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	<title>山下敏明さんのあんな本、こんな本 &#187; あんな本、こんな本</title>
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		<title>第317回日本美術所蔵世界一のボストン美術館</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 09:01:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.3寄稿 3月24・25（土・日）の両日、｢モルエ中島」で「ダ・ヴィンチのパリ手稿展」をやるのに、色々と頭をひねっていて．．．諸事万端、この人が居ない始まらぬ、と言う程に気の利く妙女にTELをかけた。ダ・ヴィンチ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.3寄稿<br />
3月24・25（土・日）の両日、｢モルエ中島」で「ダ・ヴィンチのパリ手稿展」をやるのに、色々と頭をひねっていて．．．諸事万端、この人が居ない始まらぬ、と言う程に気の利く妙女にTELをかけた。ダ・ヴィンチのパリ手稿=手帳の大きさは、掌大から大学ノート大まで様々で、普通ならこれを開いて出せばいいのだが、如何せんダ・ヴィンチはいわゆるギッチョ=左利きで、そのアルファベットは、したがって逆さ、つまり「鏡文字」になっている。<span id="more-4703"></span></p>
<p>それを正常に見せようと、まず小幡由紀子さんから、藤娘とやらが入っていたと言う人形ケースを譲ってもらい、函の中の正面に鏡を置き、それに向かって大学ノート大のものをＬ字型に開いて置いて．．．これで見える筈。<br />
次なる厄介は掌大の手帖で、ふと思い付いたのはホテルの鏡の隅っこにある2倍強の奴、それを下に置き、ガラスの鍋かバットをかぶせ、その底に当る部分に手帖をおいて開けば．．．として．．．と言う具合で、<span style="text-decoration: underline;">妙女</span>そして<span style="text-decoration: underline;">泰女</span>に以来、ナントカ揃いそうになってきた。</p>
<p>そのTELの時、妙女が言うにはテレビでボストン美術館の紹介をしていて、絵巻だ、竜だとの話しだ、と言う。私はそれについてすこしばかりかいせつをしてTELを切った。その直後に偶然のように田澤早智子女が来た。</p>
<p>早智子女は、「ふくろう文庫特別展inモルエ中島」他に際してのポスターを書いて呉れている書家で、書の○○展出品などの合間を縫って協力してくれている。早智子女が言うには、92歳になる母親が雑誌「サライ」を定期購読していて、先日行ったらそれを見せてくれた。中にボストン美術館の里帰り展のことが出ていて、読み終わって寝ようとしたら、ナントカテレビで11；00から「ボストン美術館特集」で、絵巻だ竜だと出て来たので、一旦布団に入った母親も起き出して、共々すごいすごいと観たんです、ーと話している所へ、泰女がガラスのバット他を持って来てくれて話しに加わり、「あー、あの絵巻すごかったね」となった。さて話しに出てきた絵巻とは①「平治物語絵巻・三条殿夜討の巻、②吉備大臣入唐絵巻」で竜とは曾我蕭白の｢雲竜図」である。</p>
<p>①は、平治元年（1159）、源平合戦の最初の戦い、とも言うべき「平治の乱』で、三条殿の焼き討ちと後白河上皇の拉致を描いたもので、合戦絵巻の最高峰、縦41.3cm、700.3cm。平治の乱の100年後、13世紀後半鎌倉時代の作。日本にあれば当然国宝。これを持っていた人はかのアーネスト・フェノロサで、これを含めたコレクションを、明治19年（1886）に全部ボストンの大金持ちウエルドに売却、ウエルドはこれを明治44年（1911）に又全部ボストン美術館に寄贈して、以後フェノサ＝ウエルド・コレクションと呼ぶ。</p>
<p>②は、奈良時代、実在の秀才官僚・吉備の真備（きびのまきび）が主人公の絵巻、遣唐使の真備は唐に渡って皇帝に愛されるも、唐人達によって、あれこれの嫌がらせ、又テストを受けさせられる。困り果てた時には先に唐に渡ってその地で死んだ、阿倍仲麻呂（あばえのなかまろ）の霊が出現して助ける奇想天外な筋の運びと、洒落た絵で、実に面白い。</p>
<p>この①と②については私は「本の話し｣に書いたことがあるから、今回はこれくらいにしておく。只一つ、面白さの例を上げるなら、吉備は当時日本にはなかった囲碁の勝負に引きずり出され、辛うじて勝つが、これは一種のカンニングによる勝ちで、私はこれを『日本最初のカンニング｣と名付けた。</p>
<p>この全部で4巻からなる絵巻は、これ又日本にあれば国宝だがナント昭和7年に日本人の手によって持ち出され、ボストン美術館に収まってしまう。持ち出した人は、これ又、岡倉天心の後任者・富田幸次郎。これが物議をかもし、結果昭和8年（1933）に美術品の海外流出を防ぐ法律が出来たが、つまりは｢後の祭り｣と言うか「怪我の功名」と言うか！！さてこの2点の中の①が「ふくろう文庫」にあるのです。泰女が「すごかったわね」といったのがこれ。</p>
<p>早智子女が92歳の母親と驚いた場面とは、三条殿が燃えさかる場面の炎の描き方。実はこの炎日本美術史上三大炎の描写の一つ、と言う人もいる程ののもの。</p>
<p>次に｢竜」と言うのは、曾我蕭白の「雲竜図」のこと。元々は襖の絵で、全部で8面の由。これ、本邦発紹介。さて、ボストン美術館今や、世界一、日本美術を所蔵している館だが、底が今回92点もの、国宝・重文クラスの作品を持ってくる。東京国立博物館での3月20日を皮切りに、最終は最終は平成25年6月16日の大阪市立美術館まで、名古屋、九州とロングランだ。お金と暇のある人は、このいずれかに行くべし。</p>
<p>参考までに．．．．ボストンに何故にかくも多くの日本美術が集まったかを知りたい人には、堀田謹吾の「名品流転<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_0_4703" id="identifier_0_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 堀田謹吾．名品流転．NHK出版（2001）">1</a></sup> 」（NHK出版）</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%90%8D%E5%93%81%E6%B5%81%E8%BB%A2%E2%80%95%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E8%AC%B9%E5%90%BE/dp/4140805811%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4140805811"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/618K6X1WWTL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>と、矢代幸雄の「日本美術の恩人達<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_1_4703" id="identifier_1_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 矢代幸雄．日本美術の恩人達．文芸春秋社（1961）">2</a></sup> 」（1961/文芸春秋社）を。そのボストンで指導的役割を果たした天心を知る為には、吉田千鶴子の「〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたものー〉<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_2_4703" id="identifier_2_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 吉田千鶴子〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたもの．吉川弘文館（2011）">3</a></sup> 」（吉川弘文館)を、</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E2%80%95%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%90%89%E7%94%B0-%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90/dp/464205717X%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D464205717X"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51LSiNGpIpL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>蕭白を含む若沖やら又兵衛らを知りたい人には、それらの画家を発見したと言ってもさしつかえのない美術史家・辻惟雄の「奇想の系譜<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_3_4703" id="identifier_3_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 辻惟雄．奇想の系譜．美術出版社（2004）">4</a></sup> 」（美術出版社）を、</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%BE%BB-%E6%83%9F%E9%9B%84/dp/4480088776%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4480088776"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51JYXRT8S8L._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>又「しょうはく」１人については、2005年京都で見て来たきた「曾我蕭白―無頼という愉快」の図録を出しておく。</p>
<p>「ふくろう文庫では」今年1月「清明上河図」を3月には「ダ・ヴィンチ」をーと、常に中央に先駆けての展示をして来た。そこでモルエの工藤さんが5月にも何かやってくれと言う。私が思うにボストンに合わせて、「平治物語絵巻〉を4月に出そうかと．．．計画し、4月28日(土）29日（日）に行うことになりました。ボストンものはあと2点掛け軸があるのだけれど、モルエには高さ2mを越すパネルが無いのでこれは展示出来ぬのが残念。皆さん 平治物語絵巻を」室蘭で観よう１１</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4703" class="footnote"> 堀田謹吾．名品流転．NHK出版（2001）</li><li id="footnote_1_4703" class="footnote"> 矢代幸雄．日本美術の恩人達．文芸春秋社（1961）</li><li id="footnote_2_4703" class="footnote"> 吉田千鶴子〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたもの．吉川弘文館（2011）</li><li id="footnote_3_4703" class="footnote"> 辻惟雄．奇想の系譜．美術出版社（2004）</li></ol>]]></content:encoded>
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		<title>第316回  「天才　ダ・ヴィンチ」の本</title>
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		<pubDate>Thu, 12 Apr 2012 05:43:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.2月寄稿 毎日、読んだり書いたりの合間には新聞を切り抜いて、関連する本に貼って行く。切り抜く分野は様々で、もちろん芸術も入っているが、これは政治や社会と違ってそう毎日あるものではない。 それでも今年に入って1月 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.2月寄稿</p>
<p>毎日、読んだり書いたりの合間には新聞を切り抜いて、関連する本に貼って行く。切り抜く分野は様々で、もちろん芸術も入っているが、これは政治や社会と違ってそう毎日あるものではない。<span id="more-4670"></span></p>
<p>それでも今年に入って1月11日には、アテネの国立美術館で、ピカソの「女の頭部」とモンドリアンともう1点盗まれ、その額5億4,000万円と出た。2日おいて1月13日には、今度はいい知らせで、ドイツはリューベックの音楽大学のブラームスの研究所が、ベートーベンの手書きの書館が発見されたと、発表した。1823年7月にウイーンからパリ在住の作曲家に宛た手紙の由。中身は、目の具合が悪い、甥の学費が足りない、給料が少ない、と嘆いた後、同年に完成した大作｢ミサ・ソレムニス」の買い手はないだろうか？と言ったようなことの由。</p>
<p>さて、2月に入ると早々3日に、スペインはマドリードのプラド美術館が所蔵している「モナ・リザ」の模写は、パリはルーブルのオリジナルの最も初期の模写と見られる。しかも、弟子の１人がダ・ヴィンチと同じアトリエで師と並んで制作した可能性もないではない．．．．との見解だ、と発表。</p>
