第426回(ひまわりno242)

私が女の「おっぱい」を初めて見たのは高2の時だった。当時、父は春秋2回、自分の手掛けている会社の従業員を、3、4社まとめて旅行に連れて行った。でその年の完楓会は、登別温泉となって、皆して第2滝本館に泊まったその時だ。私が風呂に入っていると、事務員のO嬢が入ってきた。当時は混浴が普通だから、それは当然だったが、20歳ぐらいだったと思う彼女の盛り上がった「おっぱい」に私はびっくりした。「よっちゃん」という人だった。その次に私が見た「おっぱい」はフランスの女優、「フランソワーズ・アルヌール」だ。これも確か高2だ。これはジョルジュ•シムノンの小説「判事の手紙」が原作の「禁断の木の実」で名優ヘルナンデル扮する気弱な中年の医師を小娘のアルヌールが誘惑する話。この中で彼女が「おっぱい」を見せる。まん丸い「おっぱい」だった。ついでに言うと、3度目の「おっぱい」は「浮気なカロリース」で風呂から全裸で出てきた年増の美女マルチーヌ・キャロルの「おっぱい」エミール・ゾラ原作の「女優ナナ」にも出て世界中の男を悩殺したこの女は、たった45歳で風呂場で死んだ。ついでにもう一つ、ジョルジョ・シムノンは私が一番好きな小説家で、私の棚には4.50冊あるが、この人の小説ほどさっと本筋に入っていくものはほかにない。アルヌールもその辺を「シムノンの小説では〜わずか数行の文書を読むだけで、読者はたちまち小説の世界に引き込まれ、わくわくする旅が始まるのだ」と言う。当たっている。

アルヌールを次に見たのは「フレンチカンカン」で1888年創業の「ムーラン・ルージュ」の創業者ジドレルをモデルにして、フレンチカンカンの誕生を描いた名作だ。これは長いスカートをまくりあげ足を高く上げて踊るテンポの速い踊りで、踊り子全員が両股開きで着地する。

興行師役はジャン・ギャバン。その情婦役がマリア・フェリックス踊りの名手の小娘役が、アルヌール。ラストのカンカンがこの上なく楽しい。主題歌「モンマルトの丘」を歌うのがコラ・ヴォーケル。そういえば、エディット・ピアフも特別出演した。因みに、この「ムーラン・ルージュ」(Moulin Rauge)は「赤い風車」のことで、これが劇場の壁につけられていたからだ。

後年私と我妻さんはパリに着いたその晩に、この「ムーラン・ルージュ」(もちろん現代の)に出かけて、1920年代に栄えた一大娯楽の殿堂をしのんだものだった。

アヌールの作品で一番忘れ難いのは「ヘッドライト」だ。シムノンと同じく私の好きな、セルジュ・グルーサルの「過去のない女」。初老の運転手がジャン・ギャバン。この男が家庭を捨て新しい人生を送るべく選んだのが、ドライブインのウエイトレスのアルヌール。この二人が迎える悲劇を、哀調きわまるジョセフ•コスマの曲が予告する。原因は今書かないが、女は死を迎える、絶望にかられるギャバンの顔、こんな悲しい映画はそうないと思う。今にして忘れる事のない名画だ。(しみじみと、切ない映画だったなあ)長々と語って来たが、このアルヌールが90歳で、過ぐる7月20日に死去した。よってここに追悼の意味で、「フランソワーズ•アルヌール自伝」を出す。

「ブラック•パンサー」はアメリカの黒人解放運動の政治結社だ。最近その活動を描いた「ユダ&ブラック•メシア•裏切り」を観た。20歳で殺された党首に代わって未亡人と息子が未だ人種差別に対して闘っている様を描いている。これを観て

「Black lives Matter/ブラック・リブス•マター」運動の遅来る、それでいて確実な歩みを思いながら・ふと思いついて、古典を見直した。

名優グレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞をとった「アラバマ物語」だ。これは同時に脚色賞と美術監督装置賞もとった。原作はハーパー・リー。

