第150回 価値ある翻訳は論文以上

`99.8.31寄稿

「紀要」と言う一般には余なじみのない言葉がある。これは「きょう」と読んで,大学.研究所など刊行する,研究論文を収載した定期刊行物を言う。英語のプロシーティング(proceeding)などはこれに当る。この「紀要」はどの大学でも一応出すには出すのだが、どこでも悩みの種は,これを出す意義が果たしてあるのか、と言う疑問を自ら持っていることである。」と言うのも研究者にしてみると,評価.採点のアイマイ(と言うと失礼だが)な大学内部の「紀要」よりもアイマイどころか甚だきびしい審判(へフェリー)を経て権威ある学会誌にのせられる論文こそに価値があるとする見方があって、力を入れた論文程,内部よりは外部に提出しようとする傾きが出てくる。

となると,逆に「学会誌」に発表された力作は価値があるけど内部の「紀要」にのるものは気の抜けた、おおよそ価値のない論文なのかと言う皮肉な意見も出てくる訳で、それならいっそのこと、「紀要」そのものの刊行を止めてと言う所まで議論は行く。

「学会誌」の方に価値があるとする見方は、どうも理工系の研究者に多いようで,私が室蘭工業大学に在職してた間も、この「紀要」の刊行を止めるべきか続けるべきか、の問題は,何度もむしかえされていたが、大学としては、自前の「研究報告」をまるきり持たぬ、と言うのは言わば、沽券(こけん=対面)にかかわることだから、「学会誌」があるのなら、こちらは廃止しましょう。とはおいそれとはいかぬところが厄介なのである。

しかし理工系はともかく、これが人文系になると,一寸様相が違って学会誌なるものが各分野に複数あるようなことは少なくて,と言うことは論文発表の場が、理工系程にはたんとはないと言うことで,逆に「紀要」は研究発表の場としては,仲々意重なものとならざるを得ないので、「紀要」の廃刊などは、モッテノホカと言うことになる。まあ、つまるところ、一筋縄ではいかぬ問題なのですよ。

只,長年大学に身を置いて,自他共の「紀要」にいくらかは目を通してきた私としては、いくつかの感想がないではない。

その一つをあげてみると,理工系はさておいて、人文系それも,文学系にしぼっての話だけれど、例えばヘミングウエイでもフォウンクナーでもいいのだが、どの人の論文も「たのみ」とする文献は同じで、、、つまりヘミングウエイに関してはアメリカの○○御大の手になる大部なヘミングウエイ研究があって、これを見ずして、あれこれ言っても始まらないと言うものが各作家について必ずと言っていいくらいある訳で,誰もがその本をもちいて論を展開するのがそれが大して独創的でない,何も新しいものがつけ加わる訳のものではない。そこで生じてくる不満は,全国のヘニングウエイ専門家がよってたかってたよっているその○○御大の本をいっそ翻訳して出してくれた方が、研究者にも読者にも有益であり,かつ感謝されるであろう.と言うものです。

他人の権威でチョコチョコとへなちょこ論文を書かずに,権威ある原点そのものを提示してよと言うのが一言で言えば私の望みです。

前置きが長くなりましたが,そう言う意味で,「他人のふんどし」を止めて,原点の翻訳と言う点でいい仕事が出た。

それが 「私はまだ家にいるのか(ゲハルト・ハウプトマンの最後)1」と「なつかない人たちラゴット2

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ハウプトマンと言えばナチに穏然と抵抗を試みたと言われる一方、そうではない、ナチに協力した「裏切り者」とも言われる大作家。

それがドイツ敗北の翌年、ソ連占領下で退却命令におびえながら84年の生涯を閉じたのだが、この最後のハウプトマンを扱ったもので私に言わせれば、これは非常に珍しくありがたい訳業で出来のいい論文100にも匹敵するいい仕事だと言いたい位のものだ。

なつかない人たちラゴットも J・ルナールの名品の念の入った翻訳だ。昭和30年くらいまでルナールはよく読まれていたと記憶するけれど,近年はサッパリだと思っていたら

臨川書店から全集が出て、こりゃありがたしという所へこの翻訳も加わった。そしてそこへ日本で初のルナール伝が出た「イメージの狩人3 」向こうの研究を使い込んで非常に分かりやすい。

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「筆記用具のイギリス文学4 」は文章が大仰でむしろ下手と言いたい位だが,テーマが面白いのでとりあげた。以上4点全部大学で教えている者の著作で「紀要」にのせる下らぬ論文よりはるかに世の為になるもの,,,と言う意味で読むに値する。

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  1. 鈴木将史.私はまだ家にいるのか.鳥影社(1999) []
  2. 田中鉦登.なつかない人たちラゴット.近代文芸社.(1996) []
  3. 柏木隆雄.イメージの狩人.臨川書店(1999) []
  4. 小林順也.筆記用具のイギリス文学.晃洋書房(1999) []

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