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	<title>山下敏明さんのあんな本、こんな本</title>
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		<title>司書独言（125）</title>
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		<pubDate>Sat, 19 May 2012 06:20:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[司書独言]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.4月寄稿 ○月○日　「戦後思想に圧倒的影響」と言った似たような見出しで、各紙に吉本隆明の死去が報じられた（4/16）。そして大方の記事が、｢大震災後も科学技術の進歩を肯定する立場から原発容認の発言をしていた」と [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.4月寄稿</p>
<p>○月○日　「戦後思想に圧倒的影響」と言った似たような見出しで、各紙に吉本隆明の死去が報じられた（4/16）。そして大方の記事が、｢大震災後も科学技術の進歩を肯定する立場から原発容認の発言をしていた」と閉じている。</p>
<p>池澤夏樹他多くの識者が、原発を人間が制御出来ぬものと捕らえて、元原子炉設計者の後藤政志が「安全が確証されないという原発の特性を考えると脱却しかない」と語る時に、科学技術の進歩を信ずると言うのは、理工系の人間故の迷妄あるいは過信と言うべきか、その楽天的な態度に考えさせられたな。</p>
<p>○月○日　原発と言えば「ガレキ」。先日とある番組で、出場者全員が「ガレキ」を引き受けぬのは「非国民」てな発言をしている中で、「ざこば」なる落語家が、「絆」を連発して、奇縁を上げたのはいいが、司会者が｢では、其の処理場がざこばさんの家の隣に来てもいいということか？」と訊くと、その返事が「いや、そんな極端なこと言われても」で、途端に逃げ腰になったのは驚いた。</p>
<p>もっとも、墓場が来る、ゴミ焼却場が来る、町内のゴミ収集所が来る、と言ったこと全て、自分の家の向こう三軒両隣はゴメンというのが大方の人情だから、「ガレキを引き受けないのは非国民」的にガンバッタものの、我が家の隣では、と腰が引けたざこばを一概には笑えぬけれどもね。</p>
<p>○月○日　「ガレキ」処理で、私が、我ながら馬鹿と思いつつ１人で｢想定｣していることがあって、それは「ガレキ」は今出ている案のように各自自体で平等に処理するのいいーだがその前にやってもらいたいことがあるーと言うのは馬鹿馬鹿しい話しで、それは原発に「群がって｣きた連中の庭に先ず一定量分配してくれと言うこと。例えば「地震が起きたら、本当はここ（柏崎刈羽原発）へ逃げるのが一番安全｣と言ったビートたけし、例えば「放射線の影響は、クヨクヨしている人に来ます」とニコニコ顔で言う山下俊一長崎大学教授、例えば「放射性物質が、実際より多分かなり怖いと思われていることに問題があるんではないか｣と言った勝間和代、例えば「今回、自衛隊、警察、消防、東電の現場で働く人々は、命をかけて他者を守る最高の姿勢を見せた〉と、犠牲にする側をさておいて、犠牲にされる側のみを称賛する、我が身にはおよばぬだろう派の曾野綾子。とまあ、まだまだいるのだけれど、とにかくその連中に、ざこばのように逃げずに、隣はおろか、どうぞ我が家の庭に持って来て下さい、ぐらいは言ってもらいたいものだ、と馬鹿馬鹿しいことを内心おもっているのです。</p>
<p>○月○日　「科学の進歩｣と言えば、それみたことか、だから言わんこっちゃない、と言うことが起きた。私は以前この欄で、英国の哲学者バートランド・ラッセルの説を引いて、宇宙開発なるものに疑問と危惧を呈したことがあった。それは一言で言うと、宇宙開発は結局軍事利用されるぞと言うこと。ところが3月8日に｢宇宙は平和のために」と最初の宇宙飛行士の秋山豊寛や、ドイツ文学者池内紀の兄（？）で宇宙物理学の了ら6人が、JAXA法改悪に対して反対署名を呼びかけた。JAXA(宇宙航空研究開発機構）法から、「平和目的〉規定が削除されることに反対してのもの。理由は宇宙へのロマンを大切にしたいから、だと。</p>
<p>○月○日　何を今更、遅いってえの！。B・ラッセルの指摘を待つまでもなく。宇宙開発の目的は軍事利用に決まっとる。それが見抜けぬか！。この6人の中に「小出五郎」がいるのが気にかかるね。この男NHKのニュ―ス解説で、チェルノヴィリ事故はソ連だから起こった原発事故だ、日本では起こらぬと主張した人だよ。私は，天にはかぐや姫と，天の川と，牽牛・織り姫が居れば充分だ。</p>
<p>○月○日　年柄年中世にはばかったような顔をしている名古屋の川村市長が、その顔に相応しい発言をして物議をかもしている。事もあろうに、南京市の訪日代表団に対して「南京大虐殺はなかったのではないか」と発言した事。この事件に付いては歴史学研究では既に決着済みの事、とは一寸でも本を読んでいる人間には常識だから、ここで私も改めてとやかく言う気はないが、それでも尚論を立てたい人は、論争の全経過を丹念に追った笠原十九司（とくじ）「南京事件論争史」（平凡社新書403／2007.12刊/￥840+税）を篤と読んでもらいたい。それで尚納得出来なければ，何おか言わんやだ。</p>
<p>○月○日　「悠香｣社は訳460万人に約4,650万個の「茶のしずく石鹸｣を売ったが、使った人の569人が発症、1,254人が発症を訴えたと。何で、？小麦アレルギーなるものにかかった由。何だか妙にかん骨が張った女優が？が、「あきらめないで」とやってたが、｢あきらめなかった人」の中には裏目に出た人がいた訳だ。私は生来すぐあきらめる口で｢がんばる」のが嫌な方だが、物事｢がんばるばかりが能でないってことだ、と私は思う。大体、クリームも石鹸も、諸々当てにならんぞ。その最たるものは養毛剤と歯磨き粉だ。ハゲも虫歯もいなくなった様子が全くない。宣伝で養毛剤をジャブジャブ振りかけている男女のタレント連中の30年後位をみてみたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>第317回日本美術所蔵世界一のボストン美術館</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 09:01:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.3寄稿 3月24・25（土・日）の両日、｢モルエ中島」で「ダ・ヴィンチのパリ手稿展」をやるのに、色々と頭をひねっていて．．．諸事万端、この人が居ない始まらぬ、と言う程に気の利く妙女にTELをかけた。ダ・ヴィンチ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.3寄稿<br />
3月24・25（土・日）の両日、｢モルエ中島」で「ダ・ヴィンチのパリ手稿展」をやるのに、色々と頭をひねっていて．．．諸事万端、この人が居ない始まらぬ、と言う程に気の利く妙女にTELをかけた。ダ・ヴィンチのパリ手稿=手帳の大きさは、掌大から大学ノート大まで様々で、普通ならこれを開いて出せばいいのだが、如何せんダ・ヴィンチはいわゆるギッチョ=左利きで、そのアルファベットは、したがって逆さ、つまり「鏡文字」になっている。<span id="more-4703"></span></p>
<p>それを正常に見せようと、まず小幡由紀子さんから、藤娘とやらが入っていたと言う人形ケースを譲ってもらい、函の中の正面に鏡を置き、それに向かって大学ノート大のものをＬ字型に開いて置いて．．．これで見える筈。<br />
次なる厄介は掌大の手帖で、ふと思い付いたのはホテルの鏡の隅っこにある2倍強の奴、それを下に置き、ガラスの鍋かバットをかぶせ、その底に当る部分に手帖をおいて開けば．．．として．．．と言う具合で、<span style="text-decoration: underline;">妙女</span>そして<span style="text-decoration: underline;">泰女</span>に以来、ナントカ揃いそうになってきた。</p>
