山下敏明さんのあんな本、こんな本

第243回 川本三郎・ジャンコクトーとチャプリンの来日

去年の何月だったか?8月か9月のことだと思うのだが、知り合いの直子からTELが来て、「おじちゃん、川本三郎って知ってる?」と言う。「うん、知ってるよ。何冊も読んでるよ」と答えて、「それがどうした?」と聞くと、川本三郎から室蘭に行きたいがと連絡が来た、と言うのだ。「何でしってるんだ」と又聞くと、ナンデモ何年か前、函館の映画祭とかで知り合って,そのあと、文通だか何だか続いているのだと言う。それでまあ直子の用向きと言うのは,川本三郎が室蘭に来るについて,室蘭を案内せねばならないが、その案内を知り合いの30代(?)の男がやってやると言うのだけれど、それでいいのかなあ・・・と言う訳で、どうも直子はその若者に不安を感じている様で、言外に私に案内してももらえないか、と言う感じなのであった。

聞いて私は、そんなことは簡単だから,近くなったらまたTELしな、と言って話を終えた。それから暫くして,その後何の知らせも直子からないので,私はその話をすっかり忘れてしまったのだが・・・ある日の午前中、私が来客と歓談中,一人の男がヌッと入って来て,私の背後の資料室にだまって行こうとするので、「何か?・・・」と問いかけると,男は,室蘭駅のことについての本がないかと思って・・・と言う。言っちゃ悪いが、そして失礼な話だが男の服装はGパンに、まあヨレヨレと言っていい感じのアロハの一種かな、みたいなのを着て,登山帽を冠り,大きなショルダーバッグ、横に矢鱈と長いのをひっかけていた。一言で印象を言うと,余趣味が良いとは私から言えなくて、まあ,ウチワ位はあるけれどセンスは余りないな・・・と言うところだった。私は「駅史」と言うタイトルの室蘭駅を扱った本はあるが・・・と言った答えをかえして、「只、貸し出せる本は2Fのカウンターの右脇にあるので、そちらを見て下さい」と言うと,男は出て行った。そのあと客も帰って,私が弁当をつかっていると、直子からTELがきて、今日川本三郎が来たので、出来るなら一緒に室蘭を歩いてくれたら嬉しい・・・と言う.川本三郎が「散策」が好きな人間であることを私は知っていたから,じゃあ付き合おうとて・・・弁当を食べ終えてから指定の時間に、指定の場所たる図書館前に出て行くと、2人の男と直子がいて、男の内の1人はナント今朝私の部屋に現れた先述のおとこなのであった。ナンジャラホイ・川本三郎だったのか、となれば、傍らの若いのは直子が言ってた案内を買って出たと言う若者なんだな、と納得して、私は直子の運転するベンツに乗り込んだ。

かくして、時々小雨のパラツク中を,私達は測量山やら,幕西やらと歩いて,最後に絵靹小学校に行って校長の話を聞いた.川本が言うには「猛スピードで母は」に出てくるトドのいる水族館を見たい。それと長島有が学んだ学校を見たかったのだと.幕西なぞは「室蘭風物物語」を読んだと覚しき若者が、さかんに受け売りをしていたから、この街に沢山同級生のいる私が,あえて口をはさむ必要もなくて楽だった。

私は最後に水族館に入る川本らと別れて帰館したが,川本の来蘭の目的は雑誌「潮」に、「駅を降りると町が広がる」なる連載物を書いていて,その取材ナノであって,後になって200410月号に「駅物語」の⑤として「室蘭駅」が載って,私にもその雑誌が送られて来た。さて、その川本の「林芙美子の昭和」だが、これが面白い.主人公たる林芙美子が実に健気で愉快だ。只,違和感がないではない。と言うのは,林芙美子はこんなに明るくていいのかしらと言う点。この事は、書評で私と同年輩らしき作家の久世光彦も指摘している所で,それは映画かされた芙美子の作品はペシミスティック(悲劇的)だったので、それを観たものとしては林芙美子はもっと暗かった、と」言うものだ。私も学生時代に観た「浮き雲」なぞ、暗くて本当に嫌だった。腐れ縁の男と女のどうにもならぬ関係が筋で,主演の高峰秀子の硬質な冷たい声すら,今でも耳に浮かぶ程だ。①1

それはともかく、この林芙美子が昭和11年に来日したジャン・コクトーに花束を呈する役目を担った。昭和6年,芙美子は28歳でパリに渡る。そのパリで彼女はジャン・こくとーの演劇を観て,コクトーのファンになる。実際には,他に適任者がいなかった,贈呈役が彼女にまわっただけの事らしいが,喜色満面芙美子は受けて立った。

コクトーの「大股開き」を渋沢竜彦の訳で読んだのは高校2年生の時。又コクトーの映画「悲恋」を観たのは,これも又高校2年だったな。その後、堀口大学の訳で色々読んで,今は創元社版全8巻のコクトー全集を持っているが、そのコクトーが来日した時の行動を追ったのが、「コクトー、1936年の日本を歩く」だ。これが中々おもしろい。コクトー来日に大騒ぎした当時の世情も面白い。

コクトーが大騒ぎされた分,割を食った人間がいて、これがナント、あのチャプリン。コクトーと同じふねで昭和11年5月16日、土曜日に神戸に着いたのだが、積極的に記者団に対応するコクトーに比べて、チャプリンはそうでもなくて,その差が騒がれ方にも差をつけたらしい。そのチャプリンの来日中のあれこれを追ったのが,千葉の「チャップリンが日本を走った」でこれも又面白い。どれもこれも秘話と言った感じの話が充満している。②2

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チャプリンを初めて観たのは確か小学4年生、母と一緒で,場所は今アーケード街のパチンコ屋さんになっている「松竹大国館」でだった。作品は「チャプリンの黄金狂時代」笑った笑った!!

ところで、過ぐる4〜5月に道立近代美術館で「ジャン・コクトー展」が開かれた。コクトーは早い話がホモで、来日時にも美男を連れていたが、帰国してから間もなく美少年にめぐり合う。ジャン・マレーだ。コクトーの映画で主役を続けた美男子(?)だ。話のしめくくりに、そのマレーの書いた「私のジャン・コクトー」もあげておく。奇しくもコクトー、チャプリン2人共,アメリカには批判的だった。さて大物2人が来日した昭和11年、ニ・ニ六事件の起きた年、阿部定事件が起きた年,私はその9月16日に生まれた。そして、これを書き終えた今日は9月16日だ。

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  1. 川本三郎・林芙美子の昭和・新書館 (2003) []
  2. 西川正也・コクトー、1936年の日本を歩く・中央口論社(2004) []
  3. 千葉伸夫・チャプリンが日本を走った・青蛙社 (1992) []
  4. ジャンマレー・私のジャンコクトー・東京創元社 (1995) []

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