第222回 風呂の話の本

`03.12月12日

過ぐる11月30日、日曜日、「第7回、ふくろう学校冬季特別宿泊講座」と銘打って、お泊まり会をした。場所は、白老の厚生年金保養センター、集う人40人.これは不肖私が、校長を勤める気の合った者の勉強かつ懇親の会で、生徒会長は、落語長屋の大家にして、自ら、落語家として「山椒亭小粒」の芸名を持つ、御存知、弁護士の芝垣美男さん.事務局長は「道新」の敏腕通信員にして、道新「comini(コミニ)」の記者、して又「図書館サービスに期待する会」の世話人代表の安藤薫さん。当日は、13;30に集合.14;00〜16:00まで私の講演16;00〜17;00入浴又は、歓談.17;30〜20;00宴会.続いて二次会と言う段取りで、講演の題目は「温泉or鬼の文化史」であった。orを付けたのは、最初、集まり易い場所と言うことで、登別温泉を第一候補にあげ、ここと決まれば「鬼」.もし登別が部屋数をとれずとなった場合は、他の温泉にして、とならば即ち、「温泉」を語ろうと決めたのだった。

結果、登別はダメで、白老行き.私は当日、温泉と風呂の文献をかっきり40冊持参した。資料集は省いたのである.資料集は色々あって、例えば盛岡の奥の秘湯温泉「夏油(げとう)の江戸期、今から、220年前の記録は、「従花巻夏油温泉遊一見記」などは、すこぶる面白いのだが、そう言うのも語ると、切りがないので、温泉は風呂の一般的な文化史に話をしぼったのだ。私は湯の語源である斎()ーこれは潔斎(けっさい)の斎で、神聖、清浄を意味するのだがーの話から始めて、三助に至迄を語り、次いでに、多少ながら、西洋やイスラムの水浴についても言及したが、面白かったのは、話を終えたあとの質問の時間だった。と言うのは、この時の主役は、もっぱら、ナターシャであって...厚生年金を簡保の宿と思い込み、間違えて、洞爺に行きかけ、ために遅れた、ナターシャは「道新」のその名も体を表す、いに有な大能記者の大いに愛する奥方であって、ウラジオストック極東大学で法律を学んだ芳紀正にして25才の言うなれば才媛にして美女。このナターシャが、日本人の質問が終了したとみるや、やおら、挙手して、曰く「ロシア語で質問してよろしいいか?」と英語ペーラペラの安藤事務局長が、咄嗟に「Say  in  english」と切りかえしたー英語で言ってーと言うのは.安藤さんは私が、ロシア語で知ってるのは、素ん晴らしいのハラショーとあんがとーのスパシーバの2語だけだと、固く信じているからで...とあにはからんや、私の方は、怖みず、臆せず、動じずに、親切な安藤さんを制して.「ダー.パジャールスタ」 つまり「どうぞ、ちっともかまいません」と応じたのであった。日本人一同のおどろくまいことか!!!

しかし、ナターシャと私は、そんな一同に、構わずに質疑応答を続けたのでああった。質問は全部で3つ。

第1は、ロシアには「ババヤーガ」と言う鬼女がいるが、日本には、これに該当するものはいるのか?と言う者、これに該当するものはいるのか?と言うもの.これに対しての私の答えは、居る、それは、山姥と言うもので、この「やまんば」は女が山中に入って、老女となり〜云々と.又グリム童話に出てくる「ホレおばさん」とも同類で、云々と、

第2の質問は、ロシア人は地獄犬とか、鬼とか聞くだけで嫌悪するのに、日本人は、例えば登別温泉に行くと「地獄谷」なぞと、聞くも恐ろしい地名があるのに....平気なのは何故であるか?

そして第3の質問は、能の絵を観ると、頭髪が真白い女がいるが、日本人は髪が黒いと言う印象と違う.あれは、ヨーロッパ系のひとであるか?と言うもの。ーこれはまあ坂田金時を育てた足柄山の鬼婆、つまり、能で言う「嫗山姥/こもちやまんば」を指しているのであろうがー

以上3問に対して、私が、ダンテの神曲の地獄篇の話やら、我が国の地獄絵巻の話やらを採用して、答え終わると、ナターシャ曰く「ありがとう」とそこで、私は又、しめくくりとして「ダー.ニエスイト  ブラゴールナスチ」つまりは、「どういたしまして」と答えてロシア語を解せぬ一同が、アングリ、ポカンとしている中で、にこやかに質疑を終えたのであった。因みに―はアクセントの箇所だぞよ。

さて、2次会に移ってのこと、ナターシャの自己紹介のあと私は改めて「実は、ナターシャは、私がシベリアに抑留されている時に、彼の地の女流詩人オルガとの恋の末に成した子共であると打ちあけたのだった。

私の告白を聞いて隣席の生徒会長が、かたまってしまったので、私は、やおらナターシャを傍らに呼んで、共に立ち「ではここで皆さんに、ざんげしなければならぬことがある。他でもない。先程のロシア語による質疑は,実は,今宵の宴席を興あるものにするべく、私が考え出して,ナターシャに協力をたのみ、一夜漬けのロシア語で演じた芝居である。して又,先刻の抑留云々の話も同類の冗談である」と。気の早い連中は,抑留と聞いて首をかしげて,指を折って私の年齢を数えていたりしたが、これを聞いて安堵し、一同大いに笑ったことであった。いや面白かったねナターシャちゃん!!

この芝居旦那にも内緒だよと言っておいたので,ナターシャは事が終わって大能記者に曰く「内緒ごとは,これが最初で最後です」と。可わゆいー

ところで,登別温泉の「パラダイス」が2003年で店を閉じた.あそこは私どもが子供の時は,只登別の「大浴場」で通っていた。中学1年か2年の時学校でいったが、I校長先生が,手ぬぐいを腰に巻いただけの姿で,大欲場の真ん中に立ち「女性とはそっち、男性徒はこっち」と声を張り上げて,交通整理(?)していた格好は今でも忘れない.先生は,英国紳士然とした人で,と言っても,どう言うのが,英国紳士かは知らぬが、とにかく謹厳実直の見本ような、滅多に笑わぬ人だったから、衣の下の鎧ではない,手拭の下の狸のナントカがゆれて見えたのには,愉快、否おどろいたものだった。

そうそう,風呂の話だったけな!まあ此所に出した4冊,順番に読んでみてちょうだい.我が国の温泉と風呂について要領よくわかる本.折しも、室工大生発案とやらの「銭湯スタンプラリー」が実施中とか.第一滝本は、露天風呂をふやしたいと言うし、,,,愉しみはこれからだ...と言う所か“おー寒”さあ、一つ風呂あびてこよう。

「風呂と湯のこぼれ話1

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「風呂の話2

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「『入浴』はだかの風俗史3

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「江戸入浴百姿4

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  1. 武田勝蔵.風呂と湯のこぼれ話.村松書館(1977) []
  2. 大場修.風呂の話.鹿島出版会(1986) []
  3. 花咲一男.講談社(1993) []
  4. 花咲一男.江戸入浴百姿.三樹書房(1992) []

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