第321回  夏の思い出

2012.7月寄稿

8月だ、夏だ、アイスの季節だ。アイス・キャンディーで必ず思い出すのは。父の戦友で、我々兄弟が「キンニョの小父さん」と呼んでいた溝口さんだった。確か、室蘭駅の助役さんだったと思うが,開運町の国鉄の官舎へ帰る途中,時々我が家へ寄って油を売っていた。「キンニョ」とは、この人「昨日=きのう」という所を「キンニョ」となるからで、なんでも瀬棚の方のナマリだ、と本人は言っていた。

「キンニョの小父さん」は夏場だと子供達にアイス・キャンディーをふるまってくれるのが常だった。買いに行くのは大体私の役目。行き先は鷹田の小父さんがやっている店で、うなぎの「塩釜」の並び,郵便局より2.3軒目にあった。奥行きが殆どなく間口2間程度に機械が丸見えに置いてあって,アンモニアの臭いもするにはした。アイス・キャンディ―造りの人の話しだと,マイナス25℃から27℃に冷やすそうで、それはもうコチンコチンのものだ。値段の記憶がはっきりしないのだけれど,1本1円でなかったろうか?

因みに比較で言うと,小学.4年頃の映画は4円99銭という半端なもので、姉が東宝のモギリをしていた同級生の内海の話しでは、これは税金対策のものだそうで...とは言うものの,子どもの話しだから,当てにはならぬ。このアイス・キャンディー、とある病院の看護婦が発案したものの由...で,夏の盛り,患者をなぐさめようとて試験管に砂糖水をいれ、「起寒剤」を使って,氷に塩を足す製法で作ったそうな。

「氷の文化史1

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私は苫小牧の図書館で講演したあとは、いつも下の喫茶コーナーでアイス・クリームを食べる。札幌から写真を摂りにきてくれる室工大の卒業生の大西君が、「酒呑みなのに,意外ですね」と言うカラカラになった口の中には,アイスクリームがよく合う。私は風呂上がりも晩酌の前に、先ずアイス・クリームを食べる。バニラ、チョコ何でも御座れで,昨夜は「抹茶」にした。厚岸にはコンブ味、富良野にはホウレンソウ味もあると聞くが、まだ食べていない。ところで、日本人で初めて「アイスクリン」を食べたのは、万延元年(1860)の遣米使節一行の正史・新見豊前守の家来・柳川兼三郎らしいぞ。ところでもう一つ。今を時めく「セブン・イレブン〉、これアメリカ最大の製氷会社サウスランド社が、自社の「袋詰め砕氷」を小売りにするため作った会社なのだーぞ。ついでにもう一つ、私が子供の頃、我が家の冷蔵庫用氷を買いに行くのは私の役目で、行先は旧市立病院の上並びにあった「たけくま」氷店。氷庫に入るとヒャーとして、おがくずの上に置かれた氷をのこぎりで切って、自転車の荷台に乗せてもらって、荒縄で縛り付け、溶けぬうちにーと全速で戻ったものだった。懐かしや!

という訳で、「氷の文化史」を読んでごらん。読むのに夢中になって、キャンディーorクリームをぽたぽたたらしなさんな。近頃では「アイスクリームの歴史物語(原書房/¥2,100)もお勧め。8月だ、夏だ、「ところてん」の季節だ。不思議な食べ物だと、食べる都度思うが、この「のどごし」の良さ、飽きることがないから、いまでは年中食べるが、本来はやはり夏物だろう。「海藻2

「とことてん」は漢字で「心太」と書く。何故か?ところてんは、さらして煮たテングサから作る。テングサは元、ブトと言った。これを煮て溶かすと、よく凝る(こご)るのでココリブとと言い、ココロブトとなまって、これの当て字が「心太」、この「太」が「天」と混同された挙句が「ところてん」ーとは、、かの柳田国男が「食料名彙 」で述べた語源。

私は毎日ではないが、晩酌のあとには「心太」をよく食べる。江戸の昔「ところてん」売りは、頭の上に皿を乗せ、「ところてん突き」で空中に突き上げ、頭で受け取る、と言う妙技を披露した、と長谷川伸の「我が”足許提灯”の記」に出ている。

あの「ところてん突き」の道具も好きだから、本当はこれで突いて食べたいし、出来たら妙技も練習してみたいが、我妻さんの許可がおりぬ。「心太売り」のこと、もっと詳しく知りたければ、「近世風俗志(―)(守貞謾稿)」(岩波文庫)の280Pを御覧あれ!

8月だ、夏だ、「スイカ」の季節だ、と言いたいが、ちょっと違う。私が言いたいのは「味うり」の季節だ、と言うこと。今はメロン全盛だが、戦後は「味うり」だけだった。因みに

メロン、スイカも「ウリ科」で、「西瓜」は、西域(ペルシャ、シリア方面)原産のウリの意だ。ウリは、今やメロンに追いまくられて食べる人もいないし、店頭でも余り見ぬ。しかし、戦後直ぐの頃は、我が家の台所にトマトと一緒に冷水にポカリポカリと浮いていたのは、専ら「味うり」だった。

ところで、この「味うり」は「マクワウリ」の北海道での言い方だたのかしらん。このあたり今一つはっきりとせんが、と来て、思いついて石垣福雄の「北海道方言辞典」を引っ張ったら、「アジウリ(名)メロンの一種」と出ている。そりゃ、まあそうだ。だけどなーメロンのとろけるような果肉、濃厚な甘さ、を知ったあとでは、あの「味うり」の果肉の固さ、ほの甘さは勝ち目がなさそうだが、私にはあの味が忘れがたい。この夏は「味うり」でいこう、どこぞで見つかるだろう。

「野菜の博物学3

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「西瓜」と言えば...私は室蘭が艦砲射撃を受けた時、如何なる訳でか、兄と共に上厚真の石崎さんという兄の援農先の農家に居た。大砲の音で庭に飛び出し、室蘭の方を見ると、黒煙が上がっていた。その時、庭近くの西瓜畑で、もう熟れてしまった西瓜が割れてて、そちこちに赤い実を見せていたのを覚えている。

8月だ、夏だ、花火の季節だ。有名な隅田川の花火の前身たる「両国川開きの花火」は、享保の大飢饉の翌年1733年、餓死者の慰霊の際に、川岸から打ち上げたのが始まりだ...てなことは本にまかせて、「LIGHTupNIPPON〉(ライト・アップ・ニッポン)なるDVDが7月7日から店に並んでいる。これ、1人の若者の発案で、昨年8月11日、東北十ヶ所で一斉に行われた花火大会のドキュメントだ。死者の供養共々、再生、否元に戻るではなく、前より優れた状態になろうとの希望を込めての花火大会ーということで、心を打たれる。是非ご覧あれ。「お兄ちゃんの花火」もいいぞ。

「花火大会に行こう4

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数年前、大分の高校の先生で、柔道部の指導もしている市川君が遊びに来たので洞爺湖温泉の花火を見がてら一泊した。巨漢の市川君が広い背中を見せて、窓の手摺に頬づえついて花火を見ていたのが記憶に残っている。

  1. 田口哲也.氷の文化史.冷凍食品新聞社(1994) []
  2. 宮下章.海藻.法政大学出版局(1974) []
  3. 青葉崇.野菜の博物学.講談社(1989) []
  4. 武藤輝彦他.花火大会に行こう.新潮社(1997) []

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