第273回 進化論の提唱者は?

「熱血!天才アカデミー」なるNHKの番組で「ダーウィン進化論』をやると新聞の予告に出ているので、姉の所へ観にいった。ダーウィンが進化論を発表して150年目と言うことでの企画らしい。

そう言えば私がこの図書館に招ばれた年1999年には、日本で初めての『進化学会」が出来て,10月10日に学会が開かれた。そして、それを受けてか否かは知らぬが、ダーウィンの著作集が炆一総合出版から出始めて、確か私も、これ購入するように指示したのではなかったかしらん。そんなことをおもいだしつつタレントのウッチャンナッチャン(?)とやらの司会する番組を観た。司会者の下の短いしゃべり方が気になったが,番組の中身はまあ良かった。とは言え、それよりも一つ気になったのは,ダーウィンを語るに忙しくてダーウィンと言えばかかせぬ男のことが確か一言も出てこなかったことだ。としたり顔で言っても、その男アルフレッド・ラッセル・ウォーレスの事は、もはや知らぬ人もなく、このウォーレスの業績をダーウィンが盗んだ、つまりウォーレスの業績をダーウィンが横取りしたのだとの話は、これ又知らぬ人はなく、つまるところ、そのことを話題にするのは今更図々しく、かつ気恥ずかしいようなものだが、まあ思い出したのだからから仕様がない、ちょっぴり触れることにしよう。

事の次第はこうだ先ずウォーレスなる男は、学歴がない独学の男だ。生まれはイギリスはウェールズ地方のウスクなる町、1823年生,1913年死去.貧乏人の子沢山と言う例の良き見本みたいだが、9人兄弟の8番目、14歳で学校を止めて,次兄の大工を手伝った後,長兄の測量士の仕事を手伝ったりした後、本好きが幸いしたか,21歳の時に中学教師の職を得たと言うから目出たい。

図書館通いの中で、H.W.ベイツなる男に出会い,人生が変わった。この”図書館での出会い”と言う辺り,私は大いに嬉しいが、このベイツは博物館学者でで,後に名著「アマゾン川の博物学者」(1863年刊)を物する男だ。

意気投合した2人は,アマゾン探検に出かけた。そのお金は,行く先々で採集する昆虫をはじめとする標本を博物館や個人コレクターに売って、、、と言う方法だ。出発したのは1848年で、ウォーレス一人が戻ったのは1852年で、ベイツはこの後7年もアマゾンにいた.1853年になると,ウォーレスはマレー諸島の探検に出かける.その結果,出来たのが,名著「マレー諸島」。

さて、ダーウインの方はと言うと、父親は有名な内科医であり,母親はと言うと、かの有名な陶器ウエッジウッドを生んだ18世紀の伝説的な陶芸家ジョシア・ウエッジウッドの娘だと言うから,学歴があるのだのと言う段階の話は意味がない。

ダーウインは1859年「種の起原」を発表した。いわゆる「自然淘汰説」を解いたものだ。それはそれでいいのだが、実はこの話には裏があって、、、と言うのが,(1)1 の「ダーウインに消された男」が語るものだ。つまりこのダーウインの一世をゆるがした説は、実は盗作であって盗作されたのは先述の学歴なき男ウォーレスだと言う訳。後は読んでもらうしかないのだが、「ちくま学芸文庫」版の訳者・新妻昭夫の文章を借りれば、ウォーレスはこの盗作云々に関しては,ちっともこだわらず寛容で、「三歩下がってダーウインの影を踏まず」的態度を通した由で、現にダーウイン宛の手紙で、「〜次に自然淘汰説についてですが、私としては、これ本当にあなたのもの、あなただけのものと、これからも言いつづけていくつもりです」と書いている位だと言う。

「進化論」の提唱者はガラパゴスのダーウィンか?、アマゾン+マレーのウォーレスか?。「マレー諸島」の訳2種をあげたが,(2)2 宮田が先に出、後に出た (3)3 新妻は先約に触れず、の態度なので両方あげた。 (4)4) も読むべし。

ところで、ウォーレスは面白い人で、自然科学者なのに、心霊主義が好きだった、と言うよりその方面での活動家だった。ここの所を新妻は、「〜実際ダーウィン達はウォーレスの降霊会への出席やその発言に眉をひそめていた」と書いている。私はこの「心霊主義=スピリチュアリズム』大嫌いで、今迄も「司書独言」や「本の話」で、目下盛行しているテレビ界出の、太いのに細木だ、和服のメタボだ、金髪のシャンソン歌手だと言った手合いを好かぬと発言して来たが、先日、三浦清宏先生から(5)5) が贈られて来た。

これは困ったな、と恐縮しつつ思ったが、「はじめに」の所を読むと、「〜世の中には心霊現象というとはじめからバカにして、認めようとしない人がいます。そう言う人達をこの本によって説得しようという気持ちは全くないし、出来るとも思いません.これを読めば分かりますが、心霊研究はそういう人達との不毛な戦いの連続でした。最初からムダだと思う事を繰り返すつもりは無く、興味を持つ人だけが読んで下さればいいのです」とある。

そうだ、そうだ、全くだ、と私は安心して一度本を閉じたが、待てよ「近代スピリチュアリズムの歴史」とあるからには、ウォーレスのことも出ているかな?、、、と探してみると、あった、あった、98ページの記述がそれ。そこを引くと、「この寛容な心を持った博物学者は〜自然淘汰だけでは人類の精神的特質や進歩を説明出来ないと考えてスピリチュアリズムに近寄ったのである。〜」このあたり新妻の「ウォーレスは人間の高度に精神的な活動への自然選択説の適用を拒否したのである。〜彼は心霊現象を”科学によっていまだ認識されざる力”ととらえていた」なるとらえ方と似ている。

ウォーレスについての記述があることで、私は安心して三浦先生の本を棚におさめた。、、、が、ブッシュを含む原理主義者たちが、「天地創造説」にしがみついてダーウィンを教育の現場で教えぬことには賛成できぬ。

  1. アーノルド.C.ブラックマン=著 羽田節・新妻昭夫=訳.ダーウインに消された男.朝日新聞社(1984) []
  2. 宮田.マレー諸島.思索社.(1991) []
  3. 新妻昭夫.もう一つの進化論.筑摩学芸(1997) []
  4. 新妻昭夫.種の起源をもとめて.朝日新聞社.(1997 []
  5. 三浦清宏.近代スピュリアリズムの歴史.講談社.(2008 []

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