第172回  大月源二と蟹工船 ロシアの画家レーピン

`00.10.20寄稿

画家、大月源二の評伝が出た。著者は旭川在住。貴方が文学好きで、絵も又好きで、おまけに北海道生まれだとしたら、「大月源二」の名は知っていると思うがどうだろう?。私は「大月源二」と聞くと「小林多喜二」の小説に挿絵を描いた人、そしてロシアの「レーピン」なる画家の評伝を書いた人として思い出す。ここで、初めて「大月源二」の名を聞く人のために。「北海道文学大事典」の記述を引こう。「明治37.2.19〜昭46.3.18(1904〜1971)〔絵画〕函館市生まれ。

市立小樽中学卒業後、東京美術学校西洋画科へ進学。〜次第に階級意識に目覚め卒業制作に「新しい生沼!」〜を出品。日本プロレタリア美術同盟の担い手の一人として活躍し、中学時代からの友人であった小林多喜二の小説「1928.3.15」「蟹工船」などの挿絵を手がける.代表作に第一回普通選挙に立候補し白色テロに倒れた山本宣治の葬儀をえがいた「告別」がある.―以上ー画家、大月源二1 の表紙カバーの絵が「告別」です

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「小林多喜二」については説明の必要がなかろうと思うが、果たしてどうだか?と言う気持ちも一方ではある、と言うのも、今年早々、「20世紀デザイン切手」として郵政省が売り出したものの中、第6集に、多喜二の肖像と「蟹工船」初版本の表紙とを組み合わせたものが収められたのだけど、その頃の某紙の投書に「母からすすめられて、カニコウセンを読んだ。びっくりした。だって聞いただけではカニの意味がわからずコウセンは光線だと思っていたから〜」と言うのがあったからだ。

この投書には、読むこっちもビックリするが、まあ多喜二の説明は省くとして、「大月源二」はいい本だ.只、182ページに『19世紀ロシア移動派の画家レーピンを系統的に著したものは現在でも大月源二の「レーピン」だけだと思う〜」なる文章があるが、ここは一寸違うので、おせっかいながら訂正します。

と言うのも、私の知る限り「レーピン」に関するものには、あと4点ある。

イ)嵯峨公業/レーピン/三杏社`52

ロ)福田新生/レ−ピン伝/洋々社`56

ハ)モルグノハ他/レーピン/美術出版社`73

ニ)エ・レーピン著/ヴォルガの舟ひき/中央公論社/`86以上

「レーピン」の伝記をあげたついでに、私が昔書いた文章をも出しておく(1996年7/16(火)室蘭民報朝刊本の話196回 トルストイの重荷)参照

先頃閉鎖した小樽の〔ペテルブルグ美術館」に「レーピン」が来た時に書いたものだ。

さて、話かわって,,,先日、苫小牧の主婦佐藤まり子さんに頼まれて、「赤毛のアン」の原稿を入手するお手伝いをした「赤毛のアン」は沢山の版が出ているので、その中から一点選ぶとすれば、と言った意味の手伝いであったが,,,。

佐藤さんは好学心あふれる人で、話をしている時でも、メモを離さぬ人だが、実はかくれた「アン」の権威で、目下は、日本に各種ある翻訳原稿を付き合わせてみようと言う段階に到っている所で、、、。聞かれた当の私は、村岡花子の「赤毛のアン」初訳出た1952年には高校一年生だったから、一度読んでそれっきりだった。つまり「アン」については無知な訳。

それが佐藤さんの相談に乗っている中に興味が出たところへ「『赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ2 」が出た

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「アン」に無知な私だから面白いのではなく「アン」を知りつくしている人にも面白いと断言出来るいい本です。

「ごんぎつね」をめぐる謎3 は紙幅がつきたので一言。このタイトルだけで読みたくならない??

私は1993年に「ごんぎつね」の著者新美南吉のふるさと,半田市に行って来た。次の年記念館がオープンしている。

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  1. 金倉義慧.画家、大月源二.創風社(2000) []
  2. 梶原由佳.赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ.青山出版社(2000) []
  3. 府川源一郎.ごんぎつね」をめぐる謎.教育出版(2000) []

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