<p>ダ・ヴィンチと言えば、昨年の7月12日には、17世紀にイギリスのチャールズ1世が持っていて、18世紀半ばに競売にかけられ、1900年作者不明で、英国のコレクターの所蔵となり、2005年にアメリカのオークションで現在の所有者が落札したという作品が、ナント、ダ・ヴィンチの幻の作品だと分かった、とのニュースがニューヨークから報道された。絵のテーマはキリストで、題名は「サルバトール・ムンディ」即ち「救世主」。これ今年の11月にロンドンのナショナル・ギャラリーで展示される由で、時価160億円だと。</p>
<p>「ダ・ヴィンチ天才の仕事 <sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/316#footnote_0_4670" id="identifier_0_4670" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" ドメニコロレンツ．松井貴子訳．ダ・ヴィンチ天才の仕事．二見書房（2007）">1</a></sup> 」</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81-%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E2%80%95%E7%99%BA%E6%98%8E%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%8132%E6%9E%9A%E3%82%92%E5%AE%8C%E5%85%A8%E5%BE%A9%E5%85%83-%E3%83%89%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%B3-%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A1/dp/4576070916%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4576070916"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51twIZVXMeL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>「フーン」と感心しているところへ、札幌の大西君から手紙が来て、3月頃には｢ボストン美術館展」と「ダ・ヴィンチ展」が東京であるらしい。「ダ・ヴィンチ展」の方は先に関西でやって、そのあと東京ということになるらしい．．．云々とある。これを読んで、私が独りごちたのは、「やはり、ダ・ヴィンチで行くか」だった。</p>
<p>「レオナルド・ダ・ヴィンチ<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/316#footnote_1_4670" id="identifier_1_4670" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 田中英道．レオナルド・ダ・ヴィンチ．講談社学術文庫（1992）">2</a></sup> 」</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81-%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%A8%E7%94%9F%E6%B6%AF-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%8B%B1%E9%81%93/dp/4061590138%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4061590138"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21A9WK8E7NL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>「ダ・ヴィンチ物語<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/316#footnote_2_4670" id="identifier_2_4670" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="メレシコフスキー山田美明訳．ダ・ヴィンチ物語．英知出版（2006）">3</a></sup> 」</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E4%B8%8A-%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4754220625%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4754220625"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/414P9ARD81L._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>今年1月、中国は一級文物、即ち国宝の「清明上河図」（せいめいじょうがず）を初めて国外に出すとの触れ込みで、東京博物館に持って来た。但し期間限定と言うことで、1月24日（だったか）には本物は中国に戻り、そのあとはオリジナルの完全復元版が展示された由。</p>
<p>心臓手術の数日前に天皇・皇后が観に行ったと報道されたが、以上の事情からして御二方の観た「清明上河図」はレプリカだった訳だ。</p>
<p>｢レプリカ=Replica=原形を忠実に模して制作した複製品」で、中国ではこれ（清明上河図のレプリカ）を国賓=こくひん=その国家による正式な招待客への土産に供するそうだから、両陛下が観たものが、このレプリカだったとしても、何の不都合もない。</p>
<p>さて、我々「ふくろう文庫」では、1月7.8の両日、「モルエ」でこの国賓が土産として持ち帰るレプリカと同じものを展示した上、更に、この宋時代の画家・張擇端（ちようたくたん）のオリジナルに触発されて描き上げられた明の仇英による「清明上河図」と清の「本院・清明上河図」のレプリカも併せて展示した。</p>
<p>結果は大好評で、来る人、来る人備えてあった拡大鏡を使ってじっくりと観ては、皆上機嫌で帰って行った。この好評を受けて、2月にも続いての展示をとの要望があったが、「ふくろうの会」の会員の時間の都合もあって、3月に持ち越すことにした。</p>
<p>さて、ここからが問題で、「何を出すか」だ。それを、あれか、これか？考えている所へ，ダ・ヴィンチのニュースが新聞に出、大西君からの手紙が来、で、「ダ・ヴィンチにしようかな」と思っている所へ、その案を強くおす要因が加わった。</p>
<p>と言うのは、ここに｢カイ」という季刊雑誌があって、その2012年冬号が「やっぱり、本が好き」との特集。中で、私と「ふくろう文庫」が紹介された。</p>
<p>執筆したのは矢島あづささん、写真は伊藤留美子さん。その紹介の文章は実に間然とする所のない文章で、写真も又良くて、読んだ何人もの人から、良かったとの感想が来た。未だ見ていない人のなめに「カイ」2012.vol.4「特集・やっぱり本が好き』（札幌ノーザンクロス発行/￥680）市内の書店、コンビニで求められる。本州では出ていないので直接注文してください。tel011-232-3661・fax011-232-4918</p>
<p>さて、その中で矢島さんが言うには、「〜6時間に及ぶ特別講義（取材）が始まった。思わず息をのんだのは、パリのフランス学士院に収蔵されるレオナルド・ダ・ヴィンチの　“パリ手稿”　原典ファクシミリ版だ。絵画の遠近法、光学、幾何学、水力学など、ダ・ヴィンチが思い付きやアイデアを直筆で書いた手帳で、そのインクの色、紙質や製本の材料、手垢のような汚れや破れまで、オリジナルを忠実に復刻している」〜。これ以上巧みな解説があろうか。これ全部で12冊、として持ち帰ったものだあ。この12冊（大小あれど全部手帳だ）+解説2冊、日本国内にわずか115部。この12冊、、実はナポレオンがイタリアはミラノのアンブロジアーナ図書館から戦利品として持ち帰ったものだあ。</p>
<p>この12冊に加えて、ウインザー城王室図書館が所蔵する素描集を並べると、更に興が増すに違いない。と如上のことを心中思いつつ、3月末展示方法を種々考えている所だ。｢室蘭で俺の手帳を！」とダ・ヴィンチが驚くに違いない。そう言えば驚いた顔のモナ・リザを描いた人がいたっけな。</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4670" class="footnote"> ドメニコロレンツ．松井貴子訳．ダ・ヴィンチ天才の仕事．二見書房（2007）</li><li id="footnote_1_4670" class="footnote"> 田中英道．レオナルド・ダ・ヴィンチ．講談社学術文庫（1992）</li><li id="footnote_2_4670" class="footnote">メレシコフスキー山田美明訳．ダ・ヴィンチ物語．英知出版（2006）</li></ol>]]></content:encoded>
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		<title>第315回「温泉文化史・東西昔話」</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Apr 2012 07:21:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.1.16月寄稿 1月21日土曜日、登別市立図書館3Fで講演をする。図書館が市民向けに行う文化講演といった趣のものだ。演題は「温泉文化・東西昔話」。それでこの何日か用意をしている。いつもの如く、書棚から関連の本を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.1.16月寄稿</p>
<p>1月21日土曜日、登別市立図書館3Fで講演をする。図書館が市民向けに行う文化講演といった趣のものだ。演題は「温泉文化・東西昔話」。それでこの何日か用意をしている。いつもの如く、書棚から関連の本を出して、既に読んで付箋を付けてある所をチェックしてという順序でやるのだが、今｢温泉」と書名にあるものが2,30冊目の前においてある。今日は1月16日、図書館は休み。それで朝食後、新作DVDの「小川の辺」を返しがてら、登別は「さぎり湯」に直行し、入浴後そばを食べて帰宅−で、今これにかかったところ。<span id="more-4658"></span></p>
<p>大正15年4月に発行された田山花袋の「復刻版温泉めぐり<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_0_4658" id="identifier_0_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 田山花袋．復刻版温泉めぐり．岩波文庫（2007）) ">1</a></sup> 」には（1）「温泉のいろいろ」から（105）の「満鮮の温泉」まで、各地の温泉が紹介されているが、</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%94%B0%E5%B1%B1-%E8%8A%B1%E8%A2%8B/dp/4003102177%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4003102177"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51iVTDpLywL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>今日行って来た登別は、ナント、尻から2番目の（104）に「登別と北投」とあって、花袋が書くには、「〜さてこう書いて来て、もう二つ優れた温泉が日本にあるのを私は思わずにはいられない。沢山書いて来た何の温泉場にもすぐれて勝っている温泉場が。それは何処か？、即ち北海道の登別温泉と、台湾の北投温泉とである。〜殊に、登別温泉の湯の分量の多いのなどは、人の目を驚かすに足りると言うことである。遺憾ながら、私はまだ両方とも行っていない。〜」このあとで花袋は面白い表現をする。「〜そうした温泉、つまり登別と北投が内地になくって却って外藩にあると言うことは、一種不思議な皮肉を私に感ぜしめずには置かなかった」。</p>
<p>北海道は台湾と一緒に植民地扱いされているのである。もっとも私の年代でも、大学時代、夏休みのあと又東京に出かけるのを「明日、内地に戻る」なんぞ言っていた。</p>
<p>さて、ここに嵐山光三郎の「ざぶんー文士放湯記ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_1_4658" id="identifier_1_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 嵐山光三郎．ざぶんー文士放湯記．講談社（1997）">2</a></sup> 」がある。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%96%E3%81%B6%E3%82%93%E2%80%95%E6%96%87%E5%A3%AB%E6%94%BE%E6%B9%AF%E8%A8%98-%E5%B5%90%E5%B1%B1-%E5%85%89%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4062085380%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4062085380"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41Q41E4WKAL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>私はこの人嫌いではない。大方読んで来ている。「悪党芭蕉」なんて大した本だと思う。余談だが、何年前だったか、嵐山と札幌駅構内で行き交ったことがある。忙しげに歩いていて、その姿形は、今どき珍しくトンビ=二重回しのようなマントを着て、シャーロックホームズ風の帽子をかぶって、お付きの者3人程従えて中々格好良かった。それはいいが、この｢さぶん」で嵐山が花袋について言うには．．．．</p>
