司書独言(158)

○月○日 長崎屋の閉店で仏坂から西に本屋が亡くなって2年、それが再開した。嬉しい事だが、開店の広告を見てゲンナリ。文芸書ベスト5の一位が百田尚樹の「純愛」と来た。これ昨年の11月21日に“たかじんの”の娘が発行元の幻冬舍に出版差し止めの訴訟を起こした本。土台これ、テレビの「金マス」とやらで、病んだたかじんの体を拭くのにタオルを熱湯に浸して両手を火傷したとか、24時間介護の疲れで突発性難聴になったとかの妻君を、百田が「天使」と持ち上げての美談連発に、視聴者からの、この妻、実はたかじんと交際中、別の男と婚姻関係にあったetc.の実態がネットに流れて云々....と...いうケシカラヌ本。

○月○日 安倍首相にすり寄った褒美にNHK経営委員に抜擢されて以来の、およそ作家の風上にもおけぬ百田の言動の数々には、心あるものなら皆顰蹙)(ひんしゅく)と思いきや、そんな男の本を金を出して読もうという、これこそ浪費の極みというべき事をして百田に印税を得させてやるお人好しが室蘭にもいいるからこそのベスト1。本屋に責任はないが情けないの一言。

○月○日 自民圧勝となった先の総選挙。崖っぷちに立った小渕サンも、団扇のあおぎ過ぎで冷や汗かいた松島サンも当選というから、つくづく太平楽な国だが、その後の各紙の論調が実に呑気だ。曰く「有権者は政策の全てを白紙委任した訳ではない」から、以後は「異論」を「見解の相違」で片付けるなとか、「勝っても奢るな」とか社説担当の連中、安倍首相がこれを聞くと思ってんだろうか。

○月○日 国学者の金田一春彦は、かつてお上に楯突いたことのない人と私はみているが、この金田一でさえ、安倍首相の討論の仕方について、論点をずらすとか擦れ違うでなくて、はなから答える気がないと指摘し、「まさに」を連発するが、それは中身のない軽い言葉で、つまりは言葉に信を置いていない、との危惧の弁を述べている。作家の橋本治も、安倍首相の答弁が尋ねた事に対して向き合わないと批判している。

○月○日 どう見ても、投稿川柳にある「聞く耳持たぬ首相が民問う」が実態ではないか。かつて当たらぬのは天気の予報だったが、この所当たらぬ一番は新聞の社説ではなかろうか。世論をリードするべき社説たるもの、もうちょっとシャキッとして欲しいものだ。

○月○日 私は新聞で、かつて目にした事ない苗字に気付くと切り抜いて、私の「珍姓難読苗字辞典」に加えていく。で、今日目にしたのは「二位さん」。ドイツ文学者の池内紀に「二列目の人生、隠れた異才たち」なる著書があって帯の文句は、「一番を選ばない生き方」。南方熊楠にも匹敵する植物学者・大上宇一から始まって、古橋を抜けなかったもう一人のトビウ橋爪四郎まで計16人の生涯が描かれている。しかし、この二位さん、選ぶも選ばぬも最初から二位で、たとい一番取っても表彰台では「二位さん」と呼ばれる訳で、おっとりしたいい名だなあ。

○月○日 「二位さん」を切り抜いたら、二、三日して偶然にも「二界さん」が出た。言い換えれば「両界」だが、昨年の10月24日、世界遺産の京都は東寺の灌頂院で、重要文化財の「両界曼荼羅図(1693年,元禄本)が初めて公開された。両界とは「金剛界」と「胎蔵界」で、この縦4.1m横3.8mの曼荼羅図、真言密教の秘儀に使うもの。これの複製が「ふくろう文庫に」ある。野口観光の創業45周年記念にと野秀夫社長からの寄付で買えたもので、丸井今井デパートが健在の頃一度展示した事がある。以来大分経ったから、また開陳してみようかな。

○月○日 「教員養成系・人文社会学科系の廃止と、社会的要請の高い分野(具体的には理経?)への転換」を文部省が国立大学に要請した事に対して例えば文芸評論家の齋藤美奈子は、国側が文学、哲学、歴史学、社会学系等の学問は,何の利益も生まない「無用の長物」に見えるのだろうとして,文化を育む教養に危機迫りの論を張っている。阿刀田高も山崎正和も先頃「知」に対する欲求が失われつつあることを嘆いている。ノーベル平和賞のマララちゃんは「一冊の本があれば,人も世界も変わる」の意を主張しているが、その一冊が百田尚樹の小説である筈はない

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