第228回 中村芳中と扇絵

先達て、北海道開拓記念館の学芸員Mさんが調査で来館した。調査が終わって、何やかんやの話の中で、「松浦武四郎-時代と人々-展」の話が出た。その中で、今回の展示物の中には,富岡鉄斎のものもある、と言うので、オヤヤ!と驚いた私は急いで鉄鎖作のある物を見せた。これについては後で書く。

そうこうしている間に、この展覧会が6月13日で終わりだ、と聞いた私は,あわてて日曜日に行って来た。松浦武四郎研究会の会員である私は、うかつにも、まだやってるわい、と呑気に構えていたのである。

さて13日、朝早く家を出て、10時にはもう「大丸」の前にいた。今日の第一目標は大丸の7F。そこで登別の津村さん夫妻が「よさこい」に合わせて出店をしているのだ。津村さん夫妻は、自分達の名前の頭文字をとった「健千窯」を主宰している人で、もう何年も,野焼きを初めとして,色々と焼き物の楽しさを人々に知らしめるべくフントウしている人だ。登別市教育委員会の内藤繁さんの紹介で,私は津村さん夫妻の焼き物人生の初めから,お付き合いをさせてもらっていて、いて、現に、「ふくろう文庫」の部屋のある、メガネをかけ、本を両手に首をかしげている素焼きのミミズクは,昨年、野焼きで私をイメージして作って、贈ってくれたものなのだ。さて7F会場で、奥さんと出会い、「よさこい」の為に、奥さんが手ひねりで作った猫(衣装これ又、奥さんの手縫い)の群舞を見た。表情豊かに手を拡げ、足をはね上げている猫を見て、家内は大いに欲しがったが、そして、私も心動いたが、目当ての「ふくろう」をさしおいて、と言う訳に行かず、私は「白ふくろう」一羽購った。大丸を出て、次は道立近代美術館へ。「香月泰男展」を観るため。私の生まれた年に、この人は倶知安高校(現)に絵の先生としていたのだがー没後30年と」聞いて、ありゃ、もうそんなになるのかと驚く。「シベリア・シリーズ」の作品に心うたれながら、次に向ったのが開拓記念館。お目当ては、最初に述べた「松浦武四郎展」。色々ある中で面白かったのは、30枚程の渋団扇。しぶうちわ、とは柿の渋を表面に
塗った赤黒色の祖末なうちわのことだが、早稲田大学の図書館長を勤めた大読書人・市島春城によると、武四郎は、外出の時にはいつでも、必ず渋団扇を一本腰にはさんで行き、訪ね先の人が書画の能力ある人とみれば、これを差し出して、即座に書かせた、、、、のだそうだ。そうした結果、集まった渋団扇147枚を、武四郎は3帖に分けて貼っていた由。今回展示されたものの中には、大森貝塚発見者エドワード・モースのもあれば、かのシーボルトの子孫、ヘンリー・V.シーボルトのもあり、又、蘭学者・大槻磐渓があるかと思えば、本職の画家・河鍋暁斎のものもあると言った具合で、イヤ面白い。団扇に画なんぞ描いたって、面白くもナントモありゃしない、と言う無粋な人はこの際、相手にせぬことにして、、、、『団扇』と言ったって色々あって、楕円形の奈良団扇、桐などで作った柄を別にはめ込む山城の深草団扇、丸竹の柄の末を細く割って骨としたのに白紙を貼る江戸の吾妻団扇などは有名なものだ。 こうして江戸時代に紙製の団扇が実用品として普及した時点で、帰属や金持商人は名のある画家に描かせるようになる。名のある、と言えば例えば、尾形光琳などえあるが、当館の「ふくろう文庫」には、既に、苫小牧で読書運動を展開する墨谷真澄さん達から贈られた「京の団扇」なる本がある。


繊細華麗な琳派、豪放大胆な狩野派、土佐派など、桃山から江戸末までの名工達が織りなした京団扇の世界を総原色版80余の特選作品で示した稀なる一冊。是非見て欲しい本だ。さてここに、「団扇の画」なる今回の話にぴったりの文章がある。画から思いつく句を並べながら「団扇絵」への思いを語ったもの。筆者は俳人・柴田宵曲。
ここで話を変えるが、団扇絵から連想されるものに扇面画=扇絵(おうぎえ)がある。字の如く扇面に描いた絵画作品だ。これについて美術史家の小林忠は「扇面画」の中で言う。「かつての日本が世界の文化や風俗に影響を及ぼしたことは殆どないが、畳み扇はその例外的な一つと言われる。〜(それに描かれた)本家本元の扇絵はジャポニズムのシンボルとなったのである。」扇絵の画題は、物語絵、山水,花鳥,樹草など、と色々あり、俵屋宗達以来数々の名品が残されているが、中で近年、とみに注目されているのは、京都に生まれ、大阪琳派で活躍した中村芳中だ。
芳中は扇面画形式を格別に愛好したひとであるが、伝説的につまびらかでない部分が多いとされて来た。しかし最近、画業の全体像も明確になりつつある。例えば「琳派を愉しむ」の中の芳中作品「月に露草図」なんて、観てごらんなさい。実に優美なもんです。

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