山下敏明さんのあんな本、こんな本

第137回 岡倉天心とめぐる人々

`98.11.16寄稿

毎週火曜日に、市立図書館の1階又は2階のカードボックスの上に、ボランティアで、鮮やかな花々を生けて呉れている佐坂美子さんが、先日、札幌まで行って来た、と、道立美術館で、昨、11月15日まで開かれていた「日本美術院創立百周年記念展」の図録を見せて呉れました。

200ページ余の大册を開いてみると、私の好きな、横山大観の「屈原」(くつげん)菱田春草(しゅんそう)の「黒き猫」、前田青邸(せいそん)の「唐獅子」などが出品されています。

佐坂さんは、春草の「夕の森」と今村紫紅(しこう)の「水汲む女・牛飼う男」が好きな由。

さて、「日本美術院」とは、明治31年に、当時東京美術学校の校長だった岡倉天心が、有名な「美校騒動」で辞職の止むなきに至ったあとに創立した美術団体です。

因に「美校騒動」とは、天心に個人的恨みを持った教官らが、天心の失脚を図って画策したものです。

辞職した天心と行動を共にした人達には、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山(ぶざん)らがいました。いずれも、後年、美術史上名を残す大家となった人達です。  この人達の展覧会を「院展」と呼ぶのです。

36才の若さで辞職と同時に日本美術院を創立した天心は、41歳の時に上記の美術科4人を引き連れて、茨城県の五浦(いづら)と言う奇勝のちに引っ込んで、日本画の再興を図ります。

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「日本を代表する思想家、岡倉天心は、晩年の十年近く茨城県五浦(いづら)に居を定めた。天心にとって五浦での十年は、その思想を大成させると共に、大観、観山、春草、武山ら日本美術院の画家たちの名作を醸成させる時代でもあった。

六角堂をはじめ、天心の遺品を蔵する茨城大学五浦美術文化研究所のメンバーが、天心と五浦を多才面から論考する。」 以上、帯にある文章

その五浦には、天心の旧宅や、天心が心を安めた「六角堂」と呼ばれる、名の通りの六角形の建物が現在して、それらを保存する「茨城大学五浦美術文化研究所」と、平成9年に出来た、「天心記念五浦美術館」があります。

「美術文化研究所」では、大分前から「研究紀要」を出していましたが、今回それに発表されたものが、1册にまとめられました。「岡倉天心と五浦 1 」がそれです。

力作が並んでいますが、プロローグとエピローグを執筆している森田義之の「天心小伝」と「現代の天心像」は非常に明解なもので、巨人.天心を理解するには、まことにありがたい文章です。

かつて軍部や右翼に利用されつくした感のある岡倉天心の、正しい姿が、この本によって漸やく、くっきりと嫌味なく現われて来た、と言う気がします。

この本に続いて、岡倉一雄の「岡倉天心をめぐる人びと2 」が出ました。これは1943年(昭和18年)に、文川堂から出た「父、天心を稜(めぐ)る人びと」を再刊したものです。

今では、詩人.大岡信による「天心伝3

もあれば、天心とその心の恋人であったインドの女性プリャンバダ・デーヴィー・パネルジーとの間の「恋文」もありますが、長男.一雄の、この本は、天心を知る為には矢張り必読の一册です。

日本美術院創立百周年を迎える年に出たこの2册、正しく時宣にかなったものと言えます。

美術展に発した話のついでに、余り知られていない(と言ったら失礼か)と思われる「夕張美術館」での「佐藤忠良展」をすすめておきましょう。 12月13日(日)までやっています。

心なごむ忠良の作品が50点余並んでいます。

98.11.16.(月)

備考 岡倉天心の理想のもと、志ある画家たちが苦しみ励んだ—「新しい日本画」創造100年の航跡。150点の名画と歴代同人85名の”人と作品”をすべて紹介!!明治31年(1898)の創立以来100年、岡倉天心の精神をバックボーンにして、常に日本画壇をリードしてきた日本美術院。その苦難と栄光に満ちた歴史を、数多くの優れた同人たちの作品(約150点)と、折々の記録写真や新取材写真を織りまぜてひもとく。「落選の神様」とまでいわれた文化勲章画家・片岡球子、幼児期の火傷で不自由な両手に筆をはさんで描く、「合掌描法」で名作を生んだ中村貞以など、心暖まるエピソードもいっぱい。


  1. 森田義之.岡倉天心と五浦.中央公論美術出版(1998) []
  2. 岡倉一雄.岡倉天心をめぐる人びと.文川堂.中央公論美術出版(1998) []
  3. 大岡信.天心伝.朝日新聞社(1975) []

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