アラバマ州で起きた強姦罪で訴えられた黒人を弁護士のパックが救おうとして無罪を立証するのに成功するが〜

第425回(ひまわりno241)益川博士の「反骨」と「ショル兄弟の」白ばら抵抗運動

2021.8.8寄稿

私は物をはっきりと言う人が好きだから、ノーベル物理学賞を受けた益川敏英博士が好きだった。博士は敗戦の時に5歳。名古屋に住んでいて、空襲に遭ったものの危うく助かった。それで受賞講演でそのことを話そうとした。 続きを読む 第425回(ひまわりno241)益川博士の「反骨」と「ショル兄弟の」白ばら抵抗運動

司書独言(233)

◯月◯日/ 照の富士と白鵬との優勝決定戦を私は観ていないが、報じられた所を読むと、一種のケンカ相撲の様なものだったらしい。つまり、白鵬に品のカケラももなかったと言うこと。読んだ後、きっと誰かがあの言葉を言うだろうなと期待していたら、案の定、新聞の投稿欄に出た。「木鶏」という言葉だ.これ「ボッケイ」と読んで、壮子の「達生編」に出る言葉。

◯月◯日/ 紀消子(せいし)なる人物が王の為に闘鶏を飼っている。その鶏は最初虚勢を張って強がっていたが、日が経つにつれて立派になって、最後には他の鶏が鳴いても動じなくなり、遠くから見るとまるで、「木彫り」の鶏に見えるーと言うことから「徳が完全に充実して保たれている様」を指す言葉となった。

◯月◯日/ この言葉が有名になったのは双葉山が69連勝の後、安芸ノ海に負けると「我いまだ木鶏たり得ず」と言った時からだ。つまり双葉山は己の心身ともに未熟なるを恥じた訳だが、この言葉を出すこと自体が彼の教養とつつましさを示して真、感心させられる。私はこの言葉を小学生の時に双葉山のファンだった父から初めて聞かされた。投書の主は78歳の男性で、勝ちたいばかりに張り手、カチ上げを連発した白鵬を非難し、「双葉山の”われ木鶏たりえず”に倣いたいそうだが、道は遠しだ」と締めくくる。同感だ。白鵬も誰に聞いたか、この言葉は知っている訳だが、カチ上げをする様じゃ、鶏にも笑われるな。

◯月◯日/ 週刊誌によると五輪の開会式で、天皇が挨拶しているのに菅は起立せず、小池に注意されてから立ったという、これ「不敬」だ、なんだと言う前に、要するに単純に失礼じゃないのか。土台、自民党は卒業式だ、入学式だで「君が代」を歌うかどうかをチェックして来たくせに、「そのトップ」があろうことか、天皇が立っているのに座ったままとは!「誰も合図してくれなかったから(立たなかった)」と言い訳しているというが、安倍が前相の時、一同揃って嘘つき男を待っていて、その嘘つき男が入ってくると、いの一番にしゃっちょこばって起立していたのは誰なんだ。菅だろうが。「神の国」の住民振りたい「HANADA」だの「Will]だの「正論」だのの面々もよくこんな非礼を許しておくもんだなあ。

◯月◯日/ 新聞によると、その五輪開会式を見たビートたけしが「昨日の開会式で、ずいぶん寝ちゃいましたよ、驚きました。金返して欲しいですよね。税金からいくらか出しているだろうから、金返せよ。外国に恥ずかしくていけないよ」と言った由。これだけ聞くと、たけしは政権批判者に見えるが、その実そうではない。佐高信は「完全に芸術家気取りのビートたけしなんかも官邸に呼ばれてのこのこ行ってしまうわけだよね〜これではもう毒の効いた政治批判なんかできる訳がない。取り込まれちゃってる感じですよね」と言う位だ。

◯月◯日/ 7月31日の各紙に「安倍前首相を再捜査へ」なる記事が出た。つまり「桜を見る会」前夜祭に関して、安倍が不起訴となったことについて、東京第一検察審査会が「不起訴不当」と決議した訳で、安倍が又調べられる訳だ。これで思い出すのがタレントの太田光。ナニシロこの「桜を見る会」に呼ばれて、安倍と並んでハシャイデ、挙句「今度番組に出てくださいよ」と頼み込む始末。これに「いいですよ」と答えた安倍にしてみればこんな組し易い相手はいない。以後いくら太田が牙をむいたかに見せても、安倍は屁とも思わぬだろう。浅はかなタレントの代表だ。