<p>場所は奥日光の温泉、花袋は国木田独歩と湯につかっている。すると、女湯に客の入る音が聞こえて、独歩は覗き見をする。目の先には黒髪の女がいて、独歩が花袋に言うには、「この女は好き者だぜ、一度男にくらいついたら、食いつくしてしまう」．．．で、この女はナント20歳の与謝野晶子だと分かる。どうしてか？、宿の入り口に”境敷島会御一行様”とあり、女性短歌会の研修旅行の一行の１人だからだ。覗き見のあと独歩が花袋に言うには「やあ、おめえ、チンポコ固いじゃないか、興奮しやがったな〜、お前の筆名は汲古（きゅうこ）だったな。そんな小難しい名はやめて、勃起としたらどうだ。えーおい。ウーン、勃起じゃ生々しいか。では固いってのはどうだ。チンポコ固い、じゃなくて『山田固い』。そして追っかけて「固い、歌体、火体、過胎〜おめえ田舎者だが花が好きだからな、そうだ花袋にしろ」。こうして本名録彌（ろくや）は花袋となった。？？？？文学史の史実をちりばめているのはいいが、こう品のない与太を飛ばされると．．．．。</p>
<p>私は中3から高1に欠けて、その頃文庫本で出ていた田山花袋の本をは全部読んだ。同時に徳富沪花のも全部読んだ。皆が長くてもてあますという長編の「時は過ぎ行く」も「生」もちっとも長いとは思わなんだ。アルフォンス・ドーテの「パリの三十年」にヒントを受けて書いた｢東京の三十年」も好きだった。</p>
<p>ところで、フランス文学者の中村真一郎は、｢花袋には、それこそ”バカ正直”な誠実と純粋さがあり、〜やがては、人々をある感動に誘い込む力を持っていたのであろう」と言っているが、高一の私も誘い込まれた方だったのだろう。「一兵卒の銃殺」にも「重右衛門の最後」にも本当に感動した。</p>
<p>その誠実な花袋の筆名の由来が「固い」だって？。「おふざけが過ぎないか？」と言いたい所だが．．．．。他人が言ったり書いたりしたことに、「まさか？」</p>
<p>とか｢眉唾だ」と言うひとがいる。</p>
<p>こう言う反応を示す人は、往々にして無知で見聞がせまい人が多い。自分の知見外の人間や事柄が存在することが分からぬ人なのだ。「まさか派」をそうとらえている私は、だから、この嵐山の｢固い｣説に対しては「初耳だ」とだけにしよう。嵐山は「ざぶん」を書くにあたって伊藤整の「日本文壇史」に一番世話になった、と言う。「初耳」の私としては、「日本文壇史」を読み返すことにしよう。</p>
<p>「東京三十年』には確か「KとT」なる一章があって、これは国木田と田山のことだが、これも読み返してみよう。それにしても、虚構とは言え連想に品がない。</p>
<p>高一の時に田山、徳富を専ら読んだと、と書いたが、高2の時には有島を読んだ。高2の夏に全国高校弁論大会があって、社会科の水口先生に強くおされて、私は全道大会に出たが、結果道代表となって東京に行ったのだった。その時、神田で買ったのが叢文閣版の全１０巻の有島武郎全集で、確か￥2,000だった。嬉しくて嬉しくて皮のトランクにびっしりと入れて帰ってきたが、この有島について又｢ざぶん」はどう書いているか？。</p>
<p>有島は御存知の通り「婦人公論」の記者・波多野秋子と心中した。その辺りを嵐山は．．．2人は水風呂に入っている。「〜秋子の手が武郎の睾丸をふわりとつかんだ。”葡萄・一房の葡萄よ”」。風呂から上がって2人は死の用意をするが、その前に「〜秋子は虎のような声を出して唸った。それから、ソファーに座ると大股を開いて、武郎をみつめて妖艶に微笑んだ。〜股間の陰毛が水で光っていた。〜秋子は両足をあげて武郎にしがみつき〜で「葡萄のようにぶら下がった2人の遺体〜全身が腐爛してどちらが男か女かわからない〜」。</p>
<p>「小説」だから目くじら立てる必要はないが、『ざぶん』に飽きて、呆れた私としては、受講者には川村湊の「温泉文学論<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_2_4658" id="identifier_2_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 川村湊．温泉文学論．新潮社（2007）">3</a></sup> 」をすすめるつもりだ。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%AB%96-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B7%9D%E6%9D%91-%E6%B9%8A/dp/4106102439%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4106102439"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41xPnYBeyjL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>気分直しに版画家・前川千帆の名作「版書浴泉譜<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_3_4658" id="identifier_3_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 前川千帆．版書浴泉譜．竜星閣（1954）">4</a></sup> ｣（昭16）の中の｢洞爺湖」を出しておこう。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%89%88%E7%94%BB%E6%B5%B4%E6%B3%89%E8%AD%9C-1954%E5%B9%B4-%E5%89%8D%E5%B7%9D-%E5%8D%83%E5%B8%86/dp/B000JB6270%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000JB6270"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>ナントのどかな風景だろう。私が小2で疎開した時の洞爺は正しくこの風景だった。その辺も語ってこよう。</p>
<p>※　前川千帆（せんぱん）は、ここで始めてザリガニを食べて不味かったと書いている。私は万世閣の前にあった「飯野」という小料理屋（？）の裏の離れに、すぐ上の姉と2人で疎開していた。温泉小学校では授業の記憶はなくて、毎日イタドリを切らせれた。兵隊用のタバコ代わりにイタドリの葉を使ったのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4658" class="footnote"> 田山花袋．復刻版温泉めぐり．岩波文庫（2007）) </li><li id="footnote_1_4658" class="footnote"> 嵐山光三郎．ざぶんー文士放湯記．講談社（1997）</li><li id="footnote_2_4658" class="footnote"> 川村湊．温泉文学論．新潮社（2007）</li><li id="footnote_3_4658" class="footnote"> 前川千帆．版書浴泉譜．竜星閣（1954）</li></ol>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第50回　「おなら考」と｢ホ｣の本</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/50</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/book/50#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Mar 2012 07:51:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[｀94.4.22寄稿 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは柿好きで有名な正岡子規の句で「法隆寺の茶店に憩（いこい）いて」の詞書(ことばがき=説明文）がある名作です。「日本名句事典」をみると「くえば」の「ば」は「已然形（いぜ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>｀94.4.22寄稿</p>
<p>「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは柿好きで有名な正岡子規の句で「法隆寺の茶店に憩（いこい）いて」の詞書(ことばがき=説明文）がある名作です。<span id="more-4616"></span>「日本名句事典」をみると「くえば」の「ば」は「已然形（いぜんけい）につく「ばで，偶然的な関係を示すものである」とむずかしいことを言ってます。</p>
<p>何故、こうことわるかと言うと「ば」を柿を食べた「ので」だとすると、それならリンゴでは？ブドウでは？どうなるか．．．を試してみなければならないからだ、と言うのですから，歌人とか，俳人にも，理屈っぽいというか実験精神の多い人がいるものとみえます。</p>
<p>もっとも、いとし・こいし（だったか）の万歳に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、どや、いい句だろう」「フムフム」「おつぎ、芋くえば鐘が鳴るなり法隆寺、ではどーや」「へえー（屁えー）」というのがありましたから、○○くえば、と切りなくやってみたくなる人もいるのかも知れません。</p>
<p>「屁』と言えば，私が小学校4年生の時ですが，長姉が行っていた女学校で、修学旅行か何かがあって，早朝室蘭駅（室蘭港？）を出発する為に，バスだ汽車だの便の悪い時代でしたから，郊外に住んでいる女学生達数人が，駅近くの町中に住んでいる私の家に泊まったことがあります。</p>
<p>中に「田島のやっちやん｣とか言って美少女で鳴っていた人もいて，その晩はたいそう賑やかでしたから、私も生意気に気がたかぶって仲仲寝つかれずにいました。</p>
<p>彼女達は，襖1枚隔てた隣室に寝ましたが，驚いたのは、彼女達が寝ながら大いに「おなら」を落とすことでした。</p>
<p>考えて見れば，敗戦直後の食糧難の時代です。芋だ、南瓜だと、いわば「屁種』ばかり食べている時代ですから、乙女達か次々と妙なる音がもれたのも、無理はなかった、と言うべきでしょう。</p>
<p>私は、美少女を含めた彼女らの行為に幻滅して世をはかなんだ訳でもなく、さりとて「屁なりとてあだ（=むなしいこと）なることと思うなよ、ぶつと言う字は仏（ほとけ）なりけり」と詠んだ大僧、仙崖（せんがい）のように悟（さとり）を開いた訳でもなく、只只驚いただけでした。</p>
<p>ところで、貴方の地方では「おなら」を落とすことを何と言いますか？北海道では、私の子どもの頃は「屁を<span style="text-decoration: underline;">ふる</span>」と言いました。これは「屁を<span style="text-decoration: underline;">ひる</span>」がなまったものでしょう。</p>
<p>さて、「おなら」といい、「屁」と書きましたが、一体「おなら」と｢屁」とは違うものなのでしょうか。「広辞苑」では、「おなら（音を出して屁をひる「鳴らす」と言うより）屁の異称」とあり、そこで「へ」をひくと「屁=おなら」とあって、つまり両者同義ですが、これが実は違うのです。どう違うのか？？？</p>
<p>それはさておき、私が中学校の3年の時の担任畠山先生は、意地が悪く、子供心に好きになれませんでしたが、この先生が或る時曰く「便所でツバやタンを吐いてはいけない、何故なら、便所の神様は片手でウンコを、片手で小便を受けて手一杯になるからその他のものはダメなのだ。」</p>
<p>私は聞きながら、それはどういゆう本に出てくるのか、つまり出展は何か、それを教えてほしいいと思いましたし、「それじゃ、屁は誰が受けてくれるのか」という疑問が湧いて来て、この話しには不満が残りました。</p>
<p>あとになって厠（かわや=便所）の神様には。うんこは埴山姫（はにやまひめ）、小便は水岡女（みずはのめ）の二神がいるということがわかりましたが、それでは「屁」の神様は誰なのか、そもそも、いるのか、いないのか？</p>
<p>こんなことを知ったとて「屁にもならぬ=何の役にも立たぬ」と思う人はともかく、いや、これは面白そうだ、知りたいーという好ましい好奇心の持ち主、つまりは真性（しんせい=ほんもの）の物好きにとって、恰好の（かっこう=適当）の本が出ました。因みに、司馬遼太郎曰く「私は、日本文化の一側面は物好きの文化だったと思っている。」さて、恰好の本とは、佐藤清彦「おなら考<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/50#footnote_0_4616" id="identifier_0_4616" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 佐藤清彦．おなら考．青弓社（1994）">1</a></sup> 」青弓社です。「屁学」の百科事典と称するに価する良書で、一嗅（か）ぎ、いや、一読すれば、「屁の滓（かす）のよう=屁の如し=（無価値）なほんではいということがわかります。心の楽しみに又とない肥やしとなる本です。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%AA%E3%82%89%E8%80%83-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E6%B8%85%E5%BD%A6/dp/4787290940%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4787290940"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21WKT2VSPYL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div><strong></strong></p>
