第380回(ひまわりno196)戦争とスポーツ・台湾を描いた画家たち

2017.8.8寄稿

今日は8月8日(2017)、甲子園で第99回高校野球選手権大会が開幕するーと、朝刊に出ている。北海道の滝川西高の堀田将人(しょうと)主将が選手宣誓。始球式の投手の役は長島の次女三奈が勤める、とある。

読みながら平和だな、目出たいなあーと思いつつ、頭に浮かんでくる言葉がある。『金属類回収令』がそれ。

これ、何だ-となると、先の大戦で、戦争を始めたはいいが、元々資源のない日本だから、たちまち物資不足に陥った。中でも足りなくて困るのは鉄だ。戦車・軍艦・銅etc.の金属類を、呆れたことに一般家庭から集めようとした。これについては幼い私にも記憶がある。町内からのお達しが来て、我が家でも、母が嫁入りに持ってきた銅製(と思うが)の花器他を一間に集めていた。序でに言うと国民学校生だった私の学生服のボタンも、その余波で全部瀬戸物になった。

花器まで集める位だから、二宮尊徳の銅像も狙われて、地方の鉄道レールも狙われた。殊に複線の鉄道が単線にさせられ....で、例えば四国は松山の伊予鉄道高浜線。松山→高浜間 9.4㎞のレールも提供され、1945年2月21日には単線運行となった。

松山在住の「ふくろう文庫」の協力者、俳人の栗山恵美子女子は、私より若いから、この事知らぬかもしれんな。

「甲子園」に話を戻そう.1924年(大正13)竣工の甲子園は、1943年(昭和18)に軍に接収され”大銀傘”と呼ばれた名物の屋根の鉄柱が「金属類回収令」にやられて回収された...はいいが(良くないけど)、これ結局、鉄砲にも砲弾にもならず神戸製鋼の工場内に放ったらかしにされていたと言う。何時の世もこうしたもんだ。

因みに、野球大会最後は1942年(昭和17年)、後は軍が接収して、スタンドは高射砲陣地、グランドは芋畑、スタンドの下の部屋は軍需工場となり、挙句、広島に原爆が落とされた同じ日の8月6日未明、B29が甲子園を攻撃して6,000個の焼夷弾を投下し、3日3晩燃え続けた。ところで、回収された鉄柱は何故放置されたか。実はこれ軍艦を造る筈が、この鉄柱、軍艦向きでないと判明して放っとかれたと言うから、「馬鹿みたい」でなく「馬鹿そのもの」。

名投手沢村も、大洋のエースで四番打者の名選手・野口二郎も皆戦争で死んだ。世の中平和でなきゃだめなのだ。目下、アメリカと北朝鮮の、いずれおとらぬクレージーが、ドンパチやらかしそうな顔をしているが、安部も管も馬鹿イナダの後任も、巻き込まれてはならぬ。安部以下皆してお得意の「問題ない」を連発して惚けるべし以上の事どもを知りたい人は廣畑成志の「過去の戦争とスポーツ1 」シリーズを読んでくだされ。

私の兄は皇国主義教育下の中学生で軍国少年だった。剣道部の主将で、敗戦後剣道が占領軍によって禁止された期間は別として、生涯(と言ってもまだ生きているが)剣道を続け、国体で優勝し、最後は北海道剣道連盟の会長を務めたから、民主主義教育下、野球少年となった私とは自ら違う点がいくつか(いや、いくつも)ある。その一つが歴史観だと私は思うのだが、例えば私が中学1年の時に、今井登志喜の本を買ってきたら、そんなのは止めてこれを読めと、竹山道雄の本を出されたことがある。私が今井の本を選んだのは誰かに勧められて...ではなく自分で面白そうだとおもったからなのだが。それで何時ぞや何の話から蒋介石の話になった時。兄が「蒋介石は偉い奴だ」と。私は蒋介石も、対する毛沢東も、ちっとも偉いとは思っていないので、この時は黙っていた。

ところで何年前だったか、一週間かけて台湾を一巡りした。何人かのツアーだと思って行ったら、我々夫婦だけで、あとは通訳と運転手だけ。この運転手、兵役を終えたばかりの男で、一週間殆どしゃべらなかった。その分、しゃべくりまくったのは通訳の薛(せつ、と記憶するが)なる台北帝国大学出と言う男で、これが朝迎えに来て、夕方ホテルに着くまで間断なくしゃべる。その日本語の流暢なこと驚くばかり。聞いて答えられぬこともなしのの有様。

それはいいが、夜、妻と名乗る人からTELが来て、「うちの人はちゃんと働いているか」なぞと日本語で聞いて来る(日本人妻か?)。このあやしげな通訳、帰国する際、他の通訳2人にそれとなく聞いてみたら、2人とも顔をしかめて舌打ちしたところを見ると、芳しからぬ人物だったのかも知れぬ。この通訳には、つまり辟易した訳だが、この男以上に辟易したのが「蒋介石」。

「何故??だって??」、それは台湾一周、いく先々にある馬鹿でかい彼の銅像。「中世記念堂」内の、こちら身の丈の3倍はありそうな坐像、見た途端にうんざりしたが、通訳曰く「どこかで見た覚えがないか」と。「はて、さて」と思っていると、この椅子に座った姿、かのリンカーン像の真似だと。納得した。この通訳が言うには「犬のあとに豚が来た」と。犬は日本統治時代の日本軍で、これは威張るばかりだから威張らせておけば良かったが、毛沢東に負けて台湾にやってきた豚=蒋介石=国民党軍の貪欲さは切りがなく、根こそぎ奪う熊のものだったと、=これ、何でも食う豚。

私はさもありなんと思って聞いていた。さて、今月2月末、台湾民進党の蔡(ツァイ)政権は、「脱、蒋介石」を図るため、賞賛する歌の放送や関連商品の販売をやめると発表した.1947年2月、台湾民衆を弾圧する「2.28事件」が起きたが、ようやく蒋反発の動きが出てきた訳で、私なぞは、台湾の景色もすっきりするんじゃないの、と思う。

ところで、この蒋介石は、日本は戸山の軍人学校の留学組だが、陸軍省の記録には「逃亡帰国者3名」の一人として残っている由。劣等生だったらしい。譚璐美(たんろみ)の「帝都東京を中国革命で歩く2 」に出ている話。

台湾と言えば、上記の「2.28」事件で蒋介石によって群衆の面前で銃殺(公開処刑)された画家・陳澄波(東京芸大出)の作品が山口県防府市の市立図書館で発見された。類書が少なく私が珍重している「台湾を描いた画家たち3 」に伝記が出ているので、市際委細は同書に委せる。最後は、悪書「我が闘争」をもって世界征服を企てたヒトラーに抗するには、数々の善本・良書を読むことで抵抗した兵士達の物語、つまりは「本の偉大な力」を証明する素晴らしい本を挙げておく。本への信頼が益々強まる。「戦地の図書館4  」


  1. 廣畑成志.過去の戦争とスポーツ.本の泉社(2016) []
  2. 譚璐美.帝都東京を中国革命で歩く.白水社(2016) []
  3. 森美根子.台湾を描いた画家たち.産経新聞出版(2010) []
  4. モリー・クプティル・マニング. 戦地の図書館.東京創元社(2016) []

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