<p>そのTELの時、妙女が言うにはテレビでボストン美術館の紹介をしていて、絵巻だ、竜だとの話しだ、と言う。私はそれについてすこしばかりかいせつをしてTELを切った。その直後に偶然のように田澤早智子女が来た。</p>
<p>早智子女は、「ふくろう文庫特別展inモルエ中島」他に際してのポスターを書いて呉れている書家で、書の○○展出品などの合間を縫って協力してくれている。早智子女が言うには、92歳になる母親が雑誌「サライ」を定期購読していて、先日行ったらそれを見せてくれた。中にボストン美術館の里帰り展のことが出ていて、読み終わって寝ようとしたら、ナントカテレビで11；00から「ボストン美術館特集」で、絵巻だ竜だと出て来たので、一旦布団に入った母親も起き出して、共々すごいすごいと観たんです、ーと話している所へ、泰女がガラスのバット他を持って来てくれて話しに加わり、「あー、あの絵巻すごかったね」となった。さて話しに出てきた絵巻とは①「平治物語絵巻・三条殿夜討の巻、②吉備大臣入唐絵巻」で竜とは曾我蕭白の｢雲竜図」である。</p>
<p>①は、平治元年（1159）、源平合戦の最初の戦い、とも言うべき「平治の乱』で、三条殿の焼き討ちと後白河上皇の拉致を描いたもので、合戦絵巻の最高峰、縦41.3cm、700.3cm。平治の乱の100年後、13世紀後半鎌倉時代の作。日本にあれば当然国宝。これを持っていた人はかのアーネスト・フェノロサで、これを含めたコレクションを、明治19年（1886）に全部ボストンの大金持ちウエルドに売却、ウエルドはこれを明治44年（1911）に又全部ボストン美術館に寄贈して、以後フェノサ＝ウエルド・コレクションと呼ぶ。</p>
<p>②は、奈良時代、実在の秀才官僚・吉備の真備（きびのまきび）が主人公の絵巻、遣唐使の真備は唐に渡って皇帝に愛されるも、唐人達によって、あれこれの嫌がらせ、又テストを受けさせられる。困り果てた時には先に唐に渡ってその地で死んだ、阿倍仲麻呂（あばえのなかまろ）の霊が出現して助ける奇想天外な筋の運びと、洒落た絵で、実に面白い。</p>
<p>この①と②については私は「本の話し｣に書いたことがあるから、今回はこれくらいにしておく。只一つ、面白さの例を上げるなら、吉備は当時日本にはなかった囲碁の勝負に引きずり出され、辛うじて勝つが、これは一種のカンニングによる勝ちで、私はこれを『日本最初のカンニング｣と名付けた。</p>
<p>この全部で4巻からなる絵巻は、これ又日本にあれば国宝だがナント昭和7年に日本人の手によって持ち出され、ボストン美術館に収まってしまう。持ち出した人は、これ又、岡倉天心の後任者・富田幸次郎。これが物議をかもし、結果昭和8年（1933）に美術品の海外流出を防ぐ法律が出来たが、つまりは｢後の祭り｣と言うか「怪我の功名」と言うか！！さてこの2点の中の①が「ふくろう文庫」にあるのです。泰女が「すごかったわね」といったのがこれ。</p>
<p>早智子女が92歳の母親と驚いた場面とは、三条殿が燃えさかる場面の炎の描き方。実はこの炎日本美術史上三大炎の描写の一つ、と言う人もいる程ののもの。</p>
<p>次に｢竜」と言うのは、曾我蕭白の「雲竜図」のこと。元々は襖の絵で、全部で8面の由。これ、本邦発紹介。さて、ボストン美術館今や、世界一、日本美術を所蔵している館だが、底が今回92点もの、国宝・重文クラスの作品を持ってくる。東京国立博物館での3月20日を皮切りに、最終は最終は平成25年6月16日の大阪市立美術館まで、名古屋、九州とロングランだ。お金と暇のある人は、このいずれかに行くべし。</p>
<p>参考までに．．．．ボストンに何故にかくも多くの日本美術が集まったかを知りたい人には、堀田謹吾の「名品流転<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_0_4703" id="identifier_0_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 堀田謹吾．名品流転．NHK出版（2001）">1</a></sup> 」（NHK出版）</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%90%8D%E5%93%81%E6%B5%81%E8%BB%A2%E2%80%95%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E8%AC%B9%E5%90%BE/dp/4140805811%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4140805811"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/618K6X1WWTL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>と、矢代幸雄の「日本美術の恩人達<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_1_4703" id="identifier_1_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 矢代幸雄．日本美術の恩人達．文芸春秋社（1961）">2</a></sup> 」（1961/文芸春秋社）を。そのボストンで指導的役割を果たした天心を知る為には、吉田千鶴子の「〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたものー〉<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_2_4703" id="identifier_2_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 吉田千鶴子〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたもの．吉川弘文館（2011）">3</a></sup> 」（吉川弘文館)を、</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E2%80%95%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%90%89%E7%94%B0-%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90/dp/464205717X%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D464205717X"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51LSiNGpIpL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>蕭白を含む若沖やら又兵衛らを知りたい人には、それらの画家を発見したと言ってもさしつかえのない美術史家・辻惟雄の「奇想の系譜<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/317#footnote_3_4703" id="identifier_3_4703" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 辻惟雄．奇想の系譜．美術出版社（2004）">4</a></sup> 」（美術出版社）を、</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%BE%BB-%E6%83%9F%E9%9B%84/dp/4480088776%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4480088776"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51JYXRT8S8L._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>又「しょうはく」１人については、2005年京都で見て来たきた「曾我蕭白―無頼という愉快」の図録を出しておく。</p>
