山下敏明さんのあんな本、こんな本

第330回 言葉の持つ意味の理解のし方

 

世の中には,御苦労な人,というか好きな人もいるもんだな、と思わせられることが時々あるが,先日某紙に載った投書もその類だと私には見えた。

それは①〜選挙報道の写真説明に「耳を傾ける聴衆^」とあったが,自分もやってみたが、首は傾くけど耳だけ傾けることは出来ない....じゃよって(とは私の言い種だが)この表現はおかしいのでは?と言うもの。しかし,言うまでもないが、「傾聴=けいちょう」とは=心を傾けて聴く,熱心に聞くことの意で,おまけに傾には、かたむくの他にそばたてるの意もあり、耳をそばたてる=物音のする方に耳を向けて聞き取ろうとすることだ。

この際、一々,耳だけは動かぬなどと言ってたんでは表現が成り立たぬ。

その投書の主の②つ目は、安倍内閣の閣僚発表の記事に「〜横顔」とあるが、どの写真を見ても真正面からだ.(これは変ではないか)と言うもので、しかし、これもまあ言うまでもないが、横顔=横向きの顔だが、他にこの表現には、プロフィールの意味もあって、それはProfile=簡単な人物紹介、それも、余り一般には知られていない一面を指していて、何もこの文字、物理的に横を向いた顔をさすだけではない。....どうしてこの新聞、投稿者にこの位のことを教えないのだろう。

以上いささか嫌みながら知ったかぶりをしたが、最近其の「知ったかぶり」で他人事(たにんごとではないぞ、ひとごとが正しいのだぞ)ながら「むっ」としたことがある。

それは、知人がさる人に「伊藤若冲」のことを知らせた時に、間違って「若沖」とやってしまった。すると相手から何やら小馬鹿にした態度で、「あ、若冲は二水であって三水ではありませんよ」と返された。他人事ながら、この言い種が、当人共々、私にも「むっ」と来た。それで、慰める気持ちで書くのだが,,,実は「冲」と「沖」は「ちゅう」と読んで、意味も同じく、どちらにも「むなしい」の意味がある。

つまり、漢和辞典で引っ張れば「冲=沖に同じ」とある。そして「若冲」とは、「老子1 」にある言葉で、

それは第45章にある「大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)く、其の用窮(きわ)まらず」で意味は、「本当に充実している物は、一見、無内容に見えるが、いくら使っても無限の功用を持つ」だ。因みに「盈」=「えい』=満ちる=あふれるで、もう一つ因みに、絵好きの青物問屋の旦那に「若冲」なる名を与えたのは、彼のパトロン「大典」なる禅宗の坊さんだ(ではないか、とされている)。

私の言いたいことはこうだ。「若冲」は固有名詞だから、もちろん間違わない方がいい。しかし、小馬鹿にしたほうは逆に「冲=沖」と知っていて言ってるのか?と言うこと。もちっと、優しく言えぬものか!!

以前、NHK室蘭に出ていた時、「〜これを皮切りに~」と言ったら、直ぐに中断で、その言葉は差別語だからダメ、室蘭だからいいようなものの、京都・奈良で使ったら大変です。と言われて,カットされた。

「皮切り」は本来,最初に一つすえる灸のことで,次いで一連の行動の手はじめを指す。ところが,車の中でNHKのニュースを聞いていると、「○○を皮切りとして安倍総理の訪問は〜」などとやっていて、NHKの本家がつかっているのに、分家の室蘭ではダメなのかい?と腑に落ちぬ。

カットされたと言えば、「片手落」と言った時もダメで、これはNHKのみならず北海道新聞と、室蘭民報に書いた時もダメで、更には前々回だったか、この欄に使ったら、私の手書きの文章を打ち直している久保さんにも削られた。

実はこれについては、使っていいんじゃないの、と前から言いたかった。その辺を言語学の田中克彦が説明するには、,,で簡単に言うと,,,「テオチ」ノ「テ」は「手」ではなくて、「解決のテがない」とか「テづまり」とか、「テチガイ」の「て」だ。それに「カタスミ」「カタコト」の「カタ」が付いて「完結しない、中途半端」な「しくじり」と言ったものだ云々,,,で、つまりは「片手のない人」を意味しない、と言う。いや、やっぱり「差別語だから使ってはならぬ」と言う人は、田中の本を一度手にしてもらいたい。「差別語から入る言語学入門2

過ぐる2月14日に児童文学研究者の「鳥越 信」が老衰のため83歳で死す、との記事が出た.確かに年齢からすれば「老衰」と言うのに何の不思議もなさそうな気がするが、実は私はこの人は、「憤死』(=憤慨しながら死ぬ事)したのではないかと思っている。

「憤慨は=不正・不当なことについて、ひどく怒ること」だが、何に憤慨したかと言えば、大阪の例の無法者・橋本の返答にだ.知らぬ人のために詳しく説明すると、鳥越は自分の仕事とした児童文学史の研究で、必要に迫られて集めた、或いは集まった結果の関連本を、驚くなかれ12万冊も大阪府に寄贈して、これ基に府立国際児童文学館が、まあいささか行くに不便な場所だが、吹田市千里万博公園内に、1984年5月に開館した。シンボルマークの横笛を吹く牧神パーンは安野光雅、かの司馬遼太郎も一時理事長をしていた。橋本は私設秘書を使ってこの文学館の利用状態をビデオで隠し撮りさせ、結果、この不経済な文学館を経費節減のため大阪の中央図書館に移転させる決定をした。これに対して、鳥越が寄贈した本を返却せよと迫ると、橋本の返事は、では「全点返します」と言うものだった。「返せと言うなら皆持ってけ」と言うのは,どう見てもヤクザの答えだ。鳥越の言い分は,12万点の資料の持つ意味をもう一度考えてくれ,と言うことの筈だが,橋本相手では話しが理想的にならず,夫婦ケンカで「私の嫁入り道具皆持って出ます」との話しに,亭主が「あ〜,持ってけ」と皆庭に放り出すような趣がある。事は文化の問題であるのに。鳥越の腹は煮えくり返ったに違いない.私が「憤死』と言うのは,これ故だ。「初めて学ぶ日本児童文学史3

2月と言えば7日に,ドイツ文学者の岩渕達治が没した.85歳.紙幅がないので簡単に.ペーター・ヴァイスの「亡命のトロッキー」、

クラウス・マンの「メフィスト」  クルト・トゥホルスキー全集、それに続くブレヒト物の数々、と大いに世話になった人だが,今年はワグナー生誕200周年だから,「ワグナーと人種差別問題4 」を出しておく.読むべし。


  1. 福永光司.老子.ちくま学芸文庫(2013) []
  2. 田中克彦.差別語から入る言語学入門.ちくま学芸文庫(2012) []
  3. 鳥越信.ミネヴァ書房(2001) []
  4. 岩渕達治.ワグナーと人種差別問題.BOC出版(1995) []

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