第051回 丁半国境 西木正明

`94.5月10日寄稿

「昭和12年大晦日の午後4時45分、しんしんと雪に降り込められている敷香駅に到着した列車から若い男女が降り立った。〜10分後、この男女は宮通りの山形屋旅館に旅装を解いた。この頃敷香は人口3万人余を誇り〜盛り場のカフェや飲食店の数は、島内随一であった。しかし、この男女はそうした町のにぎわいに接するでもなく、部屋に引きこもったまま一夜をすごした。」これは西木正明の「丁半国境」の一節です。しかし、事実はちょっと違う様です。「1937年の大晦日、当時樺太(サハリン)の敷香(しすか=ポロナイスク)で両親が営んでいた旅館山形屋は夕方から家中、年越しで大忙しであった。そこへ二人の客が突然、玄関に入り,〜その夜は(この)二人をお招きし,宿泊していた方や,町の名士も加わって年越しと歓迎の宴となり、そのにぎわいは深夜まで続いたと言う。」

これは函館市に住む主婦木戸巻子さんが1992年2月19日に新聞に投稿した一部です。察しのいい方ならお分かりのように,西木の言う男女、木戸さんの言う二人の客とは,1938年1月3日、国境を越えてソビエトに亡命した女優の岡田嘉子と演出家の杉本良吉です。木戸さんは続けて書きます。「3日,岡田さんと杉本氏の二人は早々荷物を馬橇に積み込み〜〜警察から二人が越境逃亡したと連絡があったのはその夜で家中大騒ぎとなった。〜それにしても岡田嘉子さんの白魚のようなきれいな手に触れたのは初めてでと,今は亡き母が印象をかたっていたものだった。」

次は、当時わずか、16歳で敷香の客馬そり組合員をしていて、「岡田さんと杉本氏の二人を馬橇に乗せ,国境近くまで運んだ」と語る伊藤清一郎さん(元白糠町議)の言葉です。「乗って来たときはきれいな人だと思った。途中で「ここはどのあたり」と説明したと思う。〜岡田さんの横の男性はとてもハンサムだった。」木戸さんの文章にも,伊藤さんの談話にも,亡命した2人をなつかしむ気持ちは感じられても恨んでいる様子はうかがわれません。

ところが、ここに岡田嘉子に憎悪の目を向ける1人の男が居ます。

上司に命じられて,当時2人を国境まで案内した巡査の山上元治です。岡田と杉本の二人の越境を見送ったとして責任を問われた山上は,警察を追われて山林労務者をなり、さらに敗戦でソビエトに抑留され,つまりは人生を大きく狂わせられます。

二人を見過ごしたばかりにありとあらゆる辛酸をなめ尽くした男の一生を描いたのが冒頭に引用した西木の「丁半国境1 」です。「オホーツク諜報船」でノンフィクション・ノヴェルなる分野を開いた西木のこの本面白くない筈はありません。

さて、独裁者スターリンを神と仰ぎ,ソビエトに理想郷を夢見ていた杉本と岡田を待っていたのは,理不尽な逮捕と過酷な(かこく=むごい)取り調べでした。その辺の事情を含めて己(おのれ)の来し方(こしかた=過去)を語ったのが岡田の自叙伝とも言うべき「ルパシカを着て生まれて来た私2 」です。

ところで、杉本良吉は獄中で病死したとされていましたが,その後の調べで,実はスパイ扱いをされた上、銃殺されたいたこと、しかもそれが拷問に屈して虚為の自白をした岡田が原因であることが分かりました。岡田はこの事は語らずに逝きました。

亡命後岡田から離されて後、モスクワ郊外で銃殺されるまでの杉本を描いた、大西功の「織田作之助賞」受賞の「ストルイピン特急3 」も読むに価する力作です。貴方ならこの三冊から何を感じますか。


  1. 西木正明.丁半国境.文芸春秋(1993) []
  2. 岡田嘉子.婦人画報社(1986) []
  3. 大西功.ストルイピン特急 .関西書院(1995) []

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