◯月◯日/ 東京五輪でフェンシングの優勝は香港だった。その表彰式の様子が、香港のショッピングモールで放映されて、中国国歌が流れると、モールにいた数人の市民から「我々は中国ではなくて香港市民だ」との声が上がり、一勢にブーイング始まったーとてー、国家条例違反で初めての逮捕者が出た由。7月26日のこと。

◯月◯日/ この条例昨年6月に成立したもので、中国国歌の替え歌などを歌って「国歌を侮辱する者は禁固刑を科す」などとした物。今回はブーイングが良くないという訳だ。ところで「義勇軍行進曲」との別名を持つ中国国歌の作曲者は「聶耳=二エアル」という人で、作詞者は「田漢」だ。そしてこれは日本で作られた。そのことを私は2018年3月4日付け「本の話」第748回で書いた。この時紹介した本は岡崎雄児「歌で革命に挑んだ男」(新評論、2015、¥2,800)と 田偉、「田漢、聶耳・中国国歌八十年」(論創社、2015、¥1500)の2冊。その後2019年に岩波から久保享「日本で生まれた中国国歌」(¥2,400)が出たが私は未読。今回の事件を機に読むつもりだ。それにしても習近平の香港への締め付けは目に余る。

◯月◯日/ 言い方は悪いが、アメリカの元国防長官、ドナルド・ラムズフェルドが6月29日、88歳で漸く死んでくれた。例の2001.9.11のニューヨークのツインタワーが体当たりされ後の「対テロ戦争」を担った男だ。世界に混乱をもたらした張本人だ。イラク戦争は間違っていた。どう間違っていたかは例えば、板垣雄三著「”対テロ戦争”とイスラム世界」(岩波新書、2002)を読めばよく分かる。門奈直樹の「現代の戦争報道」(岩波新書、2004)も参考になる。馬鹿ブッシュもこの戦争好きラムズヘルドに引きずられた。罪作りな男に牛耳られると国の不幸が始まる。

◯月◯日/ 「棄民」という言葉がある。どう言う訳か、あの辛辣な「新明解」他小辞典には出てないがー戦争や災害などで困窮している人々を国家が見捨てること、またその人々」の意だ。日本の政治家はこれが得意だ。例えば満州に送り出した開拓民を、ソ連が攻め入るとなった途端に関東軍以下政治関係者たちがが彼らを捨てて逃げ帰って来た。置き去りにされた開拓民達が即ち「棄民」だ。こんな話を思い出したのは、菅が、またこれを始めたからだ!「原則自宅療養」がそれだ。

◯月◯日/ これを発表するに際して、公明党の女議員がどうして尾見に相談しないのかと問うと、答弁役の前髪垂れ男の田村が偉そうに「決めるのは我々だ。我々は政府なんだよ」と言った意の答弁をした。これはつまる所、国民を棄てる=棄民政策で「どうぞ自宅で安らかに(とはいかないが)死んでいきなよ」と言ってると同じことだ。この辺りを「インターパーク倉持呼吸器内科」の倉持仁院長は、菅と小池が言っていることは「”国民にまっとうな医療体制は供給しません”」というメッセージだと思うんです」と言い「こういう人達に国を任せていては国民の命は守れませんから、二人とも早急にお辞めになった方がいいと思います」と言う。

◯月◯日/ これを正論と言わずして何を正論と言うか。尾身も小馬鹿にされてないで、あのボソボソした声をもうちょい張り上げて、もっとストレートな物言いをした方がいいと思うがね。繰り返すが「国(と言ったって、発案するのは菅のような能無しの腹黒いだけの政治家達だが)は国民を棄てる、見殺しにするのだと言うことを国民は肝に命じるべきだと思うがね。