<p>これに先立つものに、中重徹「一発<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/50#footnote_1_4616" id="identifier_1_4616" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 中重徹．一発．葦書房（1977）">2</a></sup> 」があります。これは「評論」「医学」「随筆．小説」「笑話．落語」「俳句．川柳．ことわざ」「民話．伝説」「わらべうた．民謡」「海外編」の章仕立ての「屁」にかんしてのアンソロジー（=詞崋集=しかしゅう=詩文をあつめたもの）で、これ又中々面白いのですが、残念なことに「二発目｣とは行かず今は絶版です。<strong></strong></p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E7%99%BA-1977%E5%B9%B4-%E4%B8%AD%E9%87%8D-%E5%BE%B9/dp/B000J8U882%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000J8U882"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div><strong></strong></p>
<p>さて、最後に「おなら考」の佐藤清彦も気付いていない（らしい）本を紹介しましょう。</p>
<p>池田一歩の私家版、1000部限定本の「｢ホ」の本」です。｣330番。</p>
<p>これは、｢品を重んずる性格」と自ら言う池田が「生物の生理現象の屁を（He,Hi)などと発音することを嫌い、これを（HO)と発音することにし、題材をHoに求めていろいろと歌ってみた」「一般の知る㋬ヒでないもう少し品の良い㋭」ばかりを集めたという句集です。｢「ホ」の本<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/50#footnote_2_4616" id="identifier_2_4616" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 池田一歩．「ホ」の本．アイ・デザインスタジオ（1989）">3</a></sup> 」</p>
<p>全部で何百首あるでしょうか、まあ少し見せましょう。</p>
<p>・鯨のホ　小舟を一層難破させ」</p>
<p>・「蛇のホは　曲がりくねって長くのび</p>
<p>・「蛍のホ　出口が光輝いて</p>
<p>・　「あんいやん　あんいやんとて二度も出し」</p>
<p>・「ピアニスト　音に合わせてごまかしホ」</p>
<p>・｢桜花　ホもひらぬのに　頬染め」</p>
<p>・「与作のホ　こだまが返ってヘイヘイホー」</p>
<p>最後に悟りとも言える一句</p>
<p>・「なぜ力むホにも足りない人生を」</p>
<p>どうでしたか、私も、屁んな、いや珍しい本を持っているでしょう。「屁屁ん」！！</p>
<p>「屁」からの連想と言うわけではありませんが、おまけを一つ「うんち」の本です。</p>
<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/50.jpg"><img class="size-full wp-image-4626 alignleft" title="50" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/50.jpg" alt="" width="636" height="485" /></a></p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4616" class="footnote"> 佐藤清彦．おなら考．青弓社（1994）</li><li id="footnote_1_4616" class="footnote"> 中重徹．一発．葦書房（1977）</li><li id="footnote_2_4616" class="footnote"> 池田一歩．「ホ」の本．アイ・デザインスタジオ（1989）</li></ol>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第49回 歯の風物史　お歯黒　歯の神様</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/49</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/book/49#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 16 Mar 2012 07:59:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[｀94.4.1寄稿 大学一年の夏休みのことですが，向いの菓子屋から買ってきたピーナッツせんべいをたべていたら、「ガリッ」と来たので，口から出してみると，ピーナッツと思いきや、これがナント人の歯でした。今なら「せんべいから [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>｀94.4.1寄稿</p>
<p>大学一年の夏休みのことですが，向いの菓子屋から買ってきたピーナッツせんべいをたべていたら、「ガリッ」と来たので，口から出してみると，ピーナッツと思いきや、これがナント人の歯でした。<span id="more-4604"></span>今なら「せんべいから歯」てな事で，新聞種にもなるでしょうし，食べた方も，早速メーカー宛に歯を送って「注意すべし、位の一言もいってやるのでしょうが、その時は只「ナンダ、コリャ」と家族皆で笑って，終わりでした。呑気な時代だったのでしょう。</p>
<p>先週金曜日の晩、中国産の焼栗を肴にビールを飲んでいたら「がりっ」ときたので、「スワ，今度は北京原人の歯か？」とだしてみると、これが金属片？？</p>
<p>よくよくみると、これが人の歯ならず、わが歯に冠せたものがとれたのでした。残ったビールで漱（うがい）をしてから、夜間診療の近所の歯医者に2軒に行きましたが，タッチの差で，門前払い，結局晩酌中断の憂き目（うきめ=つらいこと）を見ました。</p>
<p>ところで貴方は「齲」と言う字を読めますか？数年前、本学の保険センタ―所長F氏が学生向けに日常の衛生を訴えた文章の中で、この字を使いました。曰く｢齲歯に気をつけましょう」と。ところが学生のみならず教官諸氏もこの字が読めずに聞きに来る人が沢山いました。「こんな字が読めんのかな、ウシシ」と思いながら教えましたが、これは「うし｣と読んで「虫歯」のことです。とは言うものの、「うし」は誤読で正しくは「くし」と読むのです。漢字はむつかしい！！</p>
<p>虫歯と言えば，アンリ・トロワイヤの「大帝ピヨートル」に面白い話しが出ています。</p>
<p>ロシアの大帝ピヨートルは1697年、アムステルダムの「町の広場で歯抜きが行われるの見物し」自分もやってみたいとて、にわかに勉強の上道具を買い込み、お供の250人に口をあけさせて、「虫歯の疑いありと彼が判断すれば、ただちに引き抜くのである。犠牲者のうめき声に彼はたじろぐどころか、奮い立つ。怪力の持ち主であるから、この作業には向いている。調子に乗り過ぎて、歯茎まで引きはがしてしまうことも、めずらしくはない。」あげく「廷臣の口から引き抜いた歯を、小袋にきちんと納め、しばしばそれを取り出しては、ほれぼれと眺めるのだった。」</p>
<p>このくだりを「街道をゆく．−オランダ紀行ー」で紹介した司馬遼太郎はその文章を「随員にとって文明とはずいぶん痛かった」と結んでいます。</p>
<p>ピヨートルが、抜歯を『広場｣で見た、というのは別に特殊なことではありません。</p>
<p>というのは，洋の東西を問わず，昔は抜歯は街道で，或いは盛り場や広場で行うのが普通だったからです。</p>
<p>何故、感染しやすい屋外でやったのか？この問いを含めて、石器時代の「風習」としての抜歯から，現代の「治療」としての抜歯まで，抜歯の全てを文化史的に語った、すこぶる面白く，かつ調べの行き届いた本があります。成田令博（よしひろ）の「抜歯の文化史<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/49#footnote_0_4604" id="identifier_0_4604" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 成田令博．抜歯の文化史．口腔保険協会（1983）">1</a></sup> 」です。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%8A%9C%E6%AD%AF%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8F%B2-OH%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-3-%E6%88%90%E7%94%B0-%E4%BB%A4%E5%8D%9A/dp/4896050304%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4896050304"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>さて，我が国の近代歯学の出発は，明治維新のあとですから，江戸時代の庶民は「歯痛」と来ると，梅干し、梅漬け、ねぎの白根をかんだりして痛みをまぎらわし，（今でもこうしたことを歯医者嫌いの人はやっているようですが）、それでも駄目となると、「歯の神様」たとえば「はくさんさん」などにすがりました。「はくさ」とは｢歯瘡（はくさ）」で「歯槽膿漏」ですが、それをなおしてくれるのが「はくさんさん」です。神津文雄の「歯の神様<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/49#footnote_1_4604" id="identifier_1_4604" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 神津文雄．歯の神様．銀河書房（1991）">2</a></sup> 」は、長野県に点在する「歯の神様」を追った珍しいほんです。</p>
<p>歯というと，我々日本人が思い浮かべるものに｢お歯黒」があります。時代劇で，女が口を開くと，黒い歯が見えて，色っぽいのか，不気味なのか、よくわからぬ、あの風習です。風習は消えても「お歯黒とんぼ=クロヤンマ」とか「お歯黒花=ウマノスズクサ」などにその名が残っていますが、この奇習を古代史まで及んで調べ上げた，実に貴重な本が「お歯黒の研究<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/49#footnote_2_4604" id="identifier_2_4604" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="原三正．お歯黒の研究．人間の科学社（1981）">3</a></sup> 」</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-1981%E5%B9%B4-%E5%8E%9F-%E4%B8%89%E6%AD%A3/dp/B000J7WD72%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000J7WD72"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>です。以上はいずれも歯に関しての名著と言っていいものですが，最近一冊、いい本が加わりました。長谷川正康の「歯の風俗誌<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/49#footnote_3_4604" id="identifier_3_4604" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 長谷川正康．歯の風俗誌 ．時空出版（1993）">4</a></sup> 」です。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%AF%E3%81%AE%E9%A2%A8%E4%BF%97%E8%AA%8C-%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D-%E6%AD%A3%E5%BA%B7/dp/4882670127%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4882670127"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>赤穂藩は，五代将軍、徳川綱吉に，歯磨き用として，赤穂名産の「花形塩」をけんじょうしました。これを受けた綱吉は，それまで使っていた吉良家献上の「饗庭（あえば）塩」の使用を止めたので，吉良家の面目は失われ、かつ「饗庭塩」に対する需要が落ち込みました。</p>
<p>つまり経済摩擦が生じた訳で、これぞ赤穂対三州、浅野内匠頭長矩対吉良上野介義仲=忠臣蔵の遠因では？といった様な話しを含めて，歯についての「あんな話・こんな話」が豊富に語られています。</p>
<p>どの本も良く調べられている上、耳新しい話しが続くので、一寸した歯の痛みなぞ、その面白さで消えるかも知れません。</p>
<p>＊この「あんな本・こんな本」が室蘭のパソコンネットCP（コミニュケーションポート）に入力されました。呼び出しは0143-47-4919</p>
<p>IDはGUEST（ゲスト）</p>
<p>パスワードも　GUEST(ゲスト）</p>
