第169回 ベートーベン誕生の本.翻訳家達の人間像.他

`00.8.31寄稿

つい先日、室蘭工業大学のドイツ語の教授Oから電話がきた。用向きは・・・ベートーヴェンの「第九交響曲」についてで、何でも「新日本フィル」が北海道公演の時、有名なかの「歓喜の歌」のところで、歌詞を変えて歌ったことがあるらしい。つまり、「お〜、喜びよ(=Freude=フロイデ)」とやるべき所を、「お〜、自由よ(=Freiheit=フライハイト)」とやったらしい・・・。が、本当か? 続きを読む 第169回 ベートーベン誕生の本.翻訳家達の人間像.他

第167回 マヤコフスキー変死の謎

`00.7.14寄稿

昔モスクワに行った時のこと、夜の街並みの暗いのに驚いた。ネオンサインの類いが、全くと言っていい程無くて、大した数があるとは言えぬ街灯のぼんやりとした光があるだけだから、最初は一寸異な思いがしたが、慣れるとかえってその暗さが味わいあるものに見えてきて、興がはっきりとせぬ横町なぞには、思いもかけぬ情趣があって、「あーきれいだな」と思ったことだった。きっと19世紀のモスクワは、ケバケバしさのない淡々とした美しさを持つ街だったに違い無い。 続きを読む 第167回 マヤコフスキー変死の謎

第165回 ドイツの歴史教育と日本

`00.6.16寄稿

「ブッチホン」の小渕元首相は、私と同じ年か一つ下、森首相は更にその一つ下、位で、つまりは同年輩だが、私は時々、彼と我、育った時代が違うのではないか・・・と思う時がある。

故小渕元首相は、今おくとして、森首相に対しては殊にその感が強い。と言うのは、私は、いわゆる戦後の「墨ヌリ教科書」で育った世代で、言い換えれば、戦後民主主義の教育を会身に受けて小学校、中学校を終えたのであって、私自信は、いい時代に、いい教育を受けたものよと、ありがたい気持ちでいる。 続きを読む 第165回 ドイツの歴史教育と日本

第164回 運動会の本とシーボルト・イネの本

`00.6.2寄稿

私は、栄高校の2年まで硬式野球の選挙で、3年生になると、受験が控えているので退部したが、足はこれでも遅い方ではなかった。だから運動会はちっとも苦にならず、又、3等以内に入らぬと言うことは、先づなかった。 続きを読む 第164回 運動会の本とシーボルト・イネの本

第163回 絵本作家と風刺画家グロッズ

`00.5.17寄稿

今年は「国際児童年」だが、先週、そのことに関して北海道新聞社の本社から、生活部の記者で、旧知の、五十嵐さんが取材にきた。色々なテーマについて聞かれたが、その一つに「近年出た絵本の中で、山下さんにとっていい本は、どんな本ですか」と言うのがあった。そこで私は、二人の作家の作品集をあげた。 続きを読む 第163回 絵本作家と風刺画家グロッズ