◯月◯日/ その菅だが、官房長時代に、一丁前にアメリカに挨拶に行った。その時に「米国家安全保障会議」なるものの、ポッテンジャーアジア・上級部長とやらに8374💲日本円で約92万円のウイスキーを贈った。と言うことが8月4日に分かった。と新聞に出た。その報告書はさらに1999年にも日本政府がポンペオ国務長官に約64万円のウイスキーを贈ったとある由。もっともポンペオはもらっていない言ってるそうだから、既に誰かの小便になってしまっていることだろう。

◯月◯日/ 接待と言えば、トランプが来た時に安倍が接待に使ったお金は〆て4,022万円。例えば千葉でゴルフの際、ゴルフ場貸切のために99万円、六本木の炉端焼きの店の同じく貸切に100万、そこへ入る迄の赤絨毯に30万、マスクならぬ目隠しテントに52万円、食ったの入れると206万、宿泊費732万円etc、私の記憶では両国に相撲見に行っている時の椅子が確か一脚20万だったが、それが含まれていないようだから、総額はもっと行くだろう。私思うに、安倍ほど官費旅行と官費食事を楽しんだ政治家はそういないと思うのだが。それにしてもなあ。

◯月◯日/ 聞いて、知って、こちらの血圧が上がる話がまだあるぞ。菅の去年の所得いくらだと思う。〆て、3,871万円。このうち原稿料、テレビ出演料他の雑所得が757万円。日本語をまともに使えない男が書いた本を読む人間がいることに驚くが、あの無能丸出しの答弁能力0男にテレビ出演料が払われているとはなあ。しかし国民の側はどうしてこの男に腹が立たないのだろう。

◯月◯日/ あいちトリエンナーレ美術展」で偽署名問題を起こした河村名古屋市長という男、その顔、声、しゃべり方etc、私は生理的に全く受け入れられないタイプだが、その男が、又しても気色が悪いことをしてくれた。東京五輪で優勝の選手の表敬訪問を受けて、その金メダルを噛んで見せたのだ。大体私は金メダルを噛んで見せること自体好きでない。本物の金かどうか噛んで確かめるのは、偽金かどうかを確かめる動作で、本来品のいいものではない筈だ。それも他人のものを噛んで見せるとは!!汚いも甚だしい。私が思うに、この際、河村は自腹を切ってIOCに頼んで新しい金メダルを作ってもらい、その綺麗なメダルを後藤選手にバッハから渡してもらうべし。

◯月◯日/ そして自分が汚したメダルはこれも謝罪分込みで引き取って、己の愚行のいましめとして市長室に掲げるべし。そうすれば河村去って後もそのあとに座る新市長に対して、こよなく警告の役目を果たすことだろう。して又市民にとっては2度と、かくの如きおぞましい市長を選んではならぬとの教訓となるだろう。

◯月◯日/ とここまで書いて「本の話」のゲラ刷りを室蘭民報に送り返すべく郵便局に向かう途中にラジオをかけると、菅が広島の平和式典での挨拶で「読み間違い」と「読み飛ばし」という二重のミスを犯したとのニュースだ。「読み間違い」の方は「広島市」を「ヒロマシ」といい、「原爆」を「原発」と言った由。何しろアセアンの会議に出てアルゼンチンという前科者だ。「飛ばし」の方は以下の下線の部分。「核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします」と世界に発信しました我が国は核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねて行くことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく」大事な所を随分と飛ばしてくれたものだ。これは国語力の不足というより、すっとぼけたズルサからきたものだね。

◯月◯日/ この広島のあと、芸人の中居が、司会する番組で菅を「カン首相」と間違ったとて謝ったと報じられた。これ意図的にやったのなら、多少は「反骨」の気があって面白いが、だとしても、既に麻生がやってるから二番煎じだな。麻生は菅就任時自派の集会で「今度はカンが、いやスガだったか」とスガをおちょくった。この性悪の男にしてみれば、スガが自分の上にいるのが面白くないのだろう。それにしても「国」の面をした菅や麻生に棄てられる前に、国民の方が彼らを棄てた方が国のために良いんじゃないのかね。「棄民」にされる前に「棄政府」だ。

2021.8.7  山下敏明