司書独言(114)

○月○日 ノートパソコンを使っていた男が疲れたのか、パソコンの上に突っ伏して寝てしまい、それも4、5時間と長くて、気付いてみたら右頬に全治30日を越す火傷を負っていた、と言う事件が長野で起きた。新たな現代病か???

○月○日 今上天皇の身体具合が悪いらしい。平成も既に23年過ぎた訳だが、お疲れもあるだろう。昭和天皇の在位は随分と長かったが、昨年末、その昭和天皇に、「原爆投下の事実をどう受け止めになったか?」と質問して、「やむを得ないことと思っています」との回答を引き出した強者のジャーナリスト秋信利彦が死んだ。この天皇の回答は大いに議論を呼んだものだが、戦争を止められなかった事に対する謝罪と、それに伴う退位については、岩波新書の原彬久著「吉田茂」によると、この二つとも天皇自身は考えぬではなかったが、吉田が止めた、言うのが事実だそうな。

○月○日 天皇で思い出すのは三島由紀夫だが、昨年末はその没後40年と言うことで賑やかだった。関連本は次々出るし、新聞では色々論ずるし,,,「潮騒」は私が高の時に出て、直ぐ映画になって私も観た。これで私は「青山京子」のファンになったが、この小説、大学に入ってから読んだギリシャのロンゴスによる「ダフニスとクロエ」が種本だと知って、何じゃらホイと思ったことだった。ロンゴスの方がずっといい。

○月○日 三島が自衛隊に体験入隊すると、サインを求めてくる隊員が結構いたが、それは三島を作家として知って来たのではなくて、「おれはお前に弱いんだ」を歌った歌手の「三島敏夫」や俳優のあの茶坊主みたいな「三島雅夫」と思って来たのでつまりは人違いだった由。これでは、来た方も来られた方も、双方共にガックリきたことだろう。人違いと言えば、当時、香港の新聞には「三品行雄、割腹自殺」と出たそうな。これではノーベル文学賞候補も形無しだ。

○月○日 三島のおかげで割を食ったのは人質にとられた益田兼利(ました)統監だが、この人の長男で父と同じく東部方面統監を勤めた兼弘は、父は最後まで三島を恨んでいなかった、と語り、加えて「軍事集団が大手を振って歩く時代は来てほしくない」と断言する。没後40年で発言されたものの中で一番私の印象に残ったのは、この言葉だった。無論賛同の意味でだが、逆に呆れたのが一つあって、それは「道新」に出た、フリーターとやらのもので、自分も時が来たら三島のように振る舞いたい、割腹自殺も辞せずみたいな内容の一文だった。いや、居るもんだなあ!!と言うのが私の感想だ。

○月○日 灯油が値上がりと思っていたらコーヒーまで高くなって来た。私は毎朝2杯のコーヒーを飲むが、今一番飲んでみたいのはスマトラの「コピ・ルアク」なる銘柄(?)何しろ、これ野生のジャコウネコの糞を洗って干し、その後煎ったもの。この猫標高1400mの高地でコーヒー園のアラビカ種のコーヒー豆を食べるそうで、それが腹の中でうまい具合に発酵し糞となって出るものだそうな。

ところで、北京の故宮内に店開きしていたアメリカのコーヒー店・スターバックスが昨年末閉鎖に追い込まれた。つまり、アメリカの習慣がはびこるととらえた連中が「中国の伝統文化を踏みにじっている」と言い出したからだ。全く理に合わぬ。自分たちは世界中に中華街を作るくせに、何をそんなにとんがるのか。と思っちゃうね。

○月○日 「TPP」やらをめぐって甲論乙駁かましいが、これで又してもアメリカにやられるのか、との思いが強い。これで思い出したのが先日前原誠司外相の発言「もはや思いやり予算と言う言葉は適当ではない」と。じゃあなんて言うんだと思っていたら、「ホストネーションサポート」か或いは「接受国支援」としたい、と。これではまるで政治家と言うより、三百代言に成って来たとしか思えぬ。まあ、政治家とは三百代言なんだろうけどな。この三百代言にブレが加わるんだから、もはやどもならんな。

○月○日 2009年末に百歳の詩人・まど みちお は新作詩集を出した。中には赤ん坊を歌った詩もある。「どうもまぶしい/とおもってハッときがついた/だっこされているんだ/かみさまに!」。そんなまどが戦時中に書いた戦争詩が見つかって、議論を呼んでいる「この戦争は/石に齧りついても勝たねば/ならないのだよといえば/おまえはしずかに/私のかほを見まもり/ふかい信頼のまなざしで/うなづきかえす」てなもんらしい。時流にながされて、イヤイヤ書いたものだろうが、時が時ならまど程のひとでもこうなってしまう。こういう時が来ることがないのを切に祈るが、きなくさいことを煽る手合いが最近とみに増えているような気がするなあ。

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