<p>「ふくろう文庫では」今年1月「清明上河図」を3月には「ダ・ヴィンチ」をーと、常に中央に先駆けての展示をして来た。そこでモルエの工藤さんが5月にも何かやってくれと言う。私が思うにボストンに合わせて、「平治物語絵巻〉を4月に出そうかと．．．計画し、4月28日(土）29日（日）に行うことになりました。ボストンものはあと2点掛け軸があるのだけれど、モルエには高さ2mを越すパネルが無いのでこれは展示出来ぬのが残念。皆さん 平治物語絵巻を」室蘭で観よう１１</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4703" class="footnote"> 堀田謹吾．名品流転．NHK出版（2001）</li><li id="footnote_1_4703" class="footnote"> 矢代幸雄．日本美術の恩人達．文芸春秋社（1961）</li><li id="footnote_2_4703" class="footnote"> 吉田千鶴子〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたもの．吉川弘文館（2011）</li><li id="footnote_3_4703" class="footnote"> 辻惟雄．奇想の系譜．美術出版社（2004）</li></ol>]]></content:encoded>
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		<title>司書独言（123）</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 09:05:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[司書独言]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.月寄稿 ○月○日　ジャコベッテイ（だったか？）監督の｢世界残酷物語」が流行って、その多くは『やらせ』だったようだが、真似したようなものも大分出た。その頃見たもので，南洋のナニヤラ島で成人の儀式として，蔦のロープ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.月寄稿</p>
<p>○月○日　ジャコベッテイ（だったか？）監督の｢世界残酷物語」が流行って、その多くは『やらせ』だったようだが、真似したようなものも大分出た。その頃見たもので，南洋のナニヤラ島で成人の儀式として，蔦のロープに足首を縛って滝壺に飛び込むと言うのがあって，高所恐怖症の私としては想像するだに恐ろしくて、あーこの島に生まれなくて良かったと思ったものだった。この儀式が即ちバンジー・ジャンプで、ナニヤラ？島は、ニュー・カレドニア北諸島だと今では知っている。<span id="more-4691"></span></p>
<p>○月○日　これを現在の如く橋の上やらクレーン車の上から落下式にしたのは、ニュージーランドのA．J．ハケットなる物好きな人。最初エッフェル塔でやったと言うから耳を疑う。ところで1月10日の新聞によると、オーストラリアの 22歳の女がジンバブエで高さ111mのバンジージャンプに挑戦したはいいが、ロープが切れてワニがわんさといるザンベジ河にザンブと転落、あわやと思われたが、鎖骨を折った位で助かった。人類発祥の地たるアフリカにいるワニとしては、アボリジニー（元からいる人の意）を差別しているオーストラリア人には食欲がわかなかったのだろうて。</p>
<p>○月○日　高所恐怖症と言えば、「ふくろう文庫｣に100万、いや1,000万寄付するから、山下さんやってみて、と言われても絶対お断りだと思うのは、空中遊泳。飛行機から飛び出して両手を広げて暫しのあと、パラシュートを開いてというアレ。いつだったか、ヤクザ映画の常連俳優で悪相の大男（名前知らず）が出た所、パラシュートが開かず、きりもみ状態になって危うく助かったはいいが、着地した時には冷や汗はおろか、下の方はおむつ必要状態にビビリ、チビっていて、見かけ倒しなもんだなと思ったことがあった。まあ、酒飲んで暴れたり、私語の連続で知事やら市長に一喝されるような地方の成人式には、会場入り口でこのバンジーやら空中遊泳を通過儀礼としてやれば、表だけ強面と言うのは減るかも知れんな。<br />
○月○日　年明け7.8と2日間「第2回ふくろう文庫特別展inモルエ」をやった。出したのは12世紀に描かれた「清明上河図」で昔の中国六大都市の一つ開封（かいほう）賑わい振りをテーマとした5m余の絵巻の完全復刻版、宋の画家・張擇端作。丁度これの本物が「日中国交40周年」で中国から初めて国外出品戸言うことで「神品日本へ」との触れ込みで、東京国立博物館で開催中、おまけに8日のNHKの「日曜美術館」でこれを取り上げた、作家の浅田次郎が解説舌ものだから、10：00開店と同時にワッと人が来た。「ふくろう文庫」ではこの他に明の仇英と清の5人の画家分担による模写を2本並べたから大好評だった。<br />
○月○日　室蘭民報の美人記者高橋結香嬢が予告記事の中で、「〜山下代表がマンダリンガウンに身を包み作品を解説する」と書いてくれたとおり、私は雰囲気作りのため黒のサテン地のそれを着て会場にいたが、何人もの人から「マンダリンガウン」の意味を訊ねられた。mandarin(ポルトガル語）とは、中国清朝の官吏のことで、その制服がマンダリンガウンだが、あと別に2つの意味がある①中国の公用語で北京官話、②は中国原産のみかんで、これは実の色がガウンと同じ色だからだ。〜と書いて私はギリシャ旅行を思い出した。食後にマンダリンが出たが、隣席の人がこれは何？と訊くと「マンダリン」と答えられて、「あら、オレンジじゃないんだ」と言ったのだ。オレンジの一種としてのマンダリンの名がまだ一般的じゃなかったと言うことかな。<br />
○月○日　結香記者は自分も真紅のチャイナドレスを着て一日手伝ってくれて、名画3点に錦上花を添えてくれたが、この中国と聞けば皆が連想するチャイナドレスは、マンダリンガウンと較べると、その出現は史上ずっとあとだ。この辺りの服飾史についてはいずれ取り上げてみよう。因みに｢ふくろうの会」の香川妙女は、正月早々上京して国立博物館に行ったが、切符を買う迄に3時間外で待たねばならぬと分かって、諦めて図録だけを買って来てくれた。これは賢明な態度と言うべきでーと言うのも2cm程の人間が、800人も描き込まれている「清明上河図」を黒山の人の背中越しに、かつウインドウの彼方に観ようと言うのは土台無理でーそれが当文庫では拡大鏡を片手に本物と寸分たがわぬものを、額をくっつけてみられる訳だからーです。<br />
○月○日　正月だと言うのに、ヨットの学校では飛び降りるわ、台湾の留学生が殺されて犯人が自殺するわ、悪い方に賑やかだと思っていたら、京都の動物園の猿山に花火を投げ込んだ5人の馬鹿が出た。猿は鼻に火傷で、尻も赤けりゃ鼻までもでは可哀想なこと。園長は「電話でもいいから謝罪を」と言っているが、「さる者は追わず｣でなくて、是非とも取っ捕まえて、先ずはサルまわ師の所に送り込み反省の態度をしこんでから、おもむろに広瀬鎮の名著「猿」（ものと人間の文化史34/法政大学出版局/￥2,472）を読ませ、かつレポートを提出させて、自分達の先祖たる猿の驚くべき偉大さを身につけさせてから、釈放とした方がいいんじゃないのかね。<br />
○月○日　元号｢平成」の典拠なる「古文尚書」なる古典が偽書と判明した、と北京日報が1月16日発表した由。これ四書五経の一つで、中国古代の王達の言辞を記録した「書教」の原本だとされていたもの。「平成｣の総理大臣が押し並べてインチキな連中だったのは、典拠が偽者だったからか？イヤ典拠が本物だったとしても、彼等のインチキぶりには変化はなかったろう。</p>
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		<title>第316回  「天才　ダ・ヴィンチ」の本</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/316</link>
