山下敏明さんのあんな本、こんな本

第300回 歌と戦争

`10.8月寄稿

7月24日(土曜日)の「第18回ふくろう文庫ワンコイン美術講座」のテーマは、柳宗悦(やなぎむねよし)だった.柳とはもちろん「民芸」の創始者で、民芸とは「衆的工」を縮めた言葉だ。柳は名もなき人々が無欲・無心の境地で創り、その出来上がったものを無銘で市場に出し....と言う形で我々の前に現れて来る諸処の工芸品の美を逸早く認めて、それを人々に伝え広めてきた人だ.柳は海軍軍人を父に持つ人だが、そう言った出にしては軍国主義なるものを嫌った。志賀直哉は柳と同じく学習院で、共に「白樺」の文芸運動出活躍したが、柳について「柳は生まれながらの反軍国主義者」と言った意味の評言を残している。

柳は「日本民芸館」を残した程の人だから、実に色々なものを自分の周りに蒐め楽しんだが、蒐めなかったものに「刀」がある。

柳は「日本刀」と「鍔(つば)」には手を出さなかった。これをもってしても、柳の「反軍国主義」の表れととらえる人もいるが、私もこれは当っていると思う.思うに柳は、正しく「殺人」の武器たるこの「刀」が嫌いだったのだろう。

ところで柳の妻・兼子(かねこ)は今の東京芸大の前身たる東京音楽学校出の日本を代表する声楽家だが、彼女は山田耕筰の歌を歌わなかった。耕作を嫌ったからである。兼子は何故、山田を嫌ったのか?。山田の人間性を嫌ったのだ。...山田の妻・永井郁子は、音楽学校で、兼子と同じくペッツオルド先生に習った。「音楽を動員せよ1  」

ところが、山田はこの郁子を事あるごとにないがしろにして、郁子の髪を掴んで引きずり回すなどの、まあ言うなれば当節のDVを加えて、つまりは酷に扱って、結局二人は離婚し、不幸の総揚げとして郁子は歌う事を止めた。山田の暴力故に郁子の行末が閉ざされた訳だ。これ故に、兼子は山田を許さなかった。山田には私生活で数々のスキャンダルがあるが、此所には書かぬ。「山田耕筰さんへあなたたちに戦争責任はないのですか2

さて、この品性下劣な山田には、もう一つ芳しからぬ匂いがついて回る。「戦争犯罪者」の匂いである。山田は大東亜戦争中に、高級将校の軍服に乗馬用の拍車付きの長靴をはき、日本刀をさげて、戦時中の楽団に君臨した。この衣装、同じく戦時中の美術界に君臨した藤田嗣治とまことによく似ている。森脇佐喜子の研究によると、山田の作った声楽曲697曲の中、107曲が戦争にかかわるものの由。今、その一つ「なんだ空襲」を出してみよう作詞は大木惇夫、歌ったのは霧島昇他。「警報だ、空襲だ/待ってましたよ、用意はできてるぞ/ほいさガス元火の始末/水もたくさん汲んである』

米空軍カーチス・ルメイ将軍の指揮のもと焼夷弾が落とされて...結果、10万人が死んだ東京大空襲を思えば、この歌のノーテンキぶりは誰の目にも明らかだろう。とにかく山田は平たく言えば威張りに威張った、虎の威ならざる軍の威を借りて!「歌と戦争3

威張った時の山田の肩書きは、戦時下、警視庁管理下に作られた「日本音楽文化協会会長」だ。山田はこの組織のトップに立ち、警察と結託して、暗躍し、ヒトラーばりに統制を張り巡らしたのだった。ヒトラーの真似の一つは、ユダヤ人音楽家の弾圧だ。この事については、NHK交響楽団の指揮者・ヨーゼフ・ローゼンストックも語っている。「(ユダヤ人もしめあげた)両組織の長は、全日本の最も代表的な音楽家、指揮者で作家で、さらに日本軍の委任将校たる山田耕筰であった」。「昭和激動の音楽物語4

戦後になって、音楽評論家の山根銀二が山田を<典型的な戦争犯罪人>として諸処の例を挙げて非難・弾劾した。

山田はこれに対して、自分は戦争に協力したが、「それは祖国の不敗を願う国民としての当然の行動〜」だとかわした。

この理論は言うなれば、「一億総懺悔論」と同じ理屈だ。最も、非難した山根銀二の戦中の行動も、大して褒めたものではなかったから、これはまあ、一種「目糞・鼻糞を嗤う』の行為でああろう。ここでちょっと別の話。

昔「放送批評懇談会』なるものが作った「使えない日本語」なる本があった。中で汚い言葉は使わずに「いいかえ」ましょうなる部分があって、ここで「目くそ」「耳くそ」は汚いから「めやに」「耳あか」と言い換えましょう....で私がさっき言った「目糞鼻糞を嗤う」は、「目やに鼻あかを笑う」となる訳だ。他にある例をついでに書くと,「うんこ」は×で「大便」○、「金玉」×で「睾丸」○だ。

しかし,うんこ→大便→、へ→おならとなると,誰が一番困るんだろうと、私が頭をしぼって考えた結論は,あかね科の多年草かずらの「へくそかずら」だ。これ全体にへばりついている悪臭故に「へくそかずら」と言うのだが、これも汚い下品だからとて→「おなら大便かずら」と言わねばならぬのか??先頃死去した井上ひさしは,この「言いかえ」に対して、「靴の底皮や障子貼りかえはなにものかをもたらすが,言葉の貼りかえなぞ、屁の支えにもなりはしないのだ」と批判したが,上品な懇談会メンバーには,この批判「何て下品な」と思えたことだろう。

しかし私思うに,どうも人間てのは男女を問わず,○○委員だのと肩書きがつくと,途端に何か社会的発言をしなければ、と気負うようで、となると、上品だ下品だ、品性がどうだ、こうだと言いたくなるもののようだ。見てて、こちらが恥ずかしい。

閑話休題。戦争に負けて、天皇はマッカーサー元帥に上品にも礼装で会いに行った。マッカーサーは下品にも開襟シャツで迎えた。この時の写真を見て,これ又散々戦争讃歌を作って来た歌人・齊藤茂吉は「ウヌ!マッカーサーの野郎」と言った由。下品だなあ。!!

ところで山田耕筰は...「私は戦後になって本当にガッカリした事がある。それは天皇が退任しなかった事だ。それ迄天皇に対して非常な尊敬の念を持っていたが,天皇は戦争の責任を取ろうとしなかった。天皇が責任をとらないのに、どうして我々が責任をとる必要があるのか」と言った由???。

となれば,反軍国主義者の妻として,兼子が山田耕筰の歌を歌わぬと言うのは、まことに理にかなった事と言えると思いますがね。


  1. 戸ノ下達也.音楽を動員せよ.青弓社(2008) []
  2. 森脇佐喜子.山田耕筰さんへあなたたちに戦争責任はないのですか.梨の木会(1994) []
  3. 櫻本富雄.歌と戦争.アテネ書房(2005) []
  4. 高橋巌.昭和激動の音楽物語.葦書房(2002) []

Leave a Reply