<p>メニューは「遊覧船」の中の「エッセイ」で「GO.ESSA]で出る由現在３５回分まで入っていますので，既刊分を読んで下さる方はどうぞ！！</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4604" class="footnote"> 成田令博．抜歯の文化史．口腔保険協会（1983）</li><li id="footnote_1_4604" class="footnote"> 神津文雄．歯の神様．銀河書房（1991）</li><li id="footnote_2_4604" class="footnote">原三正．お歯黒の研究．人間の科学社（1981）</li><li id="footnote_3_4604" class="footnote"> 長谷川正康．歯の風俗誌 ．時空出版（1993）</li></ol>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第48回　人魚の正体は？</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/48</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/book/48#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 09 Mar 2012 08:14:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[｀93.3.2寄稿 貴方なら、「人魚｣と聞いて、どんな姿を想像しますか。やはりアンデルセンや、小川未明の童話で読んだり、見たりしたあのたおやかにも、どこか色めいた姿でしょうか。さて、下の図を御覧下さい。この不気味にして、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>｀93.3.2寄稿</p>
<p>貴方なら、「人魚｣と聞いて、どんな姿を想像しますか。やはりアンデルセンや、小川未明の童話で読んだり、見たりしたあのたおやかにも、どこか色めいた姿でしょうか。さて、下の図を御覧下さい。この不気味にして、怪異な物が、実は｢人魚」の真の姿なのです。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/48-2.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4598" title="48-2" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/48-2.jpg" alt="" width="547" height="514" /></a></p>
<p><span id="more-4587"></span>と言うのは冗談。この怪物は、日本人の漁師が鮭の尾と、オランウータンの上半身を縫合した物で、アメリカ人に買われ，挙句1842年にT・バーナム、サーカス団が、フィジー諸島の近くで捕獲されたからとて、「フィジー人魚』として、ニューヨークで展示したものです。</p>
<p>こんな話しをとりまぜながら「人魚」とは一体何なのか、を6.7千年前のバビロニアの神話から説き起こして、日本の近代文学の中の人魚に至るまでを、綿密に追った好著、ヴィッグ・ド・ドンデの「人魚伝説<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/48#footnote_0_4587" id="identifier_0_4587" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" ヴィッグ・ド・ドンデ．人魚伝説．創元社（1993）">1</a></sup> 」を興味津々で読み終えました。<strong><div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%AD%9A%E4%BC%9D%E8%AA%AC-%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89-%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%87/dp/4422210823%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4422210823"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51fd1y92MbL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div></strong></p>
<p>巻末の30冊弱の参考文献をチェックした所、未読のものは3冊と分かったので、注文するべく書き留めて、書庫に収めた翌朝、2月19日の朝刊をみて「おや、〜」と思いました。</p>
<p>「ジュゴンを救え！ー<span style="text-decoration: underline;">人魚のモデル</span>絶滅の恐れー」とて「来月に米国で初の国際会議」との見出しのもと「海牛類が絶滅に近い」「保護対策を立てねば」との記事です。</p>
<p>では、この「ジュゴン」とは何か？「儒艮（じゅごん）は海牛目ジュゴン科に属する海獣である。海牛とは奇妙な名であるが、海草類を食べているのでこの名がある。形はクジラに似ていて、体調2以上に達するが、イルカのように外洋を群れ成して泳ぎ回ると言うようなことはせず、珊瑚礁周辺の浅海の岩場でひっそりと暮らしていることが多い。<span style="text-decoration: underline;">人魚と間違えられたのはこの動物という</span>。皮膚は厚くて3cm程もあるが、脂肪層も厚く，海藻を主食としている為か，肉に臭みが少なくて美味という」ー日本史の中の動物事典」ー</p>
<p>成程々々　ド・ドンデの本にも「フランスの有名な博物学者ジョルジュ・キュヴィエは〜ジュゴン,マナティーをふくめた海牛目に、セイレーン（=ホーメロスのオデュッセアに出てくる船乗りを誘惑する女の怪物）を意味するシレニエンスという呼び名を与えた。これが今日<span style="text-decoration: underline;">人魚の正体に関する常識</span>　となっているが<span style="text-decoration: underline;">反論も多い　</span>　　と出ていました。</p>
<p>そう言えば，動物学者の故高島春夫も<span style="text-decoration: underline;">反論</span>の側の一人です。</p>
<p>「伝説の人魚の正体はこのジュゴンだという説明が，日本では明治以来流布されているが、私は常にくびをかしげる。〜実在のジュゴンはグロテスクな海獣で，これと伝説の人魚を直結させるのは非常に無理があると思う。」ー動物物語『人魚と儒艮』ー</p>
<p>さて、いずれの側に立つとしても、伝説のみならず人魚の全てについて知りたいと思ったら「人魚の博物誌<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/48#footnote_1_4587" id="identifier_1_4587" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 神谷敏郎．人魚の博物誌．思索社（1989）">2</a></sup> 」を読まねばなりません。<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%AD%9A%E3%81%AE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E8%AA%8C%E2%80%95%E6%B5%B7%E7%8D%A3%E5%AD%A6%E4%BA%8B%E5%A7%8B-%E7%A5%9E%E8%B0%B7-%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/4783501718%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4783501718"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>著者は目下「揚子江カワイルカ」の絶滅防止に全力を欠け，今回のジュゴンの国際会議にも日本代表として出席する「神谷敏郎』ですから，内容に万（ばん)遺漏（=いろう=もれ）のある筈はありません。</p>
<p>科学史的に見た人魚、海牛類の祖先の大海牛の話、人魚の解剖学など〜微に入り細をうがって（=細かい点まで気を配って）人魚を語ります。</p>
<p>ところで、北海道は「海牛｣に満更、無縁の所ではありません。</p>
<p>例えば日本海側の留萠（ルモエ）管内の初山別村（しょさんべつむら）で｀90年に発掘された化石が｀92年には世界で初の海牛親子の化石であることが分かりました。1200万年前のものです。</p>
<p>又，｀93年の6月には後志(しりべし）管内（北海道南西部）の黒松内町（くろまつないちょう）で100万年前の地層から海牛の肋骨（ろっこつ）の化石が見つかりました。</p>
<p>海牛の化石の発見は道内でこれで6件めですが、この年代のものは全国でも初めてだと言います。</p>
<p>鯨にくらべると余り関心が持たれていないかに見える海牛類に少しばかり注目してみませんか。折もよし「マナティ、海に暮らす<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/48#footnote_2_4587" id="identifier_2_4587" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" J・ホワイト．マナティ、海に暮らす講談社（1993）">3</a></sup> 」が出ました。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3%E3%80%81%E6%B5%B7%E3%81%AB%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4-%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88/dp/4062066122%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4062066122"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>スピードボートにひかれて。その鋭利な刃物のようなプロペラで傷ついたマナティの赤ん坊を育てる話しを初めとして、草食を常とするこの平和な生き物の実態を，愛情込めて語っています。J・ホワイトは書きます。「マナティに攻撃性は認められない〜たとえ，なぐり殺されようとも，人間をころしたりはしないのだ」最後に私の好きな｢人魚」の画を一点紹介しいましょう。</p>
<p>橘小夢（たちばなさゆめ）の「海の幻想」です。「つけたし」「人魚って，もち肌なのかな、それとも鮫肌なのかなあ」とつぶやくとのり子嬢ににらまれた。<a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/48-2-2.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4597" title="48-2-2" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/48-2-2.jpg" alt="" width="454" height="619" /></a></p>
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<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4587" class="footnote"> ヴィッグ・ド・ドンデ．人魚伝説．創元社（1993）</li><li id="footnote_1_4587" class="footnote"> 神谷敏郎．人魚の博物誌．思索社（1989）</li><li id="footnote_2_4587" class="footnote"> J・ホワイト．マナティ、海に暮らす講談社（1993）</li></ol>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>中国の傑作3点公開</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e5%82%91%e4%bd%9c3%e7%82%b9%e5%85%ac%e9%96%8b</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/book/%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e5%82%91%e4%bd%9c3%e7%82%b9%e5%85%ac%e9%96%8b#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 03 Mar 2012 02:49:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/1222.jpg"><img class="alignleft size-large wp-image-4527" title="1222" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/1222-770x1024.jpg" alt="" width="616" height="819" /></a></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第314回｢神品」「清明上河図｣複製本の展示</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/314</link>
