山下敏明さんのあんな本、こんな本

第270回 音楽は人を善になしうるか-善き人のためのソナタ-

マルセル・ライヒ=ラニッキはポーランド生まれのユダヤ人でドイツの『フランクフルター・アルゲマイネ』なる新聞の文芸デスクを勤めた人。現代ドイツ随一の批評家と評される人だが、①「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」だ。その中にバイオリニスト・メニュインに関する発言がある。長いけど必要だから全文引く。メニュイン70歳の誕生日の祝いの席で述べられたものだ。


“音楽は女神です。しかも私達の知る限り最も壮麗な女神です。ところが残念なことに音楽は、歴史上ながらく、利用したがる人達の意のままになってきました。権力者や政治家、イデオローグや聖職者たちの意のままに。
どれほど容認しがたかろうと、事実だからしょうがない、音楽は一種の娼婦なんです。かって存在したなかで、
いっとう魅力的な娼婦かもしれないのにしてもです。人は音楽を聞いて畏敬の念を引き起こしたり、愛国的感情を呼びさましたり、民を戦へと駆り立てたりしました。いろんな歌が奴隷によって歌われるとともに監督官によって
も歌われ、強制収容所の抑留者によって歌われルとともに看守によっても歌われました。私達夫婦はワルシャワ・ゲットーの狭い部屋で、イエフィーデ・メニュイン演奏するモーツアルトの「バイオリン協奏曲ト長調」を聞いた
経験があります。でもそのときいっしょに聞いていた若い人達は、全員ガス室送りとなったのです。「音楽とモラル」の因果関係はやはり、こうあったらいいなという美しい夢、無邪気な先入見にすぎません(アンダーライン・山下)
では当のメニュインは…同書によると、メニュインは、どんな状況であれ終始一貫、「芸術と人生」「音楽とモラル」を一体のものと捕らえていた。正確にいうなら「ぜひとも一体のものと捕らえたがっていた」由。「メニュインは既にこどものころ、こんなふうに確信したそうだ」-「バッハのシャコンヌやベートベンのバイオリン協奏曲を聞かせれば、善人にはできないにせよ、少なくともましな人間にはできる」と。(。。印はメニュイン。アンダーラインは山下)  さて、先頃私は、上田孝子さん、小幡由起子さんの勧めで、おくればせながら苫小牧の「シネマトーラス」に行って映画「善き人のためのソナタ」を観た。この映画、キネマ旬報のベストテンにもはいっているのを初め、既にあちこちの賞を受けている作品だが、話は「盗聴」を任務とする秘密警察官が、その盗聴の最中に聞こえて来た音楽に心をゆさぶられて、「善人或はましな人間になる」というものである。こんなことが現実に起こり得るだろうか?
舞台は東ドイツ。東ドイツは今や周知のように、警察国家だった。そこは「シュタージュ」なる秘密警察によって牛耳られていた。東ドイツ政府はこの組織を使って、国民が何を読むべきかから始まって、あらゆる面で思想の国有化をはかっていて、西側の要素を含むものは、一切見逃さず許さなかった。なにしろ、東ドイツ国家を作った作曲家のハンス・アイスラーとても、1953年に発表した彼の唯一のオペラ「ヨハン・ファウストス」が、国の意向にそぐわないとして、背教者と見放され、作品を撤回せざるを得なかった位なのである。
お音楽は、人を善人にするか、或は出来るか…..。私はこれには「否」と答えざるを得ない。人によりけりである。
あのヒトラーが既に音楽愛好家であって、ワグナーを甚だ好んだ…が、…そのワグナーは激しいユダヤ人増悪者であった。ヒトラーの強制収容所では、これ又、モーツアルトだベートーベンだの愛好者の隊員達が、栄養失調と恐怖で固まり衰えたユダヤ人の中から,音楽家を募って楽隊をつくり,数々の局を演奏させて楽しんだが、とどのつまりは彼らをガス室に送り込んだ。
モーツアルトに耳をかたむける人間が同時に殺人者たり得たのである。ヒトラーに協力sたカラヤン、ひょっとするとフルトベングラーも、いくら名指揮者と言われようとも、そう言う点では「ロクデナシ」なのだ….と私は思う。とは言え….「善き人のためのソナタ」では、体制の中枢にいる盗聴の責任者たる男が,音楽によって改心(?)し,
上司に嘘の報告をして、盗聴の相手である劇作家を守るのである。東西の壁が取り払われたあと、善き秘密警察官のおかげで生存出来たと知った劇作家は、この警察官の暗号名を献辞にした本,即ち「善き人のためのソナタ」を刊行する。
秘密警察官を演じたのは、ウルリヒ・ミューエだが、彼が言うには、この映画は「おそらくはたくさんいtであろう善き人たちの密やかな勇気が示されていて….つまりはこれは。かれらに捧げられた人間賛歌なのだ」と。
それはそうであろうが、事もあろうに彼の妻である女優のジェニー・グレルマンが、シュタージ(秘密警察)の強力者で、彼の情報を密告していた。これを知った彼は離婚した後、昨年7月22日,ガンで亡くなった。密告した妻の方は、密告者たる事を否定して,訴訟したが、一昨年,同じくガンで死亡した由。
東條に協力した画家・藤田嗣治、ヒトラーに協力した作家・クヌート・ハムスン、ロクデナシはワンサといるが、ナイコト・ナイコトを密告する、と言う。ロクデナシにはなりたくない。②③④はシュタージを扱ったものご一読あれ!

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