は、発売禁止となって、我々読者の前から姿を消したのです。

私は高校2年の時に、同級生の竹井から、竹井のお父さんが秘蔵していたものを借りて読み、更に大学生になってから、豊橋市の駅前の古本屋でこれを入手することができました。さて、旧訳者、伊藤整にかわって、新訳の筆をとったのは、整の息子で同じく英米文学者の伊藤礼でした。新訳は旧版にくらべて80頁、増加しているそ

うで、本文で旧版480頁だったのが、新版では560頁になったそうです。礼曰く、「旧版が削除版であることは承知していたが、これほどの削除が行われていたというのは、驚くべき発見だった」。と、「チャタレイ夫人」の「発禁」を皮切りとして、1969年にはサド原作の「悪徳の栄え」が、1972年には、文化勲章受章者である永井荷風の「四畳半襖の下張り」が「発禁」の憂き目をみました。しかし、ここにいたって時代の風の吹きようがすこし変わって来たようです。先ず「チャタレイ夫人の恋人」の復活、そして同じく昨年末、「悪徳の栄え」の復刊、更に知る人ぞ知るの形での

「四畳半〜」の復活(これについてはこの「あんな本〜」弟69回’95年、4月4日号で取り上げていますので、御参照を”)続きましたが、遂に「乱れ雲」が現れました。

江戸時代には「はこやの秘言」「あなおかし」「逸著聞集」の3冊が3大奇書と言われましたが、それになぞらえて、当世の3大好色伝奇書と言われるものがあります。それは、前記、荷風の「四畳半の襖の下張り」と伝小栗風葉「袖と袖」と、伝 佐藤紅録作(こうろく)の「乱れ雲」です。紅録はサトウハチロウー/佐藤愛子の父親です。無用な説明は省きます。先ずは読んでみるべし!

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