山下敏明さんのあんな本、こんな本

第114回 「マサカー?」の本

講演や、卓話を頼まれて、良く出かけますが、そうした折りに、間間(まま=折々)或る“種”の人に出会うことがあります。

この或る“種”の人とは、何を話して聞かせても、「そんな馬鹿なこと(或いは、そんな本)は有る筈がない、とても信じられない。」と言った反応を、言葉で直接に言ったり、体で、表情で、示したりする“人”のことです。

この、一見単純とも見えるタイプの人に向かって話をすることは、或いは説得するのは、案に相違して、仲々難しいことです。

どうしてか?と言うと、このタイプの人は以外に頑固で、自分が考えたこともない、自分が見たこともない、自分が読んだこともない、…と言った話を、どうしても信ずることが出来ぬからです。

おまけに、この種の人は、人一倍、自分はごく普通の人間だ、と思っていますから、その確固たる立場からして、「一体、人間たるものが、そんな馬鹿なことをする筈がない、」或いは、並の人間が、そんなことを考える筈がない。」と思い、如何な物好きでも、そんな突飛(とっぴ)なことを、いくらなんでもしたり、考えたりする筈がない、馬鹿々々しい。……」と言う結論を持って、事を終わらせてしまいます。

どんな時でも、決して、自分の好奇心が少ないから、見えてても気付かぬ、のだとか自分の想像力が足りないから分からぬ、のだとは思わないのです。

つまりは、よもや知らないのは自分だけかもしれぬ、とは断じて思わぬのですから、繰り返えしますが、これは、相手としては、すこぶる難物なのです。

さて、先達て、或る席で、「江戸川柳」について語る機会がありましたが、その時にも、この種の人が一人いました。

”越前は一生おさな顔せず”と言う句について、越前の福井侯(大名)の槍には”熊の毛皮の鞘(さや)を用い、行列の時には、これを押し立てて歩いたことから、越前家の皮かぶり槍と言われた。

そこから、越前とは男の包茎(ほうけい)のことを指す、全句の意味は……と説明し、次いで

” 越中がはづれて隣の国を出し”…と言う句について、越中とは、=越中褌で、一説に細川越中守忠興が始めたものと言われ、つまり、越中、越前の地名と、越中褌と包茎とを掛けた句である…と解説したあと、「越中褌については諸説あるので、興味のある方は「ふんどしの話」なる本を読んで下さい。…①1

と付け加えると、彼から「待った」がかかりました。「ふんどしだけの本なんて、本当にあるんですか?」

彼にしてみると、本の存在よりも、そんなことを調べる人間がいて、しかもそれを読んでみようとする人間がいることが、意想外(思いがけぬこと)なのです。ヤレヤレ!!

私はさからわずに、「ストーブの博物館」と「サイロの博物館」の二著をもつ、新穂栄蔵が「ふんどしの話」(JABB出版局絶版)を書いているから、納得できぬなら、後日お見せしましょう…と返事をして、話を先にすすめました。

さて、2時間の講演を無事終えたあと、席を変えて、懇親会と言うことになりました。

そこでも色々な話題が出たのですが、件(くだん)の「マカサー?氏」は、その都度、「本当ですか、まさか−?」と疑問を呈するのです。例えば、辞典の話になって、私がヤクザの言葉辞典がある、と言うと、「広辞苑のような辞典の他に、そんな辞典があるなんて…まさか−?」と来ます。「それどころか、ワイセツ語辞典もあるんですよね」と私。「まさか−?」etc、etc!!

と言う訳で、世の中には突飛(とっぴ=風変りで常識に反する様子)な人が沢山いて、思いもよらぬことに、熱心な関心を持ち続けて、おまけに蒐めて書いて、出版して、しかも、それを、又多大の興味を持って読んでいる人が、これ又沢山いるのだと言うことが、「まさか−?氏」には、最後まで、よく分からぬようなのでした。

私は、いささか、ウンザリ+ゲンナリで帰宅しましたが、その気持ちがいまだ余り薄れず、「ヤケのヤンパチ」で、これを書いているのです。 そこで、世の中に、おそらくは、結構いるあろう「まさか−?氏」達に向かって、彼らなら、異口同音に「そんな突飛なことはあろう筈がない」と絶対にのたもうであろう本をわざと3冊並べます。

1)は、「おなら大全」②2

2)は、「悪食大全」③3

3)は、その書名もズバリの「突飛なるものの歴史」④4

あ−、「まさか−?」の大合唱が聞こえてきそうです。


  1. 新穂 栄蔵.ふんどしの話.JABB出版局( 1990) []
  2. ロミ、ジャン フェクサス.おなら大全.作品社(1997) []
  3. ロミ、ジャン フェクサス.悪食大全.作品社 (1997) []
  4. ロミ、ジャン フェクサス.突飛なるものの歴史.作品社(1993) []

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