第298回 秋田蘭画 小田野直武遠慮の真因は?

`10.6月寄稿

私は過ぐる3月27日(第4土曜日)の「第16回ふくろう文庫ワンコイン美術講座」で「秋田蘭画」を講じた(次ページ、室蘭民報の関連記事及び「本の話」参照)。そして、その日の入場料で「ふくろう文庫」に次の三冊を購入して収めた。

①「画集・秋田蘭画1 」/武塙林太郎編著/秋田魁新報社刊(創刊115号・題号100年記念出版)/平成元年刊

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②「秋田書画人伝2 」ー新訂版ー/井上隆明/加賀谷書店(秋田市)昭和56年刊

③今橋理子/「秋田蘭画の近代3 」ー小田野直武「不忍池図」を読むー/東京大学出版会/2009年刊

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③は第22回和辻哲郎賞受賞作という力作だが、中で今橋は①についてこう語る。「~武塙林太郎氏は1974年刊の「図録秋田蘭画(三一書房)の改訂版とも言える新たな画集を発表する(それが①山下)。すでにこの頃までに、研究者たちの間においても、発見されるべきと言う感があり、それにより同書(=①)は秋田欄画派のカタログ・レゾネ的位置を、これ以後占めることになるのである」この言を持って①の重要性が分かるだろう。

因みに「カタログ・レゾネ」とは作家(画家・版画家)の全作品の総目録事。もう一つ因みに、今橋の本③には、「秋田蘭画」についての網羅的な文献一覧は今まで作製されていないと嘆く、今橋自身によって作られた「秋田蘭画全文献」が出ている。

見るだに面白い文献一覧で、私は興味津々で目を通したが、雑誌文献をの除いて、単行本の8割方を自分で持っている、つまり読んで来たことに私は大いに気を良くした。

さて、小田野直武だが、②の秋田書画人伝を使って説明すると、寛延2年(1749)12月11日生まれ〜安永9年(1780)5月17日死去。角館給人、直賢の第4子として角館裏町に出生。父平七直賢は無辺流の槍をよくし、城代佐竹義躬の師範役だった。幼名長治、通称武助。幼児から絵筆を握り、〜のち藩の絵師・武田円碩(えんせき)に師事して狩野派を習う。以後〜25才で源内に会い蘭画を学び、これ又源内の縁で蘭医杉田玄白らの「解体新書」の挿絵を担当し、藩主佐竹曙山らに蘭画の指導をし、となるが、安永8年冬に、突如、事情不明で角館に遠慮を命じられ〜その翌年5月17日吐血して死去、となるが、その翌日に赦免の知らせが届いた云々。...と言う訳で、この遠慮=謹慎=家の中に閉じこもっている事の真因と、死んだ真因が未だ分かっていない。

「佐竹曙山4

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そして私が小田野夫妻に伝えた次男とは、小田野直林(なおしげ)[安永元年(1772)10月22日〜天保12年(1841)7月2日]で、直武の次男(長男文治は早死)初名・伊勢五郎、のち武助。9才で父に死別。「紫陽花」などの蘭画を残したが、病弱で「役儀相勤めがたい」として引退、となっている。

突然歴史に登場して名を残し、突然消えた直武の真相が分かるのはいつか?入手しやすい2冊を紹介しておく。来年のワンコインの修学旅行は角館へいってみようか!!。


  1. 武塙林太郎編著.画集・秋田蘭画.秋田魁新報社刊(1989) []
  2. 井上隆明.秋田書画人伝.加賀谷書店(1981) []
  3. 今橋理子.東京大学出版会(2009) []
  4. 成瀬不二雄.ミネルヴァ書房.(2004) []

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