山下敏明さんのあんな本、こんな本

第257回 3月に蔵書票世界展

`07.2.15

私が「蔵書票」のことを知ったのは、昭和39年(1964)に読んだ紀田順一郎の『現代人の読書」によってだった。そこには、「原則としては、へたでも自分で作るのが理想である。専門家に依頼するなら、よく趣味が合った人を選びたい.又、愛好家のために、制作・頒布をあっせんしているところもある」と合って、カッコして(日本愛書会[代表者・志茂太郎)と付け加えられ、その住所を見ると、東京と思いきや岡山なのだった

後で分かったことだが、志茂太郎は、戦争で東京を捨てて岡山に引っ込み、そこで戦前からの「愛書会」を続けたのだった(何年か前に志茂は亡くなった)私は直ぐに志茂に手紙を書いて会員となり・・・すると毎年「愛書票暦」と言うのが送られて来て、これは山下なら、山下が志茂の言葉を借りるなら、よく趣味の合った専門家=プロの版画画家に頼んで作ってもらった蔵書票が12枚貼られて1年の暦になっていると言うもので、これを貼るためのアルバムも、頼むと送ってくるのだった。一度に12人の作家の作品を見ることが可能だった。この愛書会は、私の記憶ではこじんまりとした集まりだったと思うが、蔵書票のファンが増えるにつれて大世帯になったのか?志茂の手を離れて、文化出版局内に移ったのだった(筈)。この段階で「群れ」を嫌う私は、この会を離れたが、蔵書票好きは今だに続いている。

私は蔵書票と言っているが、これは、いつだったか「書票」としようとの案が出て、今、「広辞苑』などでは「書票」を採用している。しかし私個人としては「蔵書」が付くのがいいと思うので、「蔵書票』を使っている次第。乞う、御了解!!①1

苫小牧での蔵書票作品展

ところで,ここに貼った三紙三様の記事をとっくりとごらんいただきたい。ここに書かれるように、私は10年来、苫小牧は沼ノ端小学校に通って「蔵書票」作りと、併せて、「本の帯」(=腰巻き)の制作を指導してきた。その結果「瓢箪から駒」とは思わぬが、この「蔵書票作り」を「日本書票協会」が知っ、かくの如き展開となった。中心になって動いている墨谷真澄さんに一つの提案をした。

それは・・・私は蔵書票に興味を持ってから、各国の事情をいささか調べたことがあったが、その時わかった意外(と言えば変だが)なことは、台湾で蔵書票作りが盛んで、既製品もよく売られているし、小・中学校でも生徒達が張り切って作っていると言うことだった。そこで台湾になんらかのコンタクトをとるよう墨谷さんに提案したのである。

聞いた墨谷さんは「日本書票協会」の内田市五郎氏の仲介を受けて、台湾に連絡がつき、1月には沼ノ端小の石川校長が渡台して、台湾の人達と交流して来た。と言う訳で、世界と日本の版画家の作品に、沼ノ端と台湾の子供達、更には一般の人の作品が並ぶことになった。提案者として、只々喜びの他はない。(新聞記事は載せることが出来ませんでした。)

「紙の宝石」展

蔵書票が「紙の宝石」とまで呼ばれるのは何故か?。「論より証拠」で、見ればその意味がわかる。先ずは見て下さい。「文化交流センター」は、36号線から王子製紙のトラック専用の正門(らしい)に折れた左側の建物です。ボウーリング場の手前と言えば分かりが早いかな。或は,旧市立病院に折れる四つ角、十字路を線路側に入ると言えばいいか。紙の宝石 世界蔵書票展 国内外から1400点以上




  1. 紀田順一郎・現代人の読書・三一書房(1964) []

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