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		<pubDate>Thu, 12 Apr 2012 05:43:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.2月寄稿 毎日、読んだり書いたりの合間には新聞を切り抜いて、関連する本に貼って行く。切り抜く分野は様々で、もちろん芸術も入っているが、これは政治や社会と違ってそう毎日あるものではない。 それでも今年に入って1月 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.2月寄稿</p>
<p>毎日、読んだり書いたりの合間には新聞を切り抜いて、関連する本に貼って行く。切り抜く分野は様々で、もちろん芸術も入っているが、これは政治や社会と違ってそう毎日あるものではない。<span id="more-4670"></span></p>
<p>それでも今年に入って1月11日には、アテネの国立美術館で、ピカソの「女の頭部」とモンドリアンともう1点盗まれ、その額5億4,000万円と出た。2日おいて1月13日には、今度はいい知らせで、ドイツはリューベックの音楽大学のブラームスの研究所が、ベートーベンの手書きの書館が発見されたと、発表した。1823年7月にウイーンからパリ在住の作曲家に宛た手紙の由。中身は、目の具合が悪い、甥の学費が足りない、給料が少ない、と嘆いた後、同年に完成した大作｢ミサ・ソレムニス」の買い手はないだろうか？と言ったようなことの由。</p>
<p>さて、2月に入ると早々3日に、スペインはマドリードのプラド美術館が所蔵している「モナ・リザ」の模写は、パリはルーブルのオリジナルの最も初期の模写と見られる。しかも、弟子の１人がダ・ヴィンチと同じアトリエで師と並んで制作した可能性もないではない．．．．との見解だ、と発表。</p>
<p>ダ・ヴィンチと言えば、昨年の7月12日には、17世紀にイギリスのチャールズ1世が持っていて、18世紀半ばに競売にかけられ、1900年作者不明で、英国のコレクターの所蔵となり、2005年にアメリカのオークションで現在の所有者が落札したという作品が、ナント、ダ・ヴィンチの幻の作品だと分かった、とのニュースがニューヨークから報道された。絵のテーマはキリストで、題名は「サルバトール・ムンディ」即ち「救世主」。これ今年の11月にロンドンのナショナル・ギャラリーで展示される由で、時価160億円だと。</p>
<p>「ダ・ヴィンチ天才の仕事 <sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/316#footnote_0_4670" id="identifier_0_4670" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" ドメニコロレンツ．松井貴子訳．ダ・ヴィンチ天才の仕事．二見書房（2007）">1</a></sup> 」</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81-%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E2%80%95%E7%99%BA%E6%98%8E%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%8132%E6%9E%9A%E3%82%92%E5%AE%8C%E5%85%A8%E5%BE%A9%E5%85%83-%E3%83%89%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%B3-%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A1/dp/4576070916%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4576070916"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51twIZVXMeL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>「フーン」と感心しているところへ、札幌の大西君から手紙が来て、3月頃には｢ボストン美術館展」と「ダ・ヴィンチ展」が東京であるらしい。「ダ・ヴィンチ展」の方は先に関西でやって、そのあと東京ということになるらしい．．．云々とある。これを読んで、私が独りごちたのは、「やはり、ダ・ヴィンチで行くか」だった。</p>
<p>「レオナルド・ダ・ヴィンチ<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/316#footnote_1_4670" id="identifier_1_4670" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 田中英道．レオナルド・ダ・ヴィンチ．講談社学術文庫（1992）">2</a></sup> 」</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81-%E8%8A%B8%E8%A1%93%E3%81%A8%E7%94%9F%E6%B6%AF-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%8B%B1%E9%81%93/dp/4061590138%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4061590138"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21A9WK8E7NL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>「ダ・ヴィンチ物語<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/316#footnote_2_4670" id="identifier_2_4670" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="メレシコフスキー山田美明訳．ダ・ヴィンチ物語．英知出版（2006）">3</a></sup> 」</p>
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	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E4%B8%8A-%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4754220625%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4754220625"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/414P9ARD81L._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>今年1月、中国は一級文物、即ち国宝の「清明上河図」（せいめいじょうがず）を初めて国外に出すとの触れ込みで、東京博物館に持って来た。但し期間限定と言うことで、1月24日（だったか）には本物は中国に戻り、そのあとはオリジナルの完全復元版が展示された由。</p>
<p>心臓手術の数日前に天皇・皇后が観に行ったと報道されたが、以上の事情からして御二方の観た「清明上河図」はレプリカだった訳だ。</p>
<p>｢レプリカ=Replica=原形を忠実に模して制作した複製品」で、中国ではこれ（清明上河図のレプリカ）を国賓=こくひん=その国家による正式な招待客への土産に供するそうだから、両陛下が観たものが、このレプリカだったとしても、何の不都合もない。</p>