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		<pubDate>Mon, 20 Feb 2012 09:33:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2011.12月寄稿 12月13日の午前中は忙しかった。朝、図書館に着くとUSB（？）から電話です、と言う。出ると「八木ですが」と名乗られて、後で分かったが、この人、USBだかのアナウンサー。その八木さんが言うには、毎日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2011.12月寄稿</p>
<p>12月13日の午前中は忙しかった。朝、図書館に着くとUSB（？）から電話です、と言う。出ると「八木ですが」と名乗られて、後で分かったが、この人、USBだかのアナウンサー。その八木さんが言うには、毎日テレビ夕刊（？）を」やるのだが、これは地方紙のニュースから話題を拾うもので、ついては12月2日付け『室蘭民報』の朝刊に出た「竜とドラゴンの違いは？ー元市立図書館館長山下さんが講演、沼ノ端小学校で」を取り上げたいのでいいかーと言う。</p>
<p><span id="more-4483"></span></p>
<p>自分の席に戻るので、と一旦切って後でゆっくりと話しをした。途中で八木さんは「山下さんは何故そんなに詳しいのですか」と、私自身もよく分からない質問をした。それはともかく、翌日又確認事項の諸処に答えてーこの結果は、12月14日の夕方、4：20から放送されると言っていたが、誰か気付いた人いるかしらん？？</p>
<p>八木さんとの電話を切ってる間にかかって来たのは、苫小牧の「ふくろうの森の会」の世話人・墨谷さんからでー昂揚した声で墨谷山が言うには「すごいんですよ、朝日の一面見ましたか？清明上河図が来るんですよ。でも室蘭ではもうやったんですものね！！すごいですねえ！！」で私は思わず「エーッ、本当か？」と返したのだった。墨谷さんの言う朝日の一面の記事とは、下記のもの。</p>
<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/eb50698bfde81d02629bbd02850abecc.jpg"><img class="alignleft size-large wp-image-4492" title="名称未設定-4" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/eb50698bfde81d02629bbd02850abecc-1024x921.jpg" alt="" width="573" height="516" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;">さて朝日が言う｢神品」たる「清明上河図」とは何かについては、当記事の簡単な説明と、それより詳しい下記文章を読んでくれるとありがたい。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/ae46b1f460ee46f789c27b264a6cb421.jpg"><img class="alignleft size-large wp-image-4491" title="名称未設定-1" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/ae46b1f460ee46f789c27b264a6cb421-538x1024.jpg" alt="" width="538" height="1024" /></a></p>
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<p>ここここで書かれた「清明上河図」の復元絵巻は、昨年9月に私が台北故宮に「富春山居図」を観に行った時に購入して来たものだ。実物は余りにも細かいから台北でも大きな大きなアニメーションで見せていた。</p>
<p>私共私共では昨年10月にこの復元版を「ぷらっと・てついち」のメイン通路で展示した。拡大鏡持参を勧めておいたら、沢山の人が持って来たが、中には「天眼鏡持参で出来ました」などと笑わせてくれる人もいた。大好評に終わったあとのこのニュースで私は心底、いい展示をやっておいて良かったなあーと、多少は、自分の先見性（と言うと変だが）を誇らしく思った。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/552eb4aed1593e952e7a12c7b8a0e9e1.jpg"><img class="aligncenter size-large wp-image-4490" title="名称未設定 3" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/552eb4aed1593e952e7a12c7b8a0e9e1-1024x544.jpg" alt="" width="819" height="435" /></a></p>
<p>墨谷さんの電話の後、私はこの展覧会を取材した高橋結香記者にも電話して、復刻版とは云え、東京国立博物館に先がけてこの「神品」を逸早く、室蘭という一地方都市で公開出来たことの喜びを共にした。結香記者と語りながら私の頭に浮かんでいたことは、｢モルエ中島」での展示のことで、と言うのも、過ぐる11月中旬、私達はモルエ中島A棟で第一回目の特別展をやった。出したのは黄公望の「富春山居図」、顧閎中の「韓煕載夜宴図」、それに大観の｢生々流転｣などだった。言うまでもなく、どれも逸品中の逸品で、おかげでモルエの駐車場が満車となる入りとなった。そこで、この1月にも引き続いて２回展はどうか？との話しが、寺島所長やら工藤さんやら、私どもの間で出て来て、1月7.8と日は決まったが、出品物は未だ考慮中だった。そこへこの朝日のニュースだ。私は今度の出品物は、再度｢清明上河図｣だ、と決めた。高橋記者と電話を終えた所へ、｢ふくろうの会」の事務局長の田村博文さんから、｢何度電話をしても話し中で」との前置きの電話が来た．田村さんと私は同じことを考えていたらしく、開口一番｢今度も清明上河図でどうか」と言う。私も、「やっぱり、それだよね」と答えたのだが、今度の「清明上河図」の再度登場には途方もない“おまけ”が付く。というのは昨年9月魯迅を尋ねての修学旅行の上海行きで、私は別の清明上河図2点を買い求めてあるからだ。10月に展示したのは「本院・清明上河図」。</p>
<p>今度はそれに本家本元(つまり朝日で報道されたところの）張擇端の復元版と、有名な仇英の写本「清明上河図」を出す。仇英は生没年不明なれど、明の中期の大画家だ。本画と模写中の模写との定評がある2点を同時に出せるのは、復元物たる故に可能なことだ。本当に蒐めておいてよかった。今、1月7.8のポスターを｢ふくろうの会」の美術担当の書家の田澤早智子さんが、鋭意作成中だ。と書いている所へ、「韓煕載夜宴図」の購入費を贈ってくれた小幡由紀子さんが、朝日の｢神品｣云々の切り抜きを持って来てくれて「うちにあるでしょう」と言う。ありがたい、ありがたい。皆「ふくろう文庫」を自分の物のように思ってくれている。同席の上田利子さんも同じことを言う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>第313回「赤毛のアン｣の名付け親「小池喜孝」の本</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/313</link>
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		<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 07:38:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://t-yamashita.info/?p=4453</guid>
		<description><![CDATA[2011.11月寄稿 私が翻訳家としての村岡花子を知ったのは、女の子ではなかったせいか「赤毛のアン&#8251;1 」を通してではなくて、マーク・トウェインの「王子と乞食&#8251;2 ｣と、ウイダー夫人の「フランダー [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2011.11月寄稿</p>
<p>私が翻訳家としての村岡花子を知ったのは、女の子ではなかったせいか「赤毛のアン<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_0_4453" id="identifier_0_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 村岡花子訳．赤毛のアン．新潮社(1980) ">1</a></sup> 」を通してではなくて、マーク・トウェインの「王子と乞食<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_1_4453" id="identifier_1_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 村岡花子．王子と乞食．岩波書店（1958）">2</a></sup> ｣と、ウイダー夫人の「フランダースの犬 」を読んでからだった。名前は知ったが、その生涯については全く知らずで、何の根拠もなく、おそらくどこぞのブルジョアの出だろう位に思っていた。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E2%80%95%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%80%885%E3%80%89-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89-%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A1%E3%83%AA/dp/4102113452%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4102113452"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51MabcggsJL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p><span id="more-4453"></span></p>
<p>ところが、これが大違いだった。花子の孫娘の恵理女の書いた「アンのゆりかごー村岡花子の生涯ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_2_4453" id="identifier_2_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 村岡恵理．アンのゆりかごー村岡花子の生涯．新潮社文庫（2011）">3</a></sup> 」を読んで、その大違いに我ながら驚いたが、その分感銘を受けた。なにしろ、花子の父親は葉茶屋を営む商売人であったが、理想家肌で、これが災いして、この父は家庭生活を放ったらかして、人並み以上に社会主義運動に頭を突っ込み、為に一家はまあ、離散と言ってよいような運命と相成るからである。一家の悲惨さは、この本に当って欲しいが読後、つくづく思ったことは、「教育」というものの偉大さだ。</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%86%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%94%E2%80%95%E6%9D%91%E5%B2%A1%E8%8A%B1%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%91%E5%B2%A1-%E6%81%B5%E7%90%86/dp/4101357218%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4101357218"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51JXVUDK0TL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>「花子」と言う白紙の上に、教育の効果が色鮮やかに染み込んでいく様子を見ると、受け手の資質（=条件=頭の良さとか性格の良さとか）はさておいて、教育することされることの大事さ、必要さ、素晴らしさが分かる。読んでよかったーと思える一冊で満足したが、読んで驚いたことの一つに、「小池喜孝」のことがある。</p>
<p>小池が登場する場面は次の如し．．．．「昭和26年（1951）のある日、三笠書房の小池喜孝という編集者が訪ねて来た」。この小池は小学校の先生だったが、独学で歴史や社会を研究していたものの、GHQのパージで首になった、と言う。</p>
<p>この三笠書房は、私の読書人生でも何回か縁のある会社だ。</p>
<p>先ず中学3年の時、三笠文庫で全8巻の「風と共に去りぬ」を読破。そのあと面白かったのが社長の竹内道之助が自ら訳したA．J．クローニンの「城壁」なる長編。１人の医者の成長を描いて、そのヒューマニズムに大いに感動したが、今どきあんなにも人間的な医者はいまいいなあ。</p>
<p>それに「三笠版・世界文学全集」でマルセル・プルーストの本もだしてたなあ．．．と言う訳で、私も三笠書房好感を持って覚えている。</p>
<p>さて、この小池が花子に「社長が女性読者を視野に入れているので」翻訳文学としてはかつてないほどに多くの女性読者をつかんだ、「風と共に去りぬ」のような作品が他にないかと訊く。最初は「ありませんよ」素っ気なかった花子が、ひょんなことから、カナダのモンゴメリ作「アン・オブ・グリンゲイブルズ」の役を持っていることを話す。小池はその話しを社長に伝えて、無事出版の運美となるのだが、タイトルが問題だ。ゲイブルズはすなわち切妻屋根だが、日本人には余りなじみがな。そこで「窓辺に倚（よ）る少女」との花子の案を、持って帰ったあとで、竹内社長が花子に知らせて曰く「小池が”赤毛のアン”ではどうか？と言っている」と。花子は反対したが、娘のみどりが大賛成で、ここに「赤毛のアン」が誕生。</p>
