第077回 キリスト教美術と最後の晩餐

昨年5月、義母を伴っての上京中に、上野の国立西洋美術館で、「聖なるかたち-後期ゴシックの木彫と板絵-」展を観ました。ドイツのアーヘン市立ズエルモント=ルートヴィヒ美術館所蔵のものです。
14世紀から16世紀初頭にかけて、ドイツとネーデルランドで生み出されたカトリック美術を蒐めたものですから、言うまでもなく、木彫55点、板絵21点、石彫1点、の全てが、これ、キリストや聖母、聖人達の像ばかりです。
義母は禅宗で、キリスト教については何の知識も持ちませんし、足が弱っているので、興味なかろう、疲れてつらかろうと思い、悪いけれど入り口で待ってもらおうと思いましたら、意外や、観たいと言います。
そこで、車椅子にのせて一巡となりました。ところが義母にとっては全てが奇妙で不思議なものに見えたらしく、しきりに説明を求めるので、わかるかぎりの説明をしたところ、これ又、意外なことに、大いに興味を示すのでした。 続きを読む 第077回 キリスト教美術と最後の晩餐

第281回 ロマの女王エスマとキョウサイ

忘れぬうちに一つ先に書いておく。前々回(no279,図書館報「ひまわり」では2008年12月号のno95)で、私は「話は変わって麻生首相、連日暴言を吐く,字は読めぬは、、、」と書き出して、「~も一つ、野中某に対して、”部落出身の人間が大臣になるってのはどうかな”といった趣旨の暴言にたいしては、次の本を読めと言いたい」として、平凡社新書の「対論・部落問題」(組坂繁之+高山文彦著¥720)を挙げておいた。 続きを読む 第281回 ロマの女王エスマとキョウサイ

第076回 ネオナチ スキンヘッドとワーグナー

「マルコ・ポーロ」事件なるものが続いて2つ起きました。
一つは、東洋史学者、岩村忍の名著とされてきた、岩波新書版の「マルコ・ポーロ」が「この書は筆者の自著とされているが、内容形式のみならず表現の多くはハートからの剽窃(ひょうせつ=他人の文章などを盗み、自分のものとして使うこと)」と指摘されたことです。
指摘したのは、ヘンリー・ハートの「ヴェネツイアの冒険家=マルコ・ポーロ」(新評論)の訳者、幸田礼雅(のりまさ)です。
もう一つは、本年2月、文芸春秋社発行の月刊誌「マルコ・ポーロ」2月号に「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事が掲載されたことから発した事件です。 続きを読む 第076回 ネオナチ スキンヘッドとワーグナー

第075回 「大漢和辞典」を完成した諸橋轍次博士の生涯

三人連れの男子学生が来て「ことわざ」の辞典はないかと聞きます。一番大部な小学館のも含めて、種類示すと、「イヤ、これらはもうみたが、探す言葉が出ていない、他にないか」と言います。
余程、むつかしいか、珍しい言葉なのだな、と思いつつ、「一体、どんな言葉か」と聞くと、「火のないところに煙は立たぬ、だ」と答えたのには仰天しました。
内心「アホジャナカロカ」と思いましたが、これも質問の中と割り切って、「それなら、辞典に出ていない筈はないよ」と言ってから、ハッと気付いて、試みに目の前の辞典を引かせてみると、案の如く(=推量の通りに)、「火」の箇所を素通りして、「火のない~」を探し始めました。 続きを読む 第075回 「大漢和辞典」を完成した諸橋轍次博士の生涯

第074回 白旗伝説と台湾紀行

小、中学校と、運動会では紅白の鉢巻きをして、(帽子の記憶はなし)玉入れなぞでは人並みに、「赤勝て、白勝て!!」と叫んでいましたが、あの紅白は、 平家の赤旗、源氏の白旗、という、つまりは「両党の対立」と言う、日本中世の 歴史に由来するのだ、と言うのですから、話は古いと言うべきでしょう。
とすると、NHKの「紅白歌合戦」なるものも、単に男だから「白」、女だから「赤」と言う感覚的なことではなくて、「両党対立」を表す意味を含んでの言葉だ、と言うことになるのでしょうか。

