第367回エリュアール詩集.「自由」ヴェルコール「沈黙のたたかい」そして大野晋

2016.6.寄稿 私が大学生だった昭和30年代前半、上野の方から来て東大前を通り、大塚を抜けて池袋が終点の都電があった。その終点の傍に藁火(わらび)書店なる小さな古本屋があった。

ここでは古本の他に国文社刊の新刊書が結構おいてあって、案外店主は古本屋と出版業の二つをやっていたのかも知れない。何でも噂によると、この人は、天才バイオリニストの巌本真里の実兄だということだったが、はっきりしたことは分からない。国文社刊の本はどれも瀟洒(しょうしゃ)な本で、私は何冊も買ったが、中の根岸良一訳のポール・エリュアールの詩集はいずれも「ポピー叢書」なるシリーズの本で、1つは「寝台テーブル」、一つは特製私家限定版100部の中、No53とある「記憶すべき肉体」で、訳者のサイン。で、久し振に棚からこの2冊を出してみたら,奥つけにこの本の印刷所は藁火書房印刷部とある。そうか、国文社そのものではなくて印刷を請け負っていたのかーと記憶を訂正した。

ところで、エリュアールの本を出して来たには訳がある。それは詩人の木島章の萩野アンナに関する文章を目にしたからで...私は萩野アンナは最初からラブレー研究家だと思っていたがそうではなくて、最初、詩人たらんとしたがダメで、ラブレー研究及び小説に転身した由。そのアンナが昨年11月のフランス同時多発テロ事件の後、パリのテロ現場を訪れたそうな。

そこには花束やローソクの他メッセージ入りのカードが沢山あって、中に小学生がエリュアールの詩「自由」から各自選んだ1節に絵を付けたものがあって、これを見たアンナはこれぞ「詩が生活に根付いている証拠だと思ったのだ」と言う。いい話だ。「自由」は100行余りの詩だ。フランスの詩人ポール・エリュアール(1895−1952)はダダイズムからシュールレアリズムに移った人で、ファシズムに対して果敢に闘った人だ。エリュアールに霊感を与えたのはエレーナ・ディミトリエヴナ・ディアコノワ、通称(自称)ガラなるカザン生まれの女。ダリともマックス・エルンストとも関係をもったこの女については、「ガラー炎のエロスー 」と題するD.ボナのいい伝記がある(筑摩書房)。という次第で、パリの小学生はともかく日本では今あまり読まれていないのではと思われるエリュアールの「詩集1 」を出してみる。「自由」も無論入っている。詩は苦手だという人には、私は最近のエリュアール本は知らぬので、昔読んだ嶋岡晨の「愛と抵抗の詩人たち2 」(第3文明社・1973年刊)を出しておく。私が高2の時の担任は小樽商大出のH先生で、いつぞや遊びに来いと言われて行くと、「今どんな本をよんでいるか?」と聞くので、その時定期に購っていた新潮社と三笠書房の世界文学全集の中、スタインベックの「怒りの葡萄」とサテングジュペリの「夜間飛行」だというと、先生は人名・書名共に知らなくて、私は、商大は文学は教えぬ所だと納得した。

大学へ入ってフランス語を取ると、栗田勇が先生で、背が低く顔が大きく、不機嫌そうな人だった。ロートレアモンの「マルドロールの歌」が栗田の代表訳だが、私は先に読んでいた青柳瑞穂の方が好きだった。それはともかく栗田が最初にテキストにしたのはサテングジュペリの「星の王子さま3 」で、その次はモッパーさんのナントカだったがこれは忘れた。「星の王子さまは」の方は、フェリス女学院から来たA子が、すぐに訳本を見つけてくれれ助かった。A子は後で知ったが、一水会の長老木下孝則画伯の娘だった。

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これはともかく、リヨンの名門貴族の末たるサンテグジュペリは周知のように、第二次大戦中、偵察飛行隊員となり、1944年7月コルシカ島の基地から出て行方不明になった。そのサンテグジュペリの記者章がスペインはトレドで発見された、と過ぐる7月7日に発表された。

ところで、「星の王子さま」については、母親べったりで大人になれない青年の現実回避の話だ、とするユング派の精神分析学者、M.L.フォン・フランツ女史の「永遠の少年」(紀伊国屋書店/1982年刊)なるモーレツな本もあるから、この際「星の王子さま」は避けて、懐かしや最初の訳者・内藤濯(あろう)の「星の王子さまと私4 」を出しておこう。ここまで書いて思い出したが、1994年2月にサテングジュペリの顔と「星の王子さま」をあしらった50フランの札が出たが、名前にミスプリントがあって。結構な騒ぎになったことがあったな。

アウシュビッツで死んだ女性作家イレーヌ・ネムロフスキー原作(未完)のフランス映画「フランス組曲」を観た。ドイツ軍がフランスを占領した時の、フランス中部の田舎町での出来事。接収された屋敷でのドイツ軍中尉と、住人で戦地にいる夫の帰りを待つフランス人妻との話。傑作、観るべし。

接収された家での、ドイツ軍人とフランス人家族という設定は、結末が全く違うものの、ヴェルコールの傑作小説、戦後に河野与一と加藤周一の共訳で出た「海の沈黙」を想起させる。「海の沈黙」は「星への歩み」と一冊に収められて、今岩波文庫にはいっているし、DVDも今店に並んでいる。征服という形をとって現れたドイツの文化と征服されたフランスの文化は折り合えるのか-必読の本・必見のビデオだ。この本の後にヴェルコールの書いた「沈黙のたたかい5 」の方が今では珍しいから、こちらを出しておこう。訳者の森乾は詩人・金子光晴と森三千代の息子。

中国女性の「志賀直哉で、世界文学を読み解く」なる本が出た.書評子が「〜外国人にとっても平明と言われる志賀の文章について解明します〜」と紹介する。読んで、私はへえー、まだこういう人がいるんだなと思いながら、2010年(平成22年)8月22日付け室蘭民報の「本の話」NO.554で私自身が書いた話を思い出す。それは昭和20年の敗戦後、「日本の国語ほど、不完全で不便なものはない」から、文化国家になるためには「フランス語を日本の国語としてはどうか」と提案した志賀の馬鹿ぶりを書いたものだ。

この志賀の愚かさを嘆いて、私同様志賀に決別したのが、国文学者・大野晋で、「〜確かに彼は明晰な文章を書いた。しかし〜」と批判の一文を「日本語練習帳」(岩波新書)に載せた。その大野の伝記「孤高6 」が文庫本になった。如上のエピソードも載っている。


序でに言うと、大野は語の概念があいまい、論理の乱れ他で、「小林秀雄の文章は大学入試問題にするな」と言う。私はこれにも賛成だ。

 

  1. ポール・エリュアール.自由.朔北社 (2001) []
  2. 嶋岡晨.愛と抵抗の詩人たち.第三文明社(1973) []
  3. サンテグジュペリ.星の王子さま.岩波文庫(2000) []
  4. 内藤濯.星の王子と私.文芸春秋(1968) []
  5. ヴェルコール.沈黙のたたかい.藤森書店(1978) []
  6. 川村二郎.孤高.集英社文庫(2015) []

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