<p>さて、我々「ふくろう文庫」では、1月7.8の両日、「モルエ」でこの国賓が土産として持ち帰るレプリカと同じものを展示した上、更に、この宋時代の画家・張擇端（ちようたくたん）のオリジナルに触発されて描き上げられた明の仇英による「清明上河図」と清の「本院・清明上河図」のレプリカも併せて展示した。</p>
<p>結果は大好評で、来る人、来る人備えてあった拡大鏡を使ってじっくりと観ては、皆上機嫌で帰って行った。この好評を受けて、2月にも続いての展示をとの要望があったが、「ふくろうの会」の会員の時間の都合もあって、3月に持ち越すことにした。</p>
<p>さて、ここからが問題で、「何を出すか」だ。それを、あれか、これか？考えている所へ，ダ・ヴィンチのニュースが新聞に出、大西君からの手紙が来、で、「ダ・ヴィンチにしようかな」と思っている所へ、その案を強くおす要因が加わった。</p>
<p>と言うのは、ここに｢カイ」という季刊雑誌があって、その2012年冬号が「やっぱり、本が好き」との特集。中で、私と「ふくろう文庫」が紹介された。</p>
<p>執筆したのは矢島あづささん、写真は伊藤留美子さん。その紹介の文章は実に間然とする所のない文章で、写真も又良くて、読んだ何人もの人から、良かったとの感想が来た。未だ見ていない人のなめに「カイ」2012.vol.4「特集・やっぱり本が好き』（札幌ノーザンクロス発行/￥680）市内の書店、コンビニで求められる。本州では出ていないので直接注文してください。tel011-232-3661・fax011-232-4918</p>
<p>さて、その中で矢島さんが言うには、「〜6時間に及ぶ特別講義（取材）が始まった。思わず息をのんだのは、パリのフランス学士院に収蔵されるレオナルド・ダ・ヴィンチの　“パリ手稿”　原典ファクシミリ版だ。絵画の遠近法、光学、幾何学、水力学など、ダ・ヴィンチが思い付きやアイデアを直筆で書いた手帳で、そのインクの色、紙質や製本の材料、手垢のような汚れや破れまで、オリジナルを忠実に復刻している」〜。これ以上巧みな解説があろうか。これ全部で12冊、として持ち帰ったものだあ。この12冊（大小あれど全部手帳だ）+解説2冊、日本国内にわずか115部。この12冊、、実はナポレオンがイタリアはミラノのアンブロジアーナ図書館から戦利品として持ち帰ったものだあ。</p>
<p>この12冊に加えて、ウインザー城王室図書館が所蔵する素描集を並べると、更に興が増すに違いない。と如上のことを心中思いつつ、3月末展示方法を種々考えている所だ。｢室蘭で俺の手帳を！」とダ・ヴィンチが驚くに違いない。そう言えば驚いた顔のモナ・リザを描いた人がいたっけな。</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4670" class="footnote"> ドメニコロレンツ．松井貴子訳．ダ・ヴィンチ天才の仕事．二見書房（2007）</li><li id="footnote_1_4670" class="footnote"> 田中英道．レオナルド・ダ・ヴィンチ．講談社学術文庫（1992）</li><li id="footnote_2_4670" class="footnote">メレシコフスキー山田美明訳．ダ・ヴィンチ物語．英知出版（2006）</li></ol>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>ふくろう文庫紹介「渓山魚隠図」</title>
		<link>http://t-yamashita.info/article/bunko</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/article/bunko#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 07:25:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍／新聞]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.3.23 北海道新聞掲載 &#160;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/323.jpg"><img class="alignleft size-large wp-image-4648" title="323" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/323-384x1024.jpg" alt="" width="384" height="1024" /></a>2012.3.23 北海道新聞掲載</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>第315回「温泉文化史・東西昔話」</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/315</link>
		<comments>http://t-yamashita.info/book/315#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 02 Apr 2012 07:21:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.1.16月寄稿 1月21日土曜日、登別市立図書館3Fで講演をする。図書館が市民向けに行う文化講演といった趣のものだ。演題は「温泉文化・東西昔話」。それでこの何日か用意をしている。いつもの如く、書棚から関連の本を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2012.1.16月寄稿</p>
<p>1月21日土曜日、登別市立図書館3Fで講演をする。図書館が市民向けに行う文化講演といった趣のものだ。演題は「温泉文化・東西昔話」。それでこの何日か用意をしている。いつもの如く、書棚から関連の本を出して、既に読んで付箋を付けてある所をチェックしてという順序でやるのだが、今｢温泉」と書名にあるものが2,30冊目の前においてある。今日は1月16日、図書館は休み。それで朝食後、新作DVDの「小川の辺」を返しがてら、登別は「さぎり湯」に直行し、入浴後そばを食べて帰宅−で、今これにかかったところ。<span id="more-4658"></span></p>
<p>大正15年4月に発行された田山花袋の「復刻版温泉めぐり<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_0_4658" id="identifier_0_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 田山花袋．復刻版温泉めぐり．岩波文庫（2007）) ">1</a></sup> 」には（1）「温泉のいろいろ」から（105）の「満鮮の温泉」まで、各地の温泉が紹介されているが、</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%94%B0%E5%B1%B1-%E8%8A%B1%E8%A2%8B/dp/4003102177%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4003102177"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51iVTDpLywL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>今日行って来た登別は、ナント、尻から2番目の（104）に「登別と北投」とあって、花袋が書くには、「〜さてこう書いて来て、もう二つ優れた温泉が日本にあるのを私は思わずにはいられない。沢山書いて来た何の温泉場にもすぐれて勝っている温泉場が。それは何処か？、即ち北海道の登別温泉と、台湾の北投温泉とである。〜殊に、登別温泉の湯の分量の多いのなどは、人の目を驚かすに足りると言うことである。遺憾ながら、私はまだ両方とも行っていない。〜」このあとで花袋は面白い表現をする。「〜そうした温泉、つまり登別と北投が内地になくって却って外藩にあると言うことは、一種不思議な皮肉を私に感ぜしめずには置かなかった」。</p>
