山下敏明さんのあんな本、こんな本

司書独言(166)

⚪️月⚪️日 2歳の孫が「茶色のフォークちょうだい」というので台所中のフォークを出しても該当なし。すると「大きいの!背中かいいの」で孫の手と分かった、云々との面白い投書が出てた。

読者は孫の手は「麻姑の手」が語源だと御存知か?。漢の時代に故余山で仙道を修めた仙女、爪が鳥の爪の如しで,後漢の蔡経がそれを見て背中が痒い時その爪を借りればきっと届くだろう、と思ったのが始まり。これを称して「麻姑掻痒」と言う。痒いところに手が届いた訳だ。

⚪️月⚪️日 投稿川柳で「一つしかいつも使わぬ多目的」と言うのがあって思い出したことがある。室工大在勤中、我が家に飲みに来た連中は何故か建築と電子が多かった、その建築の連中がいつも言うには、設計図に「多目的ホール」と書き入れる奴は,設計家としては失格だと言うもので、その理由は確たる使用目的が思いつかない時にそう言う逃げ方で、図面上お茶を濁すのだとの意だった。ところで目下青少年科学館と図書館の合体案が出て来て、ワークショップが持たれ、親切な人が何人も「ふくろう文庫」の希望を訊きに来てくれる。

⚪️月⚪️日 当方としては最小或いは最低望みたいのは、絵巻を広げることが出来る長ぴょろい廊下状=うなぎの寝床のような部屋と、それに付随して、軸物をかけること可能な窓なしの壁面、それに並みの本とは違って、重たい大型の美術書を並べる開架閲覧室、そして普段はできぬ一枚物や先の絵巻、掛け軸の収蔵室、最後にをれを整理・分類したりする作業室だ。毛利の殿様の博物館には、国宝雪舟の絵巻が展開可能な16メートル余のショーウインドウが腰の高さに設けられていた。掛け軸をかける壁面にガラス戸が要ることは勿論だ。何にしても設計の段階で、普通の図書館と異なる、美術展示の機能が必要という当方の意図を汲んでくれることが肝要で、安易に「多目的ホール」と出ることだけは避けてほしいいものだ。

⚪️月⚪️日 女性週刊誌なるものを殆ど手にしたことがないが、書評に「天皇、挫折」の文字が大文字で出ているのがあったので手にとってみた。その論旨は...例の戦争法案が強行採決された結果、象徴天皇の国事行為として、これを承認する「御名御璽」をする。つまり天皇の名を書き印鑑を押す。しかし天皇夫妻は長年に亘って先の大戦の激戦地、戦災地を訪ねて慰霊するという「平和志向の行為を重ねてきた。これは立場上政事には口を挟めぬものの、せめて身をもって己の考えを示そうとの心の表れで、昭和天皇の行幸とは異なる平和行脚だ。となれば、いみじくも皆が異口同音に”戦争法”と呼ぶものに同意する筈がない。だが役目として名を記し判を押さねばならぬ。その苦渋葛藤に想いをいたして記者が”挫折”と言った訳だ。因みに昭和天皇でさえ、昭和3年の治安維持法の施行には否定の意を見せて,判を押す時間を遅らせる挙に出た由。せめてもの拒否の姿勢だった訳だ。

⚪️月⚪️日 同記事に名前の出ている橋本明は天皇のいわゆる”御学友”で元共同通信の記者らしいが、天皇はさぞ辛かったろう、むねんだったろうと言った共感を語る。ところで安倍首相は戦前の「終身道徳」復活を目論むが、それは一言にして「忠君愛国」の思想だ。ならば平和志向の天皇夫妻に対して戦争法を認めさせるという行為は、”君の望まぬ事を”を”臣が強要”するということになる。これ「不忠」の最たるものではなかろうか、と常々天皇夫妻の行為に感服している私は不思議でならぬ。投稿句を借りれば「終わりなき平和の祈り両陛下」の意思を最大限尊重すべきが忠臣安倍の役目の筈だ。「パラオでのお姿総理どう思う」というのもあるが、安倍首相は心の中で天皇の行為をセンチメンタルなことを!!とせせら笑っているに違いない。これでは「道徳教育」を一番ないがしろにしているのが、当の言い出しっぺとならないか。

⚪️月⚪️日 天丼を食べに言った店でテレビを見ていたら、「金父子」三代70年記念とかで、特集をやっている。隊列組んでのあの馬鹿馬鹿しい行進。短い足曲げずに大地踏みしめ、と言うより叩きつけてのあの歩き方、あのショックは脳にいい筈がない。労働者が休み時間に街頭でバレーをやっている。床屋では金三代目の髪型にしてくれとての青年の散髪風景。オール電化地下鉄風景。見ながら、これ全てやらせだと思う。あのスターリン独裁の時もそうだった。一番すごかったのは「モスクワ裁判」他の公開裁判。世界中からマスコミを呼んでおいて,政敵に拷問で強制的に記憶させた罪状?を告白させて、国家反逆罪で粛清していった。この時には獄中で痛めつけた痕跡を消すため、急いで太らせ赤外線で焼いて健康色をつけ、といった事までして世界を欺いた、恐怖政治の下、画面に出る人間が真実をしゃべる筈がない。少年院でも視察の外国人に一寸でも恐怖政治の片鱗を分からせるような表情をした子供達は視察後すぐに殺された。それでも当時、名だたる作家やジャーナリスト達がスターリンのこの”やらせ”に気づかなかったのだ。もって戒めとすべきこの誤認を世界が再び犯してはならぬ。

⚪️月⚪️日 ボトルに「100万本のバラ」のモデルと一時言われた、画家ピロスマニの画を浮き彫りにしたグルジアワインを阿部くんが呉れた。デザインも味も気に入ったが、このグルジアがジョージアに変わった。グルジアの方が異国的響きでいいと思っていたが、当の国では自分達をサガトフェロと呼ぶ由で、グルジアはロシア語だから嫌だと言う。グルジア人のスターリンに弾圧されて来たという皮肉な歴史を思えば,成程なと思う。因みにグルジアと呼んできたのは日本とロシアだけなんだそうだ。聞いてみなけりゃ分からぬものだ。

Leave a Reply