<p>さて、「アン」はさておいて、小池のこと。三笠書房は昭和32年に倒産。止むなく小池は、と言っても教育への夢未だ覚めずーで、彼は昭和28年に北見の北斗高校の社会科の先生として渡道した。ここに至って私はおそまきながら「あーあの人か」と気付いて、我が家の社会科学、歴史分野を置いてある2階の書庫に行って、小池の本を取り出してみた。ここにあげた3冊の他に2冊ある。</p>
<p>①「常紋トンネルー北辺に斃（たお）れた労働者の碑ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_3_4453" id="identifier_3_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 小池喜孝．常紋トンネルー北辺に斃（たお）れた労働者の碑．朝日新聞社（1977）">4</a></sup> 」1977/朝日新聞社。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%B8%E7%B4%8B%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E2%80%95%E5%8C%97%E8%BE%BA%E3%81%AB%E6%96%83%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%BF%E3%82%B3%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E3%81%AE%E7%A2%91-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B0%8F%E6%B1%A0-%E5%96%9C%E5%AD%9D/dp/4022606320%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4022606320"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>②「雪の墓標−タコ部屋に侵入した脱走兵の告白ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_4_4453" id="identifier_4_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 小池喜孝．雪の墓標&minus;タコ部屋に侵入した脱走兵の告白．朝日新聞社（1979）">5</a></sup> 」1979/朝日新聞社。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%AA%E3%81%AE%E5%A2%93%E6%A8%99%E2%80%95%E3%82%BF%E3%82%B3%E9%83%A8%E5%B1%8B%E3%81%AB%E6%BD%9C%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E8%84%B1%E8%B5%B0%E5%85%B5%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%99%BD-1979%E5%B9%B4-%E5%B0%8F%E6%B1%A0-%E5%96%9C%E5%AD%9D/dp/B000J8HUFQ%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000J8HUFQ"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>さて、ここに挙げた3冊はいずれも「秩父事件」に関するものだ。そして「秩父事件」とは、事典風に記せば、1884年（明治17年）埼玉県の秩父郡で自由党員と農民とが、世直しと、農民救済を求めて蜂起した。負債と重税に苦しむ農民は、「困民党」を組織して秩父自由党と連帯し、困民党軍は大宮を占領し、郡役所に本陣をかまえるまでに善戦したが、ついには軍隊と警察によって解体させられてーとなる。</p>
<p>秩父困民党の代表的人物は田代栄助、井上伝蔵、加藤織平、落合寅市ら、これを支えたのは、ざっと一万人。「天朝様=天皇に敵対するから加勢しろ」とて乱を起こした。これを映画化したのが2004年の9月に封切られた神山征次郎監督の「草の乱」私も札幌まで観に行ったが、これは余計な話。</p>
<p>実は「秩父事件」が歴史学の対象となったのは、秩父市出身の歴史家・井上幸治の「秩父事件<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_5_4453" id="identifier_5_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 井上幸治．秩父事件．中公新書（1968）">6</a></sup> ｣（中公新書/1968年刊）の刊行がきっかけだ。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E2%80%95%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E6%A8%A9%E6%9C%9F%E3%81%AE%E8%BE%B2%E6%B0%91%E8%9C%82%E8%B5%B7-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-161-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E5%B9%B8%E6%B2%BB/dp/4121001613%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4121001613"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41mCJ6j2%2B3L._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>そのあと井手孫六の「秩父困民党群像<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_6_4453" id="identifier_6_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 井手孫六．秩父困民党群像．新人物往来社（2005） ">7</a></sup> 」（角川文庫）が続き、</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E5%9B%B0%E6%B0%91%E5%85%9A%E7%BE%A4%E5%83%8F-%E4%BA%95%E5%87%BA-%E5%AD%AB%E5%85%AD/dp/4404032420%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4404032420"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ZW58JD8DL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>小池の本が出る前後の1974年は、事件の90周年と言うこともあって色々な関係本が出た。当時私が読んだだけでも順不同に、1975年浅見好夫の「幻の革命(( 浅見好夫．幻の革命．埼玉新聞社（1975）)) 」（埼玉新聞社）、田島一彦の「秩父困民党に生きた人々<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_7_4453" id="identifier_7_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 田島一彦．秩父困民党に生きた人々．徳間書店（1977）">8</a></sup> ｣（1977/徳間書店）、森山軍治郎「暴徒−現代と秩父事件<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_8_4453" id="identifier_8_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="森山軍治郎．暴徒&minus;現代と秩父事件．同志社大学（1976）">9</a></sup> 」（1976/同志社大学）、中沢市郎「自由民権の民衆像−秩父困民党の農民たちー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_9_4453" id="identifier_9_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 中沢市郎．自由民権の民衆像&minus;秩父困民党の農民たち．新日本出版社（1974）">10</a></sup> 」（1974/新日本出版社）、と様々だ。他にも秩父の教会のカトリックの司祭だったアルベール・コルベジェの｢火の種まき−1884年・秩父事件ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_10_4453" id="identifier_10_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" アルベール・コルベジェ．火の種まき&minus;1884年・秩父事件．あしか書房（1983）">11</a></sup> 」(1983／あかし書房）もあるし、困民党百年記念として24年振りに復刊となった色川大吉の「困民党と自由党<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_11_4453" id="identifier_11_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 色川大吉．困民党と自由党．揺籃社（1984） ">12</a></sup> 」（1984/揺籃社）なる名論文もある。</p>
<p>ところで、秩父事件の関係者の中で、一番劇的な生涯を送ったのは何と言っても井上伝蔵だ。伝蔵は蜂起が失敗すると、地下にもぐり、潜行すること実に35年。これを追いに追ったのが、小池喜孝だった。小池の「秩父颪ー秩父事件と井上伝蔵ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/313#footnote_12_4453" id="identifier_12_4453" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 小池喜．秩父颪ー秩父事件と井上伝蔵孝．北大図書館刊行会．（1974）">13</a></sup> 」（1974年8月刊）</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E9%A2%AA%E2%80%95%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%A8%E4%BA%95%E4%B8%8A%E4%BC%9D%E8%94%B5-1974%E5%B9%B4-%E5%B0%8F%E6%B1%A0-%E5%96%9C%E5%AD%9D/dp/B000J9FPWU%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000J9FPWU"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>が出る前，同じ年の1月に北大図書刊行会から出た「民衆精神史の群像ー北の底辺からー」当時北海道専修大学（短大）の助教授だった森山軍治郎は、「〜ぼくが井上幸治先生を北見に案内するようになったと言うのも、小池先生がすでに何年も前から伝蔵の調査をすすめていることを聞いていたからである。小池先生の調査を出発点としなければ、こんなに短期間に潜伏35年のうち20年間の足跡が明らかになることはなかったであろう。」官憲に追われつつ、35年も足跡をくらまし続けた伝蔵の生涯は、アレクサンドル・ヂュマの伝奇小説顔負けの面白さだ。「小池先生の文章は繰り返しが多くてくどい」（と記憶しているが）のが難だが、読むべし、読むべし。当宇治室工大の物理の助教授Mは、「高校の教師でも、こつこつやれば目立つんだね」とふざけたことを言ったが、当のMは、論文一つ残さず無名で死んだ。</p>
<p>それにしても、村岡花子の伝記で小池に行き合うとは！！。改めて小池の本を良く見たら、著者欄に「〜出版社員をへて〜」とあって、三笠の字はなかった。</p>