<p>北海道は台湾と一緒に植民地扱いされているのである。もっとも私の年代でも、大学時代、夏休みのあと又東京に出かけるのを「明日、内地に戻る」なんぞ言っていた。</p>
<p>さて、ここに嵐山光三郎の「ざぶんー文士放湯記ー<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_1_4658" id="identifier_1_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 嵐山光三郎．ざぶんー文士放湯記．講談社（1997）">2</a></sup> 」がある。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%96%E3%81%B6%E3%82%93%E2%80%95%E6%96%87%E5%A3%AB%E6%94%BE%E6%B9%AF%E8%A8%98-%E5%B5%90%E5%B1%B1-%E5%85%89%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4062085380%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4062085380"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41Q41E4WKAL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>私はこの人嫌いではない。大方読んで来ている。「悪党芭蕉」なんて大した本だと思う。余談だが、何年前だったか、嵐山と札幌駅構内で行き交ったことがある。忙しげに歩いていて、その姿形は、今どき珍しくトンビ=二重回しのようなマントを着て、シャーロックホームズ風の帽子をかぶって、お付きの者3人程従えて中々格好良かった。それはいいが、この｢さぶん」で嵐山が花袋について言うには．．．．</p>
<p>場所は奥日光の温泉、花袋は国木田独歩と湯につかっている。すると、女湯に客の入る音が聞こえて、独歩は覗き見をする。目の先には黒髪の女がいて、独歩が花袋に言うには、「この女は好き者だぜ、一度男にくらいついたら、食いつくしてしまう」．．．で、この女はナント20歳の与謝野晶子だと分かる。どうしてか？、宿の入り口に”境敷島会御一行様”とあり、女性短歌会の研修旅行の一行の１人だからだ。覗き見のあと独歩が花袋に言うには「やあ、おめえ、チンポコ固いじゃないか、興奮しやがったな〜、お前の筆名は汲古（きゅうこ）だったな。そんな小難しい名はやめて、勃起としたらどうだ。えーおい。ウーン、勃起じゃ生々しいか。では固いってのはどうだ。チンポコ固い、じゃなくて『山田固い』。そして追っかけて「固い、歌体、火体、過胎〜おめえ田舎者だが花が好きだからな、そうだ花袋にしろ」。こうして本名録彌（ろくや）は花袋となった。？？？？文学史の史実をちりばめているのはいいが、こう品のない与太を飛ばされると．．．．。</p>
<p>私は中3から高1に欠けて、その頃文庫本で出ていた田山花袋の本をは全部読んだ。同時に徳富沪花のも全部読んだ。皆が長くてもてあますという長編の「時は過ぎ行く」も「生」もちっとも長いとは思わなんだ。アルフォンス・ドーテの「パリの三十年」にヒントを受けて書いた｢東京の三十年」も好きだった。</p>
<p>ところで、フランス文学者の中村真一郎は、｢花袋には、それこそ”バカ正直”な誠実と純粋さがあり、〜やがては、人々をある感動に誘い込む力を持っていたのであろう」と言っているが、高一の私も誘い込まれた方だったのだろう。「一兵卒の銃殺」にも「重右衛門の最後」にも本当に感動した。</p>
<p>その誠実な花袋の筆名の由来が「固い」だって？。「おふざけが過ぎないか？」と言いたい所だが．．．．。他人が言ったり書いたりしたことに、「まさか？」</p>
<p>とか｢眉唾だ」と言うひとがいる。</p>
<p>こう言う反応を示す人は、往々にして無知で見聞がせまい人が多い。自分の知見外の人間や事柄が存在することが分からぬ人なのだ。「まさか派」をそうとらえている私は、だから、この嵐山の｢固い｣説に対しては「初耳だ」とだけにしよう。嵐山は「ざぶん」を書くにあたって伊藤整の「日本文壇史」に一番世話になった、と言う。「初耳」の私としては、「日本文壇史」を読み返すことにしよう。</p>
<p>「東京三十年』には確か「KとT」なる一章があって、これは国木田と田山のことだが、これも読み返してみよう。それにしても、虚構とは言え連想に品がない。</p>
<p>高一の時に田山、徳富を専ら読んだと、と書いたが、高2の時には有島を読んだ。高2の夏に全国高校弁論大会があって、社会科の水口先生に強くおされて、私は全道大会に出たが、結果道代表となって東京に行ったのだった。その時、神田で買ったのが叢文閣版の全１０巻の有島武郎全集で、確か￥2,000だった。嬉しくて嬉しくて皮のトランクにびっしりと入れて帰ってきたが、この有島について又｢ざぶん」はどう書いているか？。</p>
<p>有島は御存知の通り「婦人公論」の記者・波多野秋子と心中した。その辺りを嵐山は．．．2人は水風呂に入っている。「〜秋子の手が武郎の睾丸をふわりとつかんだ。”葡萄・一房の葡萄よ”」。風呂から上がって2人は死の用意をするが、その前に「〜秋子は虎のような声を出して唸った。それから、ソファーに座ると大股を開いて、武郎をみつめて妖艶に微笑んだ。〜股間の陰毛が水で光っていた。〜秋子は両足をあげて武郎にしがみつき〜で「葡萄のようにぶら下がった2人の遺体〜全身が腐爛してどちらが男か女かわからない〜」。</p>
<p>「小説」だから目くじら立てる必要はないが、『ざぶん』に飽きて、呆れた私としては、受講者には川村湊の「温泉文学論<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_2_4658" id="identifier_2_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 川村湊．温泉文学論．新潮社（2007）">3</a></sup> 」をすすめるつもりだ。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A9%E6%B3%89%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%AB%96-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B7%9D%E6%9D%91-%E6%B9%8A/dp/4106102439%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4106102439"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41xPnYBeyjL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>気分直しに版画家・前川千帆の名作「版書浴泉譜<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/315#footnote_3_4658" id="identifier_3_4658" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 前川千帆．版書浴泉譜．竜星閣（1954）">4</a></sup> ｣（昭16）の中の｢洞爺湖」を出しておこう。</p>
<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%89%88%E7%94%BB%E6%B5%B4%E6%B3%89%E8%AD%9C-1954%E5%B9%B4-%E5%89%8D%E5%B7%9D-%E5%8D%83%E5%B8%86/dp/B000JB6270%3FSubscriptionId%3DAKIAITRFWSEPS4DLVLCA%26tag%3Dnisicom-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000JB6270"><img src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/plugins/wp-tmkm-amazon/amazon_noimg.png" border="0" alt="" /></a></p>
