山下敏明さんのあんな本、こんな本

第176回 巳年に因んで蛇の本4冊

`00.1月17日寄稿

私が中学生の頃、と言うと昭和20年代(1950年代)だが、室蘭に(と言っても、その頃はこの言葉で、仏坂からこっち、千歳町浜町の方を指して言っていたのだが)有名な3人の三郎がいた。㋑五十嵐の三郎  ㋺岡田の三郎 ㋩佐々木の三郎がその3人で㋺の三郎は、明治大学を出たとか、出ないとかのいわゆるインテリの「あにい」で子供の目から見てもクールないい男だった。何でも私のひいばあさんの遠縁だとか、と言うようなことを聞いたが、よくは知らない。

㋑と㋩はこの㋺とは違って、労働者で㋩を先に書くと、この三郎は、沖仲仕だったようだ。右肩をいからして歩く姿が記憶にあるが、高倉健をもっとするどく削ったようなこれ又いい男だった。この三郎は気が短く、ケンカ早い...と絵に描いたような「あにい」で、妻君が一時我が家でお手伝いさんをしていたので、こわいと言うよりも、親しみを感じていたものだ。妻君の方は肉置(ししおき)豊かな大柄の女で、気はやさしくて力持ちだった。この三郎は大の酒好きで、それが元で死んだ。

㋑の三郎は、若い時は「阪妻」並の顔だったのではないかとも見える彫りの深い顔でやはり沖中士だった。この男は、一番哀れな死に方をした人で...と言うのは、年とって碌に働けなくなると、人に相手にされなくなり、すると、野良犬、それも赤犬ばかりを5匹も6匹も集めて、産業会館の脇の階段、昔の泉町に出るための階段の下、がけと階段が作る三角形の空間に寝るようになった。つまりは、今のホームレスの元祖みたいなもんだった訳で、段ボールの中で犬に囲まれて寝ておった。ところが或る冬の夜、犬の体温では足りなくなったのか、かれは駅前の電話ボックスに入って新聞紙に火をつけて暖を取ろうとでもしたのか、あろう事か、焼死してしまった。

ところで、室蘭には三郎ばかりで、二郎はいないのかと聞かれれば、(とは誰も聞かないが)一人いた。この人は「二郎ちゃん」と呼ばれた「香具師」()でいわゆる「ガマの油売り」だった。この人は、浜町のアーケード街の大映ビルが、昔、東宝の映画館だった時、切符売り場の前が一寸した空間になっていたが、そこで、人を集めて口上を述べるのが常だった。

私はこの人のタンカ売りが好きで、よく見に行ったが、或るとき、実験台に使われて、私の腕にナニヤラを塗って、それが変色すると「親の因果が子に伝わり」とやっているところを通りかかった母親に見つかって耳をひっぱられて連れ戻されたことがある。この人は最後には輪西の』駅前で、チンピラに出刃で刺されて死んだ。「二郎ちゃん」は背が低くて、肥えていて、「大菩薩峠」で盗賊の「裏宿の七兵衛」をやった「見明(みあけ)風太郎」似だった。前置きが長くなったが、商売道具の青大将に触らせてくれたのも又、その卵を見せてくれたのもこの二郎ちゃんだった。

話かわるが「図書館サービスに期待する会」と「ふくろう文庫』双方の世話人をつとめる安藤薫さんは美少女がそのまま美女に変じた人だが、美女は美女でも生白い「深窓の美女」ではなくて、山家育ちの溌溂美女で、オドロクナカレ、幼い頃は、昆虫はおろか、蛇でもヘッチャラのパイのパイで、ナント、小さな青大将なら、指の間に一匹ずつ、両手で合計八匹の蛇をつかむこと位屁のカッパだった由。

町場育ちの私は、こうは行かなくて、先述したように、蛇を見たのも、さわったのも、その馬鹿に青臭い卵をみたのも ガマの油を売るために、腕をかませるマムシやら青大将を使う「二郎ちゃん」が最初だったと言う訳で「巳年」にヘビの話をするのは、芸のない話だが、照れずにまとめて、蛇の話で...数ある中から、滅法面白いのと、ちょいと七面倒くさいのとを紹介する。

①「毒蛇1 」は、ノンフィクション作家小林のデビュー作.正読とあるがこれは昨年「定番毒蛇」となって文春文庫に入った。こんなに面白いのに「奨励賞」とはきびしいものだ。否審査員はケチくさい。 

②「ハブ捕り2 」はコミッック 私は普段、コミックは手にしないが、注目している主題によっては、読むこともあるこれは読んでよかったと言える一冊

③「蛇と十字架3 」は平たく言えば、蛇を神化する東洋と、蛇を邪悪な元のする西洋とのいわば、蛇をかりての比較文明論

④「蛇の宇宙誌4 」は呆れるばかりの博引旁証で、蛇と人間との関わりの歴史を辿ったもの。  

③と④は.肩がこらぬではないが、面白い上に頭のきたえ直しにはなる...本当の話.今年もよろしく。




  1. 小林照幸.毒蛇.文藝春秋(2000) []
  2. 新里堅進.ハブ捕り.新潮社(1991) []
  3. 安田喜憲.蛇と十字架.人文書院; 新装版版(2009) []
  4. 小島珱禮.蛇の宇宙誌.東京美術(1991) []

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