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<p>&nbsp;</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4453" class="footnote"> 村岡花子訳．赤毛のアン．新潮社(1980) </li><li id="footnote_1_4453" class="footnote"> 村岡花子．王子と乞食．岩波書店（1958）</li><li id="footnote_2_4453" class="footnote"> 村岡恵理．アンのゆりかごー村岡花子の生涯．新潮社文庫（2011）</li><li id="footnote_3_4453" class="footnote"> 小池喜孝．常紋トンネルー北辺に斃（たお）れた労働者の碑．朝日新聞社（1977）</li><li id="footnote_4_4453" class="footnote"> 小池喜孝．雪の墓標−タコ部屋に侵入した脱走兵の告白．朝日新聞社（1979）</li><li id="footnote_5_4453" class="footnote"> 井上幸治．秩父事件．中公新書（1968）</li><li id="footnote_6_4453" class="footnote"> 井手孫六．秩父困民党群像．新人物往来社（2005） </li><li id="footnote_7_4453" class="footnote"> 田島一彦．秩父困民党に生きた人々．徳間書店（1977）</li><li id="footnote_8_4453" class="footnote">森山軍治郎．暴徒−現代と秩父事件．同志社大学（1976）</li><li id="footnote_9_4453" class="footnote"> 中沢市郎．自由民権の民衆像−秩父困民党の農民たち．新日本出版社（1974）</li><li id="footnote_10_4453" class="footnote"> アルベール・コルベジェ．火の種まき−1884年・秩父事件．あしか書房（1983）</li><li id="footnote_11_4453" class="footnote"> 色川大吉．困民党と自由党．揺籃社（1984） </li><li id="footnote_12_4453" class="footnote"> 小池喜．秩父颪ー秩父事件と井上伝蔵孝．北大図書館刊行会．（1974）</li></ol>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>第312回「山本作兵衛」を世に送り出した上野と菊畑</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/312</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/book/312#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 28 Jan 2012 07:06:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://t-yamashita.info/?p=4426</guid>
		<description><![CDATA[上野英信の「おわれゆく坑夫たち&#8251;1 」（岩波新書）は1960年頃の夏に出た。オビの文章は「廃坑と眠るぼた山−坑夫たちは失業し、一家は路頭に迷う。石炭産業史上最大といわれる危機の圧力が労働者の頭上に重くのしかか [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>上野英信の「おわれゆく坑夫たち<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_0_4426" id="identifier_0_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 上野英信．おわれゆく坑夫たち．岩波新書（1960）">1</a></sup> 」（岩波新書）は1960年頃の夏に出た。オビの文章は「廃坑と眠るぼた山−坑夫たちは失業し、一家は路頭に迷う。石炭産業史上最大といわれる危機の圧力が労働者の頭上に重くのしかかる〜著者は〜京大を中退し、採炭夫や掘進夫として筑豊の小ヤマを転々とした無名の作家。本書は大手資本の安全弁として、過酷な奴隷労働と飢餓生活に苦しめられている中小炭坑の状態を内面から追求する」<span id="more-4426"></span></p>
<p>&nbsp;</p>
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</div>
<p>私は直ぐに購入し、一読したが、このオビの文章がナントモハヤ抽象的で、おざなりの決まり文句で、この本の中身のおぞましさを何も語っていない．．．な、と思ったものだ。</p>
<p>なにしろ、英信の妻・晴子の回想記「キジバトの記<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_1_4426" id="identifier_1_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 上野晴子．キジバトの記．海鳥社（1998）">2</a></sup> ｣（海鳥社/1998）によればー「彼のペンが描き出す中小炭坑の悲惨さに私は打ちの目されて、”これはほんとうのことなの？”と思わず聞いてしまう。</p>
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</div>
<p>彼は憮然として”女房がそんんこと言ってどうなるんだー”と憐れむように私をみた」と書いている位で、これが岩波新書として出るとなった時、書かれていることが本当かどうかを確かめるために、視察に来たと言う程のものだったのだ。</p>
<p>今どきの若者が、この本を読んで「つくりあげた」とか「嘘」の話しだとかの感想を述べる事に、晴子は「面食らって二の句がつげない」とも語っているが、ともあれ、この、全編これ恐怖の物語と（私は思うが）も言える本は、杉浦明平の推挙によって世に出たのだった。</p>
<p>私は今、ここで、この本から石炭を掘って行く中での自然の恐怖といったものについて一々引用しないが、それがどんな物かを知りたい人は、今この本、たしか「岩波新書」から岩波同時代ライブラリー」に移された筈だから、それで、読んでみてほしい。そのかわりに、その自然の恐怖を味わったルポタージュ作家の金賛丁が、上野の案内で、上野宅の近くの炭坑に入った時の文章を出す。</p>
<p>因みに金は、「パルチザン挽歌<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_2_4426" id="identifier_2_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 金賛丁．パルチザン挽歌．お茶の水書房（1992）">3</a></sup> 」（お茶の水書房/1992刊）で、</p>
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</div>
<p>北朝鮮の解放の父（と言われる）金日成の神話を打ちこわし、「シルクロードの朝鮮人<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_3_4426" id="identifier_3_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 金賛丁．シルクロードの朝鮮人．情報センター出版局（1990）">4</a></sup> 」（情報センター出版局/1990）</p>
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</div>
<p>でスターリンによる朝鮮人への迫害を描いた硬派の人で、1992年末に室蘭に来た時、私はあった事がある。その金は、筑豊で「狸堀』と呼ばれる小さな炭坑にもぐって行く。直径が1.5mぐらいの穴が地底に向かって開いている。カンテラの灯りだけが頼りだ。</p>
<p>「〜地底に おりた。抗木の軋みを聞く。見上げると太いマツの支柱が地圧に抗しかね、無惨にも折れ曲がっている。〜ようやく狭い切り羽にたどり着く。地熱でむんむんする。汗と炭で真っ黒になった2人の炭坑労働者が身を横たえるようにして20cm程の炭層からツルハシで炭を削りとっている。突然カンテラの光がぱーと輝き、そして消えた。漆黒の暗闇。恐怖で全身から冷や汗がしたたり落ちた。〜」</p>
<p>さて、この炭坑の生活の全てを画に残した人がいる。「山本作兵衛」だ。その作兵衛について、上野はこう書いている。</p>
<p>「わたしの敬愛して止まない老人〜、その人は、かつて日本一の産炭地として栄えた福岡県の筑法豊炭田に生まれ育った、生粋の炭坑労働者である。めっぽう酒が好きで、しかも強い。</p>
<p>酒だけならまだしも〜、それにもまして驚くべきは、天才的な記憶力である。〜彼が絵を描き始めたのは63の年からであるが、以来今日まで、描き上げられた絵は2,000点を越えよう。その一点一点が、日本資本主義の犠牲となった無垢の民の血と涙の記録である。」</p>
<p>この作兵衛が、心臓を悪くして入院となった時、家を離れたくないと泣いた由。「手のひら程の土地ばってん、一生働いて手に入れた土地たい。どこえも行かん。ここで死にたか」。夫婦になって66年、初めて奥さんに見せた涙だったそうな。</p>
<p>そして、1985年11月24日、飯塚市の嘉穂劇場で「山本作兵衛翁記念祭」が行われると、上野は，羽織袴に威儀を正して、「招魂の辞」を読んだ。作兵衛の画業は，今日目出たくユネスコの「世界記録遺産」なるものに登録された。これを機に、作兵衛の画を見せている田川市の記念館に，客が訪れ始めている由。「野田」とやらが、「どじょう」と言ったばかりに，エセ道学者とも言うべき「相田みつを」とやらの詩集だかが売れに売れ、その美術館に「どじょう」を観に行く人がふえている由。</p>
<p>これは、私だけの偏見で言えば，相田みつをに殺到なんてのは，単なるお調子者達の行為としか思えぬ。何たる付和雷同。「野田』でいいのは額縁屋、「どじょう」でいいのは「塩釜」だ、と私は思っている．（※野田=札幌の額縁屋．塩釜=室蘭のうなぎ屋）</p>
<p>まあ、冗談はさておき，作兵衛の画業はこれから益々広まるだろうから心配なしーとして、一方、作兵衛紹介に心をくだいて来た上野の本は、「暗くて」嫌だとて、今余り読まれていないようだが，見られるべき作兵衛の画と同様，読まれるべき本だ．ホラーだの，想像、いや妄想だけで成り立っているエセ歴史小説は少し放っといて，真に恐るべき現実を描いたものに目を向けては！！と思う。</p>
<p>上野同様、作兵衛を世に送り出すべく力をつくしたのは画家、菊畑茂久馬だ．彼は1975年の時点で言う。”昭和38年初めて彼の絵が（作兵衛）が世に紹介されて以来〜、しかし，十数年経った今日においても依然として，彼の絵画は正当な芸術的価値をただの一度もうけたことがない，そればかりか，日本の美術界は一顧だにしない．〜世の評価はここでも稚拙な図解、絵解きの類の風俗画の位置から動かそうとしないのである。”</p>
<p>そして今、作兵衛の画は「藤原道長日記」を退けて，世界記憶遺産となった．となると，上野の本同様，菊畑の本も，もう少し読まれてもいい。因みに上に引いた菊畑の文章は「川筋画狂人」からのもので、「フジタよ眠れ<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_4_4426" id="identifier_4_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 菊畑茂久馬．フジタよ眠れ．葦書房（1978）">5</a></sup> ｣に入っている。</p>
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</div>
<p>と言う訳で今回は作兵衛顕影に力のあった二人、上野と菊畑の本を紹介する．上野については，珍しい追悼集2種出しておく。</p>
<p>「天皇 の美術<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_5_4426" id="identifier_5_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 菊畑茂久馬．天皇 の美術。フィルムアート社（1978）">6</a></sup> 」「追悼・上野英信<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_6_4426" id="identifier_6_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 石牟田道子．追悼・上野英信．径書房（1988） ">7</a></sup> 」   「上野英信<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/312#footnote_7_4426" id="identifier_7_4426" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 井手俊作・田代俊一郎．上野英信．櫂歌書房（1988）">8</a></sup> 」</p>
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</div>
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</div>
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</div>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4426" class="footnote"> 上野英信．おわれゆく坑夫たち．岩波新書（1960）</li><li id="footnote_1_4426" class="footnote"> 上野晴子．キジバトの記．海鳥社（1998）</li><li id="footnote_2_4426" class="footnote"> 金賛丁．パルチザン挽歌．お茶の水書房（1992）</li><li id="footnote_3_4426" class="footnote"> 金賛丁．シルクロードの朝鮮人．情報センター出版局（1990）</li><li id="footnote_4_4426" class="footnote"> 菊畑茂久馬．フジタよ眠れ．葦書房（1978）</li><li id="footnote_5_4426" class="footnote"> 菊畑茂久馬．天皇 の美術。フィルムアート社（1978）</li><li id="footnote_6_4426" class="footnote"> 石牟田道子．追悼・上野英信．径書房（1988） </li><li id="footnote_7_4426" class="footnote"> 井手俊作・田代俊一郎．上野英信．櫂歌書房（1988）</li></ol>]]></content:encoded>
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