ところで、「参った、降参々々」と言う時に、白旗を出すことは、私も貴方も、何となく知っていることでしょうが、「どうして白旗なのか?」と改めて聞かれたら、「しかじか・・・なる故に」と正しく答えられますか?
と唐突に聞くのは、実は松本謙一の「白旗伝説1」を読んだからです。第二次大戦、日本敗戦間近かの沖縄線で、7才の少女がたった一人で白旗をかかげて米軍の前に現れた事に着目して、松本は、どうしてこの少女が、白旗が降伏を意味すると知っていたのか、と設問して、日本歴史に現われている白旗の意味を探っていきます。
実を言うと、少女が捧げた白旗は、たまたま米軍の攻撃をさけて洞窟にいた時に、両手両足のないおじいさんの「ふんどし」を、つれあいのおばあさんが裂いて作って呉れた、旗とも言えぬものだったのですが、ともかく、外目にはこれは白旗で、その白旗が効を奏して、少女は無事に生きのびるのです。
松本は、この白旗の意味するところを探っていって、根元は、1853年6月8日に、黒船をひきいて来日したペリーが幕府あてに送った書簡にある、とします。この書簡は、日本が米国の通商要求を受け入れない場合は戦争に持ち込むが、そうとなれば、日本は勝てるはずもないから、降伏用に、白旗を届けておく、と言う内容のものでした。「白旗」が「降伏」を意味すると日本人が知ったのは、日本史上、ここに始まる、と松本は言います。
この結論に至るまでの、松本の推論と立証に使う歴史上の事実が、格別に面白くて、月並みですが、凡百の推理小説の敵うところではありません。それにしても、当今の日米摩擦とやらを思っても、短絡的であってはならぬと 思いつつ、アメリカは昔から、何となく「恫喝」(どうかつ=おどして、恐れさせること)めいたことをする国だな・・・と思いたくなります。 常識だと思っていたことが、日本史に照らすとちっとも常識でなくて、それなのに日本人皆にとって、何となく常識(めいたもの)になっているような不思議な現象を追う、松本のこの本、知ること、考えることの醍醐味(だいごみ=深い 味わい、本当の楽しさ)を味わえます。

又、ところで、といきますが、貴方は2000万人と言われる台湾人が、ある種の観点から「少数民族」と呼ばれているのを知っていますか?
その少数民族の頭目たる李登輝台湾総統が、米台断交以来初めて母校のコーネル大学を訪問(つまりアメリカ訪問)した、との記事を週刊誌で読んで、着々たる歩みだなと感嘆しつつ思い出したのは、司馬遼太郎の「台湾紀行2」です。少数民族、初の訪米の意味するところ、全部これに出ています。この本、次から次へと展開される話の数々に思わず涙ぐむことが多いのですが、それは、単に感傷的にさせられるのではなくて、もっと奥深いと言うか、言うなれば歴史の事実がこちらを「うつ」のですが・・・・
読み終わると台湾を通して、人間と国家といったものを考えざるを得ないところに置かれている自分に 気付きます。と言うとむずかしげですが、名代(なだい=よく知られた)の語り巧者の司馬です。むづかしくはありません。東大を出たあと、農業水利開発のために烏頭山ダムを造るなど、台湾のために無私の働きをした八田興一なる人を知るだけでも本書を読む価値があります。16世紀、ポルトガル人が「島ILHA すばらしいFORMOSA」と叫んだ故に「美麗島」とも呼ばれる台湾、そして、その名に反する過酷な歴史を持ったこの島についてのこの本、深くて面白く、「すばらしい島」についてかかれた「すばらしい本」です。


  1. 松本 健一,白旗伝説,新潮社(1995) []
  2. 司馬 遼太郎,街道をゆく 40 台湾紀行,朝日新聞社(1994) []