第285回 独裁者と芸術

チェコはプラハの北15km、プラハの空港のすぐ近くに「リディツェ村」がある、いや、あった、と書く方が正確だろう・・・と言うのは、この村は一度この地上から抹殺された村だからだ。この抹殺と言う意味は文字通り、言葉の通りのもので、この村の人達は殺され、大地はブルトーザーにならされて、一見,只の「さらち」にされてしまったからだ 続きを読む 第285回 独裁者と芸術

第283回 山下敏明 読書歴

今となっては、きっかけはよくわからないのだが、確か高校2年生の時に、同期の「ヤッコ」と「ヨッコ」、つまり「泰子」と「佳子」と3人で,札幌の「茨戸湖」で遊んだことがある。何で札幌、それも外れの「茨戸湖」くんだり迄行ったのか,最初に書いたように、てんでわからぬ。

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第282回 ひな人形と独裁者

平安時代の昔から,我が身のケガを「人形」に託して祓う行事がある。つまり厄払いの身代わりになってもらうものだが、その表れの一つが「流しびな」で,広辞苑には「3月3日の節句の夕方、川や海に流すひな人形。ひなはもともと〔ひとがた〕として神送りするものであった」とある。して又「神送り」とは「わざわいの神を追い払うこと」だ。

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第077回 キリスト教美術と最後の晩餐

昨年5月、義母を伴っての上京中に、上野の国立西洋美術館で、「聖なるかたち-後期ゴシックの木彫と板絵-」展を観ました。ドイツのアーヘン市立ズエルモント=ルートヴィヒ美術館所蔵のものです。
14世紀から16世紀初頭にかけて、ドイツとネーデルランドで生み出されたカトリック美術を蒐めたものですから、言うまでもなく、木彫55点、板絵21点、石彫1点、の全てが、これ、キリストや聖母、聖人達の像ばかりです。
義母は禅宗で、キリスト教については何の知識も持ちませんし、足が弱っているので、興味なかろう、疲れてつらかろうと思い、悪いけれど入り口で待ってもらおうと思いましたら、意外や、観たいと言います。
そこで、車椅子にのせて一巡となりました。ところが義母にとっては全てが奇妙で不思議なものに見えたらしく、しきりに説明を求めるので、わかるかぎりの説明をしたところ、これ又、意外なことに、大いに興味を示すのでした。 続きを読む 第077回 キリスト教美術と最後の晩餐