第050回 「おなら考」と「ホ」の本

`94.4.22寄稿

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは柿好きで有名な正岡子規の句で「法隆寺の茶店に憩(いこい)いて」の詞書(ことばがき=説明文)がある名作です。「日本名句事典」をみると「くえば」の「ば」は「已然形(いぜんけい)につく「ばで,偶然的な関係を示すものである」とむずかしいことを言ってます。

何故、こうことわるかと言うと「ば」を柿を食べた「ので」だとすると、それならリンゴでは?ブドウでは?どうなるか...を試してみなければならないからだ、と言うのですから,歌人とか,俳人にも,理屈っぽいというか実験精神の多い人がいるものとみえます。

もっとも、いとし・こいし(だったか)の万歳に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、どや、いい句だろう」「フムフム」「おつぎ、芋くえば鐘が鳴るなり法隆寺、ではどーや」「へえー(屁えー)」というのがありましたから、○○くえば、と切りなくやってみたくなる人もいるのかも知れません。

「屁』と言えば,私が小学校4年生の時ですが,長姉が行っていた女学校で、修学旅行か何かがあって,早朝室蘭駅(室蘭港?)を出発する為に,バスだ汽車だの便の悪い時代でしたから,郊外に住んでいる女学生達数人が,駅近くの町中に住んでいる私の家に泊まったことがあります。

中に「田島のやっちやん」とか言って美少女で鳴っていた人もいて,その晩はたいそう賑やかでしたから、私も生意気に気がたかぶって仲仲寝つかれずにいました。

彼女達は,襖1枚隔てた隣室に寝ましたが,驚いたのは、彼女達が寝ながら大いに「おなら」を落とすことでした。

考えて見れば,敗戦直後の食糧難の時代です。芋だ、南瓜だと、いわば「屁種』ばかり食べている時代ですから、乙女達か次々と妙なる音がもれたのも、無理はなかった、と言うべきでしょう。

私は、美少女を含めた彼女らの行為に幻滅して世をはかなんだ訳でもなく、さりとて「屁なりとてあだ(=むなしいこと)なることと思うなよ、ぶつと言う字は仏(ほとけ)なりけり」と詠んだ大僧、仙崖(せんがい)のように悟(さとり)を開いた訳でもなく、只只驚いただけでした。

ところで、貴方の地方では「おなら」を落とすことを何と言いますか?北海道では、私の子どもの頃は「屁をふる」と言いました。これは「屁をひる」がなまったものでしょう。

さて、「おなら」といい、「屁」と書きましたが、一体「おなら」と「屁」とは違うものなのでしょうか。「広辞苑」では、「おなら(音を出して屁をひる「鳴らす」と言うより)屁の異称」とあり、そこで「へ」をひくと「屁=おなら」とあって、つまり両者同義ですが、これが実は違うのです。どう違うのか???

それはさておき、私が中学校の3年の時の担任畠山先生は、意地が悪く、子供心に好きになれませんでしたが、この先生が或る時曰く「便所でツバやタンを吐いてはいけない、何故なら、便所の神様は片手でウンコを、片手で小便を受けて手一杯になるからその他のものはダメなのだ。」

私は聞きながら、それはどういゆう本に出てくるのか、つまり出展は何か、それを教えてほしいいと思いましたし、「それじゃ、屁は誰が受けてくれるのか」という疑問が湧いて来て、この話しには不満が残りました。

あとになって厠(かわや=便所)の神様には。うんこは埴山姫(はにやまひめ)、小便は水岡女(みずはのめ)の二神がいるということがわかりましたが、それでは「屁」の神様は誰なのか、そもそも、いるのか、いないのか?

こんなことを知ったとて「屁にもならぬ=何の役にも立たぬ」と思う人はともかく、いや、これは面白そうだ、知りたいーという好ましい好奇心の持ち主、つまりは真性(しんせい=ほんもの)の物好きにとって、恰好の(かっこう=適当)の本が出ました。因みに、司馬遼太郎曰く「私は、日本文化の一側面は物好きの文化だったと思っている。」さて、恰好の本とは、佐藤清彦「おなら考1 」青弓社です。「屁学」の百科事典と称するに価する良書で、一嗅(か)ぎ、いや、一読すれば、「屁の滓(かす)のよう=屁の如し=(無価値)なほんではいということがわかります。心の楽しみに又とない肥やしとなる本です。

これに先立つものに、中重徹「一発2 」があります。これは「評論」「医学」「随筆.小説」「笑話.落語」「俳句.川柳.ことわざ」「民話.伝説」「わらべうた.民謡」「海外編」の章仕立ての「屁」にかんしてのアンソロジー(=詞崋集=しかしゅう=詩文をあつめたもの)で、これ又中々面白いのですが、残念なことに「二発目」とは行かず今は絶版です。

さて、最後に「おなら考」の佐藤清彦も気付いていない(らしい)本を紹介しましょう。

池田一歩の私家版、1000部限定本の「「ホ」の本」です。」330番。

これは、「品を重んずる性格」と自ら言う池田が「生物の生理現象の屁を(He,Hi)などと発音することを嫌い、これを(HO)と発音することにし、題材をHoに求めていろいろと歌ってみた」「一般の知る㋬ヒでないもう少し品の良い㋭」ばかりを集めたという句集です。「「ホ」の本3

全部で何百首あるでしょうか、まあ少し見せましょう。

・鯨のホ 小舟を一層難破させ」

・「蛇のホは 曲がりくねって長くのび

・「蛍のホ 出口が光輝いて

・ 「あんいやん あんいやんとて二度も出し」

・「ピアニスト 音に合わせてごまかしホ」

・「桜花 ホもひらぬのに 頬染め」

・「与作のホ こだまが返ってヘイヘイホー」

最後に悟りとも言える一句

・「なぜ力むホにも足りない人生を」

どうでしたか、私も、屁んな、いや珍しい本を持っているでしょう。「屁屁ん」!!

「屁」からの連想と言うわけではありませんが、おまけを一つ「うんち」の本です。


  1. 佐藤清彦.おなら考.青弓社(1994) []
  2. 中重徹.一発.葦書房(1977) []
  3. 池田一歩.「ホ」の本.アイ・デザインスタジオ(1989) []

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