第233回 鈴のない熊本と、相撲の話

`04.11月17日寄稿

去る11月9日の、登別の第40回市民文化祭の行事の一つ「登別郷土文化研究会」が開く「郷土史の夕べ」で2時間余の講演をして来た。題して「大供楽しむ玩具の世界とその魅力」。題目を知らせると.問い合わせの電話が来た。「大供って何ですか?」「大供ってのは、子供心に返っ大人のことです」。

あとで聞くと、そのあと、つまり電話のあと、子供に返った大人が楽しむオモチャってのは、ひょっと、あれかー?てなヤリトリが、会員の間であったらしい。その証拠に、講演後「イヤア、大人のオモチャでどんな内容の話になるかと、思ってましたよ」と言う当人の発言に、私は唖然とし、、皆は大笑い...と言う場面が続いたのだった。

まあ、それはともかく.私は、伏見の人形を頂点とする土人形の世界について、「富士見西行」などの人形ーこれは旅に疲れた西行、例の歌人西行が、風呂敷包みを首にかけ、岩に座って、富士山を見上げている態を表わしたものーを見せながら一くさり論じたあと、二番目の話題である「土鈴」に話を切り換えた。

どすず、つちのすず、いずれの読みでもいいのだが、字の如く、土で作った鈴の事を話すについて、私は、自身1万個の鈴を蒐めたと言う、石山邦子の「土の鈴ー全国土鈴ガイド―1 」を皆に示した。(婦女会出版社、¥3,000)

この本で各地の土鈴を見て行くと、ハテナ?と思うことが一つ出て来ると言うのは、この本、北海道から始まって、沖縄県に至り、おまけとして、韓国の土鈴まであげるのだが、九州に及んでは、どう見ても、熊本県がないのだ。これ落丁かなあと思って頁を丹念に見直してもとんでいる訳でもない。どうも熊本県には「鈴」なるものがないようなのだ。

それで、苫小牧で子供に読み聞かせの運動をしている「おはなしジャングルの会」の墨谷真澄さんに「ふくろう学校」で会った時に聞いてみた。と言うのも、この人熊本市の出身であるからで...すると意外な答えが返って来た。「鈴のことは私知りませんが、言われてみると、私の知る限り、熊本の神社には、あの太い綱にぶら下がっている鈴はなかったと思います」 つけ加えて曰く、「それで苫小牧に嫁いで来て、神社に鈴があるのを見ておどろきました。」と

当方も驚いたのであるが、好奇心旺盛な彼女は、早速、熊本の郷土資料館に問い合わせたのだろうな。すると、電話にでた学芸員が、(室の人たに問うのが電話でよく聞こえたと言うのだが、)「そう言われるとないですねえ」と答え、長老格らしき人が遠い席で、“昭和30年代に阿曽神社で熊本市で作られた鬼の面を授けていたことがあったが、そう言えば今ないなあ”というのが聞こえ、最後に電話に出た学芸員が「熊本に鈴がないのは何故か〜を調べるのもいいテーマのようですね」としめくくったと言う。この返事で、好奇心の鬼と化した墨谷様は今度は、熊本神社を束ねる護国神社に聞いてみると、神主は「そう言えば、どこも出してませんね、まあ神社それぞれの考えですから」と言った由。

この一部始終を聞いて、私の好奇心も、今や燃えつのりそのうち、ひまを見つけて調べようと思っている所。

そんなこんなの話をしている内に墨谷さんの口から、又一つ面白い話が出て来た。それは吉田司家の娘、それも美人のエリコさんと同級生だったと言うのだ。え,「吉田司家?」と私が驚いたのも無理はない。どうしてか?って“あー張り手のないこと”いや間違い、“張り合いのないこと”!!

この吉田、つまり、熊本に在住する吉田司家は、こと相撲に関しては、天皇に等しい、と言えば天皇に怒られるか知らんがーまあそんな存在なのだ。

もう一寸詳しく述べると、今現在、熊本市の井川渕町の藤崎八幡宮の参道北側に相撲の博物館と言った趣の展示館、宝物館があるのだけれど、これをやっているのが、吉田追風(よしだおいかぜ)を祖とする吉田司家の子孫なのだ。

「相撲の民族史2

山田知子によると、“司家は相撲行事を総差配する職務で、具体的には横綱免許状の交付と横綱相撲の行事をすることでああった”となるし、宮本徳蔵によると、“相撲にも又家元がある。熊本に在住する司家、吉田追風がそれで、もろもろの故実、古事録を独占しつづけて今日に及んでいる、谷風にはじめて横綱の免除を与えたのをはじめ、代々の立行司木村庄之助を門人として、勝負判定の奥義を授けてきた。形式から言うなら、「大相撲」を名乗る現在の協会と言えどもその風下に立ち、許可をうけて興行をいとなんでいるに過ぎない」となる。「相撲変幻3

「力士漂白4

やあやあたいしたもんだなあ、追風どころか、こりゃもうずーと、順風満帆だわね。宮本はつけ足す.“ただし、他の技芸と違う所が、一つある。角道に関しては「吉田流」のみが存在し、過去もまた未来もそれ以外の流派は現れ得ないと言うことだ。”イヤヤ、すごいと言うほかない。おまけにこの吉田流の祖追風こと、家次は、後鳥羽上皇から、その号をもらったと言うのだからね。因みに後鳥羽上皇てのは、在位文治2年(1186)〜建久9年(1198)の人だ。

もう一度繰り返すが、たいした「追風」だねえ。まあそんな訳で、熊本には、恐るべき吉田司家がいると言うことは、タメシテガッテン、イヤ納得してもらえたろうか。ところで、墨谷さんの同級生の話はよく聞くと、この追風とは、同性同名ながら、お父さんは普通の会社員で、だけれども、姓名が姓名であるからして、「相撲関係者からよく間違い電話がくるんで、お父さん困ってんのよ」エリコさんがもらしていたと言う話であった。

とは言え、熊本づいた所で、折角だから、もう一つ熊本の話題、それは先記の藤崎八幡宮の祭りの話で...ここのお祭り、俗に「ボシタ祭り」と言うそうで、何でも加藤清正が、みこしのうしろに、百騎の兵を従えて歩く、その時「飾り馬」も出るこれをハッピ姿の勢子たちが「ボシタ、ボシタ」とはやしながら鉦太鼓で馬を追い立てる...。そこから来た...とこれ又墨谷さんの話

ところで、“あんにやろ奴、横柄な”のおうへいの語源しっている?。これは、昔、結の相撲に勝った者に、黄色の弊(へい=神前に供える布)もらった力士は、これを振った、これ即ち横弊振るこれ変じて「おごりたかぶる者を横弊なり」と言うようになった由。と言う訳で、相撲の話も鈴の話も、ナンダ、カンダと面白いなあ。

「七夕と相撲の古代史5

「日本の相撲6



  1. 石山邦子.土の鈴ー全国土鈴ガイド.オクターブ(1994) []
  2. 山田知子.相撲の民族史.東京書籍(1996) []
  3. 宮本徳蔵.相撲変幻。ベースボールマガジン社(1990) []
  4. 宮本徳蔵.力士漂白.講談社(2009) []
  5. 平林章仁.七夕と相撲の古代史.白水社(1998) []
  6. 谷川徹三.日本の相撲.ベースボールマガジン社 (1995) []

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