山下敏明さんのあんな本、こんな本

第299回 相撲と蜘蛛合戦のこと

`10.7.15寄稿

過ぐる7月10日、私は苫小牧の市立図書館で、「浅川伯教(のりたか).巧兄弟」について、2時間の講演をした。浅川兄弟とは言うまでもなく、朝鮮を愛し、朝鮮の人を愛し、その国土と、その人達が造り上げた朝鮮の美を愛した兄弟で、この兄弟ある故に、後の「民芸」運動の祖たる柳宗悦が存在したと言っても過言ではない大いなる兄弟だ。只今回の話題はこの兄弟ではない。講演の前後に、私を応援してくれている「ふくろうの森の会」の人から出た話の中で、私が「おやっ」と思ったことが、2つあって、今回はそのことを書く。

1つ目は、「相撲」で2つ目は「クモ合戦」のことだ。相撲についてはこの連載の「NO.233」で既に取り上げたことがある。宮本徳蔵の「相撲変幻」はその時あげた1冊で、残りは、山田知子の「相撲の民族史」平林秋仁の「七夕と相撲の古代史」それに谷川徹三の「日本の相撲」だった。だからもうとりあげなくてもいいのだが、おまけに私は、この節の相撲界のゴタゴタ続きににはウンザリしている。こうゴタゴタ続きでは、同じく,昏迷に,混迷を重ねる政治にウンザリして相撲でも観て気を気を晴らそうかと言う気にもなれない。どの面さげて神聖(?)なる土俵にあがってくるのか、相撲を渡世の手段としか、思ってないのじゃないか、etc   etc   で、取り上げなくてもいいのだが、あえて取り上げる理由は,私が,先述の如く「おやっ」と思ったからで、その「おやっ」は、その話をした人が「国技」なる言葉を使ったからだ....。

私は本来的に相撲を「うさんくさいもの」と思っているその「うさんくささを一言で言えば,相撲にまつわる諸々の「うさんくささ」だ。例えばの話宮本によると、「相撲の興行」なるものは、熊本在の吉田司家の認可を受けて,初めてやることが出来ると言う事。けれども相撲界の天皇にも等しい同家が主張する,吉田家は「本朝相撲司」であるとする,由緒書がすこぶるあやしくて、その証拠に寛政3年(1791)の将軍上覧相撲の際には,幕府はこの吉田家を認めなかったが、熊本の大名たる,細川家がこれに横槍を入れて,無理矢理、吉田家を登用させたのが事実だ。

もっと端的に言うと,我々が,横綱であれ,土俵であれ,全て古式豊かな何百年もの歴史を持つと思って,(否,思わせられて)見ている諸々がその実,意外に新しく,そのつどつど、当時の相撲界が客を集めるべく考案してきてものだ、と言うことだ。さて、「国技」。かの内館牧子の節を紹介すると...その前に今言った「横綱」なるものは、起源の頃からある者ではなくて,これ又今言った吉田司家と相撲協会の前身たる「相撲会所」頭をひねって創作したもので、「横綱は神」だとか「土俵入りは悪魔払いの儀式」とか言う理屈は、あとからつけたものだ...と内館は言う。

さて,もう一度「国技」これを聞いて相撲は古来古代から「国技」だったと思う人が多いだろうが,又そう思わせるところが巧な所だ。が、これは、ついこないだといっていいい。明治42年(1909年)に当時の「大角力協会」なるものが,自分で名乗っちゃったものなのだ。自称にロクなものはない。して又この年完成した常設相撲場の名前をどうするか,となったとき作家の江見水蔭(えみすいいん)がパンフレット書いた,単なる形容詞「相撲は日本の国技なり」にヒントを得て「尾車」なる親方が「国技館」と提案したのが始りの由。一方板垣退助は「尚武館」なる名を提案していたから、もし板垣案が通っていたら,今頃気安く、「国技」などと言ってたかどうか。

ついでに言うと、「君が代」も「日の丸も1999年8月の、国旗、国歌法が成立してから視覚を得た訳で,つまりは、「国技なる方は何の法的根拠もないそう言う無資格な訳で,早い話が,相撲界の方が中々の商売上手であるということだ。国旗,国歌の国と同列に扱われちゃ困る。「力士漂白1

私の「国技」と聞いて「おやっ」と思ったのは上述の理屈による。他の「うさんくささ」を知りたい人は、内館の本をどうぞ。「女はなぜ土俵にあがれないのか2

次に「クモ合戦」 こっちは、「おやっ?」が2つあって1つは,その日私は秀吉の朝鮮侵略に触れ,その際の加藤藩士軍の残虐ぶりをしゃべったが、そのせいかな?と私は思うのだが、そのクモ合戦の話をした人は、清正が、武士達の気をまぎらわせ、かつ、士気を高めるために陣中で始めたものが故郷に伝わり...(との話だったと思うが)、これは実のところ、九州は九州でも、清正ではなくて、島津芳弘の軍で起こった話で...ナンデモ、コガネグモを集めて闘わせたのが元になっていると言うのだが、斉藤真一郎によると、これは、資料、史料がなく、おまけに根拠もないと。只クモ合戦で、今一番、全国的に有名なのがこの根拠のない言い伝えを持つ、鹿児島県の加治木町だ。

「クモ合戦の文化論3

この町では、役場が率先して、町民にクモの飼育をすすめている由。「クモ」の話の「おやっ?」の2つ目は、清正のクモ云々の話が終わった後で、私はその人の話に「只、クモ合戦は北海道にはありません」とつけ加えると、「イヤ、八雲にあります」との返事で、私は「あっ.あれの事か?」と頭に一枚の地図を思い浮かべた。それは「全国クモ合戦分布図」なるもので、それには、函館の所に○印がついているものだが、このことについて、斉藤真一郎は「クモの喧嘩遊びの北限」なるタイトルの文章で《〜クモの種類を問わなければ、かって北海道函館の記録がりようされたことがあった、ただしこれは何というクモを闘わせたのかがはっきりしない恨みがのこる」と書いていて、これはクモの種類が判明しないのと、更にその記録ないし報告が、いつの時代のものかがはっきりしないのが恨みとなって、...私はハテ函館とは八雲を含めての言い方か?と「おやっ?」と思ったのだがそのうち分かるかも知れん。私は斉藤は北限を函館迄のばしてないと、読んだのだが。「蜘蛛4

因みに、「本の話」の第189回(平成8年3月19日)は飛行グモ」の話ですぞ。


  1. 宮本徳蔵.力士漂白.筑摩学芸文庫.(1994) []
  2. 内館牧子.女はなぜ土俵にあがれないのか.玄冬社新書(2006) []
  3. 斉藤真一郎.クモ合戦の文化論.大日本図書(1984) []
  4. 斉藤真一郎.蜘蛛.法政大学出版局.(2002) []

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