第113回 小熊秀雄

先週の日曜日、アメリカの写真家、メイプルソ−プの展覧会を観に旭川に行って来ました。メイプルソ−プのは ポ−トレ−ト、ヌ−ド、花、そして、同性愛や性的倒錯を写した人です。 メイプルソ−プのことは又の機会にして…。

会場の道立美術館は、「常磐公園の中にあり、公園の一角には、旭川にゆかりのある詩人、小熊秀雄の 文学碑 が建っています。因みに詩人はこの公園をこう詠っています。”常磐公園所見”「公園の築山にのぼって天下の形勢を見れば池の水ぬるみつつじ咲く 軍都にこの平穏ありボ−トの中の中善い男女 間もなく彼女は軍人を産むであろう.」昭13、6、5(旭川新聞)

軍都と言うのは、かつてこの地に「第7師団」なる日本の陸軍の一隊がいたことによります。

さて、「旭川文化団体協議会」は、30年にわたって「小熊秀雄賞」を出して来ましたが、その30回を記念して、小熊の「蹄鉄屋の歌」を合唱曲にしました。

小熊の詩とはかくの如し。

苦しみの歌だ。 焼けた蹄鉄を お前の生きた爪に 当てがった瞬間の煙りのようにも、

私の歌は   灰色に立ち上がる歌だ。 強くなってくれよ、 私の友よ、

青年よ、  私の赤を 君の四つ足は受け取れ、そして君は、 けわしい岩山を

その強い足をもって砕いてのぼれ、 トッテンカンの蹄鉄うち、 うたれえるもの、

うつもの、  お前と私は兄弟だ、 共に同じ現実の苦しみにある。

蹄鉄(蹄鉄)とは、馬の蹄(ひづめ)の下につけて、蹄の減を防ぐ∩型の鉄です。45年程前には、室蘭市の中央町(昔の浜町)にさえ、2軒の蹄鉄屋がありました。…が今では「蹄鉄屋」が既に死語と化しているのかも?…。

さて、小熊の詩も好きですが、私は彼の童話も好きです。小熊は、18篇の童話を残しましたが、その全てを集めたのが、寺田政明の画をつけた「ある手品師の話 」、晶文社、76刊 ¥1,200です。①1

この画家、寺田政明は「〜小熊秀雄のことを知りたいなら。」まず寺田政明を訪ねよと、十人が十人ともいった」…と言われた人で、1989年に亡くなった人です。

寺田は語ります。 「−小熊といつどこで知りあったかって? そんなことは本質の 問題じゃないんだ。〜昭和十年といえば、ぼくは二十三歳だ。 〜その中で小熊に会ったんだ。小熊はぼくより十一歳上だっ〜そしてたちまち通じ合うんだ。家もちかかった。ぼくの長屋から、路地をはいると小熊の長屋だ。それはもうひどい家だった。 しかし、ドストエフスキ−、トルストイ チエホフ、シェ−クスピア、プ−シキン、イプセン、ゲ−テ、バイロン、と 本でうずまっていたんだ。そこで詩の話、絵の話、芝居の話 そんな話ばっかりするんだ。嬉々としてだ。 人間嬉々としてなきゃ、発想は うまれんよ。〜」

こう語る寺田が、先述の「ある手品師の話」の中の一篇、「焼かれた魚」に付けた挿絵は、(その2)にあげたものなのですが、…実は私は、この原画を持っているのです。これはちょいと自慢の品なのです。

如何にして、この画を入手したか、と言う話は、又々、又の機会として…②2

3

私が、「ある手品師の話」の中で一番好きなのが「焼かれた魚」なのです。この話は、切ない上に切ない話です。

望郷の思いが、こんなにも悲しく、こんなにも 際立った美しさで語られた例を私は他に知りません。

それ故、日頃もっともっと広く読まれて欲しいと思っているのですが、嬉しいことに、仲々いいのがついたものが2点出ました。その中1点は英訳付きという。おまけ付きです。どうぞ味わって見て下さい。


  1. 小熊秀雄.ある手品師の話.晶文社(1976) []
  2. 小熊 秀雄.焼かれた魚.パロル舎 (2006) []
  3.   小熊 秀雄.焼かれた魚.創風社 (1997 []

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