第242回 「月」を取り巻く文学と絵巻

`05.9月寄稿

今はなくなったようだが、昔は鳥黐(とりもち)と言うのがあった。これ、モチノキだのクロガネモチだのの樹皮から採ったネバネバ状の、まあ、さしずめガムみたいなもので、これを細い竿の先に付けて、鳥やら虫に差し出して、くっつけて捕る。私は昭和20年代後半、中学3年の時に、同級生に秋田君なる小鳥好きがいて、後にくっついて早朝測量山に出かけて、このとりもちやら霞網(かすみあみ=目に見えぬ位の細い糸で作った網)を使って、ヒワなどを捕らえたことがある。秋田君がいなければこの経験はできなかったろう。鳥もちは、鳥のみを相手と思っていたら、これで団子をとる話が俳優の三国連太郎(「釣りバカ日誌』のスーさん)の話に出てくる。

民族文化を研究している沖浦を相手の対談で、お月見の晩に、垣根越しにどこかの家の庭か縁側に供えられた月見団子をかすめ取ったと言う思い出話だ。団子はともかく、この対談は「かぐや姫』が主題なのだが、中で三国は沖浦に非常に大事な質問をしている。

それは「〜ところで、『竹取物語』のラストシーンで、かくや姫が旧暦の8月15日夜に月に帰って行きますね。満月の夜、草木も眠る丑三つ時に、姫を迎えに天界から天人が降りてきますね。なぜ8月15日なんですか?」と言う質問だ。

沖浦はこれに対して、このお月見なる儀式が東南アジアやら中国の華南地方のヤオ族やらシャオ族でもやっていると言ってから、昔から「月信仰」と言うものがあって、それは、月の運行と月齢によって日を数え、潮の干満を時間の尺度とする。

しかも、その潮の周期性は女性の月経と密接に関係するので、「月」が生殖力と豊穣の源とされたと説明し、その月の生殖力によってもたらされたものが、南太平洋圏で常食だったイモ(タロイモ系)だと人々は考え、8月15日の満月の日は、その感謝の収穫儀礼だったのだと答えます。故に昔は、月に供えたのは団子ではなくて、大阪などで衣被(きぬかつぎ)と言われたサトイモだったのだ。「芸能と差別の深層1

さて、「かぐや姫」は5人の貴族と天皇の求愛を拒否して、と言うより小気味よく手玉に取って、自分は天上に帰って行く。当時最も賤民視された一介の竹取りの爺さんに授けられた小さ児(ちいさご)が権勢を誇る貴族や天皇を見ん事虚仮(こけ)にして、去っていくこの話、実に愉快な話なのだが、現在の研究では、このバカタレ達が誰であったか全て判明している由。それでも「かぐや姫」は天皇を哀れと思ったのか、歌一首に添えて天人持参の「不老不死」薬を置いていく。しかし天皇は「何を今更」とて、その薬を駿河の国の一番高い山焼いてしまえと命ずる。

家来は言われた通りにして、山頂から煙が立ちのぼる.不死の薬を燃やしたが為に「富士山」と呼ばれるようになったのは命名由来譚うちの一つなことは、皆様既にご存知の通り。「月からのシグナル2

この「実話』を見るもあでやかな一巻の絵巻に仕立てたのは、文化勲章の日本画家・小林古徑(こけい)だ。これは古徑34歳の作品だ。古徑の前に同じく文化勲章の前田青邨(せいそん)が描いて名声を得た「竹取」があるが、古土佐風の青邨と違って、古徑は大和絵の手法を持って描いた、絶賛される。これ来る10月26〜31迄丸井で公開されるので乞ご期待。「小林古徑書集3

ところで我々日本人は、月と言うと兎を思うが、どうして兎は月にいけるのか?、ここに物語がある.それは、ーけものである身を恥じた兎と猿と狐が、前世の報いをすすがんとして善行を積む。すると天なる帝釈天(あの寅さんの故郷の神様だ)はこれを確かめんとして、老人の姿で3匹の前に現れ食を乞う。猿は木の実を与え.狐は魚を差し出す。しかし兎は何も出来ぬ。嘆いた兎は猿に柴を採ってもらい、狐に火を付けさせ、我が自ら火中に跳び入り、我が身を焼いて、おのが肉を食べたまえと言った。哀れんだ帝釈天は兎を抱いて上天し、月の宮居に祀った〜

この話をいたく愛した人に、かの良寛和尚(りょうかんおしょう)がいる。(1758-1831)

文芸評論家・唐木順三が「最も日本人らしい日本人。日本人的な詩人」と評した良寛は、この物語を長詩に詠んだ。題して「月の兎」又の名「三人(みたり)の友」と題するこの長詩、良寛全歌中の最高傑作と評されるものだが、これを愛唱して全15mの絵巻に仕立てた画家がいる。古徑の友人でもあった、文化勲章の安田靫彦(ゆきひこ)だ。見て感動せざるを得ないこの作品も丸井で公開する。

これで何故兎が月にいるか分かったが、これは実はインドの「ジャータカ経」にある話で、ジャータカとは「本生譚」と訳される由。およそ紀元前3世紀の説話集だが、釈迦の前世の善行話を集めたものだ。最近NHKの講座で取り上げられたし、本になったから、興味のある方はそちらをどうぞ。

兎で思い出したが、具知安駅前・都通りに「うさぎ屋」なる味すこぶる良しの「そば屋」がある。名の由来は知らぬが、この機会に行ってみてごろうじろ!!

さて、月に兎を連想するのは日本人だけではなくて東南アジア一帯がそうであるらしいが、中国では違う。中国では月に「嫦娥(じょうが)」がいると言う。これ、中国人の留学生全員に各自聞いてみたら、同じ答えだったから間違いなし。これは中国人の常識。嫦娥は憂愁に満ちた絶世の美女だと、唐代の詩人は詠ったが、その実の姿はガマガエルなのだ。

と言うのはー嫦娥は一応天上の女神で、弓の神たる后翠の妻であったが、不祥事を犯して二人して天界を追われる。神様から人間に格下げとなれば....夫婦仲も悪くなる。そんな日々、后翠(こうけい)は西王母(せいおうぼ)なる女神の所に行き、不老不死の薬をもらって帰宅するが、これを又、嫦娥が盗み・飲みする...これキッチンドリンカーのはしりか?...するとアリャリャ嫦娥の身体が月迄飛んだばかりでなく、口裂け、まなこ出っ張り、皮膚にはイボイボ...即ちガマガエルに変じたと言う。

この話を難しい漢字を分解して説明する向きもあるが、書く方も、聞く方も疲れるからやめる。

と言う訳で、ウサギにしろガマガエルにしろ、「月」は見上げてるだけで済まぬ存在だ。知るべきことは山程ある。夏バテなんぞしている暇はないのだ。「月」が欠けるのは風情があっていいが、脳(おつむ)が欠けているのはみっともない。

いずれにせよ8月・9月は「月』に思いをいたすのにいい季節だ。


  1. 沖浦和光.芸能と差別の深層。ちくま文庫(2004) []
  2. 根本順吉.月からのシグナル.筑摩書房(1995) []
  3. 中央公論美術用覧.小林古徑書集。中央公論(……) []

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