</div>
<p>ナントのどかな風景だろう。私が小2で疎開した時の洞爺は正しくこの風景だった。その辺も語ってこよう。</p>
<p>※　前川千帆（せんぱん）は、ここで始めてザリガニを食べて不味かったと書いている。私は万世閣の前にあった「飯野」という小料理屋（？）の裏の離れに、すぐ上の姉と2人で疎開していた。温泉小学校では授業の記憶はなくて、毎日イタドリを切らせれた。兵隊用のタバコ代わりにイタドリの葉を使ったのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4658" class="footnote"> 田山花袋．復刻版温泉めぐり．岩波文庫（2007）) </li><li id="footnote_1_4658" class="footnote"> 嵐山光三郎．ざぶんー文士放湯記．講談社（1997）</li><li id="footnote_2_4658" class="footnote"> 川村湊．温泉文学論．新潮社（2007）</li><li id="footnote_3_4658" class="footnote"> 前川千帆．版書浴泉譜．竜星閣（1954）</li></ol>]]></content:encoded>
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		<title>ふくろう文庫紹介｢黄河図」</title>
		<link>http://t-yamashita.info/article/bunko-16</link>
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		<pubDate>Sat, 31 Mar 2012 04:08:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍／新聞]]></category>

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		<description><![CDATA[北海道新聞 2012.2.24掲載 &#160;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/224.jpg"><img class="alignleft size-large wp-image-4642" title="224" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/224-431x1024.jpg" alt="" width="431" height="1024" /></a>北海道新聞</p>
<p>2012.2.24掲載</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>本の話（594）「田山花袋と登別温泉」</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 05:47:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍／新聞]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.3.室蘭民報掲載 &#160;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/318.jpg"><img class="alignleft size-large wp-image-4652" title="318" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/318-537x1024.jpg" alt="" width="537" height="1024" /></a>2012.3.室蘭民報掲載</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>山下さん紹介記事　　室蘭民報より</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Mar 2012 06:33:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍／新聞]]></category>

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		<description><![CDATA[2012.3.4掲載 &#160;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/yamasita1.jpg"><img class="aligncenter size-large wp-image-4635" title="yamasita1" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/yamasita1-781x1024.jpg" alt="" width="625" height="819" /></a>2012.3.4掲載</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>第50回　「おなら考」と｢ホ｣の本</title>
		<link>http://t-yamashita.info/book/50</link>
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		<pubDate>Mon, 26 Mar 2012 07:51:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>nisi93kei</dc:creator>
				<category><![CDATA[あんな本、こんな本]]></category>

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		<description><![CDATA[｀94.4.22寄稿 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは柿好きで有名な正岡子規の句で「法隆寺の茶店に憩（いこい）いて」の詞書(ことばがき=説明文）がある名作です。「日本名句事典」をみると「くえば」の「ば」は「已然形（いぜ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>｀94.4.22寄稿</p>
<p>「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは柿好きで有名な正岡子規の句で「法隆寺の茶店に憩（いこい）いて」の詞書(ことばがき=説明文）がある名作です。<span id="more-4616"></span>「日本名句事典」をみると「くえば」の「ば」は「已然形（いぜんけい）につく「ばで，偶然的な関係を示すものである」とむずかしいことを言ってます。</p>
<p>何故、こうことわるかと言うと「ば」を柿を食べた「ので」だとすると、それならリンゴでは？ブドウでは？どうなるか．．．を試してみなければならないからだ、と言うのですから，歌人とか，俳人にも，理屈っぽいというか実験精神の多い人がいるものとみえます。</p>
<p>もっとも、いとし・こいし（だったか）の万歳に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、どや、いい句だろう」「フムフム」「おつぎ、芋くえば鐘が鳴るなり法隆寺、ではどーや」「へえー（屁えー）」というのがありましたから、○○くえば、と切りなくやってみたくなる人もいるのかも知れません。</p>
