`00.4.7寄稿
今朝の「室蘭民報」の第一面は「有珠山新火口と泥流確認」と先づあって、次が「爆発的噴火を警戒」だ。その横には、小渕首相が緊急入院でとある。一昨日の中央紙には「四月に入って最初の日曜日になる二日、東京都台東区の上野公園では桜が三〜五分咲きとなり、多くの花見客で賑(にぎわ)いました」とて、四万人の行きかう写真が出ている。こっちはそういかぬ。噴火のおかげで「桜の名所として有名な有珠善光寺ツアーは当然、取りやめ春の目玉なのに痛い」との談話(旅行代理店)がやはり、「民報」に出ている。
と言う所へ新刊で 「花見と桜1 」がでた。著者の白幡洋三郎は「国際日本文化研究センターの」教授で「プラントハンター」なる著書で「毎日出版文化賞奨励賞」を受けた人。
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「プラント.ハンター2 」については、私も前にこの欄でとりあげた。
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さて 花見と桜 を本屋でみつけて、直ぐに買ったには訳がある。一つには、私は桜は好きだが、この花を武士道などに結びつけて、人生論めいたものに仕立てる論法が好きでないこと。二つには、室工大に在勤の頃、学生のU君から、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」とよく言われるけど、「昔からそういわれるんですか」ときかれたことがあって、私は次の如く答えた覚えがあるからだ。
「どこから聞いてそう質問するのかよくは分からぬけれど、よく言われるなんてことは断じてない。俺の覚えでは、その言葉は、小説家の梶井基次郎が書(吐)い
たもので、梶井の妄想だよ、妄想!!」
さて白幡は、私の一つ目の問題について、本居宣長(もとおりのぶなが)の「敷島(しきしま)の大和心(やまとごころ)を人と問わば朝日に匂う山桜花」と云う
有名な歌を「大和魂」などと結びつける傾向に対して、宣長の養子の大平(おおひら)の「先生があの歌を作ったのは、ただ桜が美しいとの理由からで、他のよみ方をされるのは、自分の本意ではない、とおっしゃっていた。」との話を紹介して否定する。
そして面白いことに、この傾向が日本、本来のものでないと言うために出してきたのが、櫻史で白幡は、山田のこの本を「桜の文化史では、この本を超える成果は
いまだに出ていないと言っていいほどだ」と評価する。私が「面白いことに〜」と言うのは、この山田孝雄は、神宮皇学館大学学長をつとめ、「君が代の歴史」の著書も持つまあ言ってみれば「石寄り」の最たる人なのだけど、そうした山田が、「大和魂」そして「軍国主義」に結びつくような「桜感」を否定している人だと言うことだ。白幡は又、梶井基次郎の一文を「花とは遠い人、不安と不満を我が身に見ている人だというほかない」と切る。
「花見」は他の国にない我が日本独自の行為だ。「花見」はまだ先の話だけど、「花見」と言う楽しい行事を心から楽しく味わいたい人にこの2冊おすすめする。
あとの2冊はかけ足だ。先づは、「とんかつの誕生3 」私は、一年間、肉なしでも大丈夫と言う人間だ。ステーキなぞみてもよだれも出ぬし、牛鍋屋の前を通って、匂いを嗅いでも、ウワー甘ったるいと思うだけの男だ。
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けれども「とんかつの誕生」は面白かった。なにしろ7世紀の後半、天武天皇が肉食はダメと禁じてから明治天皇が21才でたべる迄、1200年間表向きには日本人は肉を食べずにきた。それが、天皇自らその禁を破ったのに対して、「ケシカラヌ」と白装束に身を固めた御岳(おんたけ)の行者10人が皇居に乱入したと言うのだから、おどろく今や肉食はおろか、宮中の正式の晩さんはフランス式だと知ったら、この10名どんな行動に出るだろう・・・と面白くて面白くて、「刺身」さえあれば、極楽と言う私も、「トンカツ」ならたまにいいか、と言う気持ちになって来た。
次は「 贋作 汚れた美の記録 」私の義弟が、或る時、Mデパートの美術部から「フジタツグジ」の絵を買わないかと誘われた。鑑定書付きだと言う。相談されて私はフジタの作品の鑑定書を贋作する組織について書かれたものを持って、義弟と一緒に美術部外商員と会って断わらせた。当今、「お宝鑑定」が盛んだが、色気を出したがる諸君「贋作 汚れた美の記録4 」を読んでごらん。少しは迷いがはれるかも知れん。
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2000.4.7(金)