山下敏明さんのあんな本、こんな本

第153回 近藤富蔵親子と食物奇談 

`99.10.22(金)寄稿

室蘭に「明日葉の会」なる団体が有る.この上には正式に「室蘭市食生活改善推進協議会」なる名称がついている。読んだ通りの活動をする会である。

「明日葉は」は「あしたば』と読み,今日切り取っても明日は再生している、との意で、セリ科の大型多年草だ。このごろは「生協』や「ホームストア」など、スーパーにも出回っているから,食べた人も多かろう。葉と茎が食用になって香りも悪くない.別名を「ハチジョウソウ」と言うが、これは八丈島の特産的植物なのだ。

さて、この「明日葉の会」から来月初旬に,「推進員団体連絡協議会創立20周年」の大会があるので,記念講演をしてくれぬか、との依頼を受けた。依頼の主は、同会の前会長で、元市議の柏木民子さんと,副会長の佐々木富美子さん。

話を聞きながら,私は「あしたば」から「八丈島」を連想し,次いで「近藤富蔵」のことを想い出していた。今は知らぬが,私が商社時代に八丈島を訪ねた時には「藤田観光」とやらの小ちゃな飛行機で行った。「ミニローバー」なる小型車を英国女王の買物車=セカンドカーと言うらしいが、私が乗った飛行機も、乗員の説明では,女王陛下御愛好だとの,ナントカ機であった。なにしろ、小さなもので,何席かは忘れたが真ん中の通路にたって両腕を水平に広げると、手の先が胴体に着くと言う有様で、通路の両側にこじんまりと連なった席が満員になると、機長が、背中のカーテンを一寸開けて、「ではこれから出発します」と言い、やがてプルルン、プルルンとプロペラの音を響かせて飛び上がったのは,仲々愛嬌に富んでいてよかった。

面白かったのは帰路の便で,飛行機は「八丈富士」をめがけて走り出し、その頂上を超えて海上に出るのだが、その頂上を超えられぬとわかると中腹辺で廻れ右をして戻り,又助走を付けてやり直したことだ。エレベーターの重量超過じゃないけれど、この時はきっと、肥えた人がいたのだろう。2度やり直して3度目に無事山の上に出て、東京に向かったのだった。「何も戻る必要はあるまい旋回すればいい」と今の人なら言うだろうが、とに角当時はそうだった。

2泊して「闘牛」も観て,「あしたば」も食べて,「黄八丈」も買って,,,と思い出しながら,,,それでは語るなら「近藤富蔵」をと思った訳。

近藤富蔵(とみぞう1 は江戸時代後期の北方探検家として有名な近藤重蔵守重(じゅうぞうもりしげ)の息子だ

重蔵は五度も北蝦夷や千島列島を調べた剛の者で、択捉(エトロフ)島に「大日本恵土府」の標木を建てて、領土宣言をした話はよく知られていることだ.又重蔵はすぐれた学者で,後に幕府の「書物奉行」となった。これは今で言えばさしずめ国立国会図書館の司書、それも館長級の役目かと思われる。

重蔵は江戸に戻って,目黒の新富士鎗ヶ崎なるところに別荘を建てて、余生を楽しもうとしたが,不運なことに隣の百姓、塚越半之助と言うのが、前身、バクチ打ちのならず者で、地所争いに巻き込まれてしまった。

富蔵は,別に孝行息子と言う柄ではなかったが,父の苦の種をとりのぞこうとして,半之助一家7人を皆殺しにしてしまった,,,ヤルモンダナー,,,。

文政9年(1826年)のことだ。結果、富蔵は八丈に「流罪」となる。「八丈島」に渡った(と言っても、本人が好きでいったのではないが)、

富蔵 2 はひねくれ者ではあったけれど、絵も描くし,文章も作れたから、ひまにまかせて(と言うと気の毒だが)「八丈島」の諸事情をつぶさに記した地図付きの名著「八丈実記』を残した。読みたい人は図書館で「日本庶民生活資料集成」第一巻所収の抄録版を見て下さい。

てなことで、繰り返すが富蔵やら重蔵やら八丈実記のことを「あしたば」をきっかけに話そうとしたら、柏木さんは「明日葉」は室蘭だけの名称なので、もう少し一般的な話にしてもらいたいと,,,。そこで、せっかくのこだからとここで富蔵の本を2冊並べて進めようと思ったらこれが絶版。参るなあまあこの二冊図書館で聞いてみて下さい。

さて、次に「食生活〜」から連想して選んだのが「食物にまつわる珍しい話=食物奇談3

そこで読み返したのがこの2冊,4  カーター元大統領も、来日すると、六本木の馴染みの店にかけつけ「かけつけ3杯」どころか「升酒」を8杯も飲んだと言う。だろうなあー!!この本読むと、飲食,性に関して西洋人は何か別の生物ではないかと思えてくる。



  1. 久保田暁一.近藤重蔵とその息子,PHP研究所(1991) []
  2. 久保田暁一.波涛.サンブライト出版(1981) []
  3. ロミ著・高遠弘美訳.悪食大全.作品社(1995) []
  4. 塚田孝雄.食悦奇譚.中公文庫(1999) []

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