<p>「屁』と言えば，私が小学校4年生の時ですが，長姉が行っていた女学校で、修学旅行か何かがあって，早朝室蘭駅（室蘭港？）を出発する為に，バスだ汽車だの便の悪い時代でしたから，郊外に住んでいる女学生達数人が，駅近くの町中に住んでいる私の家に泊まったことがあります。</p>
<p>中に「田島のやっちやん｣とか言って美少女で鳴っていた人もいて，その晩はたいそう賑やかでしたから、私も生意気に気がたかぶって仲仲寝つかれずにいました。</p>
<p>彼女達は，襖1枚隔てた隣室に寝ましたが，驚いたのは、彼女達が寝ながら大いに「おなら」を落とすことでした。</p>
<p>考えて見れば，敗戦直後の食糧難の時代です。芋だ、南瓜だと、いわば「屁種』ばかり食べている時代ですから、乙女達か次々と妙なる音がもれたのも、無理はなかった、と言うべきでしょう。</p>
<p>私は、美少女を含めた彼女らの行為に幻滅して世をはかなんだ訳でもなく、さりとて「屁なりとてあだ（=むなしいこと）なることと思うなよ、ぶつと言う字は仏（ほとけ）なりけり」と詠んだ大僧、仙崖（せんがい）のように悟（さとり）を開いた訳でもなく、只只驚いただけでした。</p>
<p>ところで、貴方の地方では「おなら」を落とすことを何と言いますか？北海道では、私の子どもの頃は「屁を<span style="text-decoration: underline;">ふる</span>」と言いました。これは「屁を<span style="text-decoration: underline;">ひる</span>」がなまったものでしょう。</p>
<p>さて、「おなら」といい、「屁」と書きましたが、一体「おなら」と｢屁」とは違うものなのでしょうか。「広辞苑」では、「おなら（音を出して屁をひる「鳴らす」と言うより）屁の異称」とあり、そこで「へ」をひくと「屁=おなら」とあって、つまり両者同義ですが、これが実は違うのです。どう違うのか？？？</p>
<p>それはさておき、私が中学校の3年の時の担任畠山先生は、意地が悪く、子供心に好きになれませんでしたが、この先生が或る時曰く「便所でツバやタンを吐いてはいけない、何故なら、便所の神様は片手でウンコを、片手で小便を受けて手一杯になるからその他のものはダメなのだ。」</p>
<p>私は聞きながら、それはどういゆう本に出てくるのか、つまり出展は何か、それを教えてほしいいと思いましたし、「それじゃ、屁は誰が受けてくれるのか」という疑問が湧いて来て、この話しには不満が残りました。</p>
<p>あとになって厠（かわや=便所）の神様には。うんこは埴山姫（はにやまひめ）、小便は水岡女（みずはのめ）の二神がいるということがわかりましたが、それでは「屁」の神様は誰なのか、そもそも、いるのか、いないのか？</p>
<p>こんなことを知ったとて「屁にもならぬ=何の役にも立たぬ」と思う人はともかく、いや、これは面白そうだ、知りたいーという好ましい好奇心の持ち主、つまりは真性（しんせい=ほんもの）の物好きにとって、恰好の（かっこう=適当）の本が出ました。因みに、司馬遼太郎曰く「私は、日本文化の一側面は物好きの文化だったと思っている。」さて、恰好の本とは、佐藤清彦「おなら考<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/50#footnote_0_4616" id="identifier_0_4616" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 佐藤清彦．おなら考．青弓社（1994）">1</a></sup> 」青弓社です。「屁学」の百科事典と称するに価する良書で、一嗅（か）ぎ、いや、一読すれば、「屁の滓（かす）のよう=屁の如し=（無価値）なほんではいということがわかります。心の楽しみに又とない肥やしとなる本です。</p>
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</div><strong></strong></p>
<p>これに先立つものに、中重徹「一発<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/50#footnote_1_4616" id="identifier_1_4616" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 中重徹．一発．葦書房（1977）">2</a></sup> 」があります。これは「評論」「医学」「随筆．小説」「笑話．落語」「俳句．川柳．ことわざ」「民話．伝説」「わらべうた．民謡」「海外編」の章仕立ての「屁」にかんしてのアンソロジー（=詞崋集=しかしゅう=詩文をあつめたもの）で、これ又中々面白いのですが、残念なことに「二発目｣とは行かず今は絶版です。<strong></strong></p>
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</div><strong></strong></p>
<p>さて、最後に「おなら考」の佐藤清彦も気付いていない（らしい）本を紹介しましょう。</p>
<p>池田一歩の私家版、1000部限定本の「｢ホ」の本」です。｣330番。</p>
<p>これは、｢品を重んずる性格」と自ら言う池田が「生物の生理現象の屁を（He,Hi)などと発音することを嫌い、これを（HO)と発音することにし、題材をHoに求めていろいろと歌ってみた」「一般の知る㋬ヒでないもう少し品の良い㋭」ばかりを集めたという句集です。｢「ホ」の本<sup>&#8251;<a href="http://t-yamashita.info/book/50#footnote_2_4616" id="identifier_2_4616" class="footnote-link footnote-identifier-link" title=" 池田一歩．「ホ」の本．アイ・デザインスタジオ（1989）">3</a></sup> 」</p>
<p>全部で何百首あるでしょうか、まあ少し見せましょう。</p>
<p>・鯨のホ　小舟を一層難破させ」</p>
<p>・「蛇のホは　曲がりくねって長くのび</p>
<p>・「蛍のホ　出口が光輝いて</p>
<p>・　「あんいやん　あんいやんとて二度も出し」</p>
<p>・「ピアニスト　音に合わせてごまかしホ」</p>
<p>・｢桜花　ホもひらぬのに　頬染め」</p>
<p>・「与作のホ　こだまが返ってヘイヘイホー」</p>
<p>最後に悟りとも言える一句</p>
<p>・「なぜ力むホにも足りない人生を」</p>
<p>どうでしたか、私も、屁んな、いや珍しい本を持っているでしょう。「屁屁ん」！！</p>
<p>「屁」からの連想と言うわけではありませんが、おまけを一つ「うんち」の本です。</p>
<p><a href="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/50.jpg"><img class="size-full wp-image-4626 alignleft" title="50" src="http://t-yamashita.info/wordpress/wp-content/uploads/2012/03/50.jpg" alt="" width="636" height="485" /></a></p>
<hr class="clear"><ol class="footnotes"><li id="footnote_0_4616" class="footnote"> 佐藤清彦．おなら考．青弓社（1994）</li><li id="footnote_1_4616" class="footnote"> 中重徹．一発．葦書房（1977）</li><li id="footnote_2_4616" class="footnote"> 池田一歩．「ホ」の本．アイ・デザインスタジオ（1989）</li></ol>]]></content:encoded>
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