第429回  白洲次郎の正体、 (問題、まちがいだっらけの)百田の本

2021.12.7寄稿

 

「占領神話の崩壊1

「本の話」no844「白洲次郎の正体」を読まれた人は次にあげる文章を読んでどんな感想を持つだろうか。「プリンシプル(原則、原理主義)」そんな言葉とともに今、白洲次郎さんに光が当たっている。身長180cmハンサムボーイ。マッカーサーにノーと言った男だって!そりゃかっこいい。吉田茂の懐刀(ふところがたな)として戦後の復興に尽くし、サンフランシスコ講和の会議にも随行した。アメリカの51番目の州だなどと自嘲気味になっていたときだから、なおさらモテる。わが首相(小泉のこと)はエルビスに夢中だし。気がつけば本屋に白洲次郎本があふれている。でも会いたくなったのはその次郎さんではなくて、彼の妻正子さんの方。そりゃだって、誰よりも早く、次郎さんの資質を見抜き独り占めした女性、そして自由に生き抜いた女性だものかっこいいじゃない。そう思った。」

この歯の浮くような、昔なら、文学少女とでも呼びそうな人が書いたような甘たるい文章。筆者は誰かとなれば、意外や、強面のジャーナリスト鈴木琢磨で、2006年8月10日に発表されたものだ。しかし,前記した「占領神話の崩壊」を読んだ者には鈴木の文章の冒頭の白洲プロフィールが全く偽りのものだと分かる。して又鈴木が「かっこいいじゃない」とした白洲正子についてはかって「芸術新潮」の特集号で取り上げられ、それを放送作家の町山広美が紹介した所に寄ると、白洲正子は美にうるさいが、家事は大嫌い、食事の器にこだわるものの、めったに洗おうとしない。〜パエリアを食べた時には「スペインの屋台ではこうやったから」と言い、貝のからを床にペッと吐いて楽しんだ」とある。私はこんな女を鈴木のように「自由に生き抜いた女性」だなどと評価する気にはなれぬ。まあ正子は今おいて、鈴木が、白洲次郎について、点数が甘い、つまりは、次郎が自作自演で捏造した「マッカーサーにnoと言った男」etcの駄法螺(だぼら)を見抜けなかっただけで、それは「占領神話の崩壊」が発表される前のことだから、あながち鈴木の罪だ、と言う訳にはいかない。この本で白洲次郎の正体ははっきりしたが白洲に更にダメオシしたのは、私が「そのうち読んでみよう」と書いた鬼塚英昭の「白洲次郎の嘘2 」だ。鬼塚は、白洲がほんの一行でも登場する本を含めて、白洲関連本を数百冊読んだ後でこの本をまとめた。その内容は帯にある通りだ。曰く「日本のプリンシプル」の虚言と我欲に塗れた実像。誰がどんな思惑で、このウソツキ野郎を礼讃するのか」。私は白洲本があふれている時も、何故かウサンクサク?一冊も読まなかった。馬鹿見ずに済んだ訳だ。ラッキー!!ラッキー!!

私はスマホとやらを持っていないから、ツイッターとやらも全く知らぬが、その世界のことは新聞その他で大体押さえている。それらによると、百田尚樹はかつて自分のブログなるもので「もし他国が日本に攻めてきたら9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち「こっちには9条があるぞ!立ち去れ」と叫んでもらおう」と憲法を小馬鹿にしていた由。ところで、目下岸田のもと、改憲論がかまびすしい。そんな動きのせいか、幻冬社が百田の悪評だらけの「日本書紀」を幻冬社文庫として出すと猛宣伝を始めている。百田の本は間違いだらけだが、それを一介の素人の読者が指摘反論することは結構むずかしい。それで、ここには邪な百田にひきずられることを防ぐための武器となる本をあげておこう。どの本も表紙と帯を見れば内容がわかるようになっているが、

①「日本国紀をファクトチェック3 」の3人の著者は全員教員経験者。歴史教育に携わってきた者として、百田の本の真偽を検証したもの。その上で初版と6版を比べると、増刷時に告知も詫びもなしに修正、追記している。つまり、初版と6班では別の本になっているのにその事を言わない。著者と出版社のこの態度は許されるべきものではないとする。読んだ後は付箋だらけになったとも言う。つまり、間違いだらけ、問題点だらけだと言う事、百田の本がだ。

② 次に「百田尚樹、”日本国紀”の真実4 」は、間違いとパクリの全てを検証したもの。加えて、「そこまで言って委員会」の司会者ヤシキタカジンを扱って裁判沙汰になった百田のインチキ本「殉愛」をめぐる諸々が論じられる。

③ 最後は、私立西大和学園中学、高等学校教論、浮世博史の「もう一つ上の日本史、上下5 」。浮世は「歴史にまつわる俗説や誤認はネットが普及した2000年以降顕著です。これらの文章はプロの歴史家の書いたものでない事はすぐ分かります。自分の主義主張が先にあり、それに合わせて歴史を語る、という分かり易い特徴があるからです。歴史「を」語るのではなく、歴史「で」主張を語っています」として百田の本を初めとして、類似の歴史の誤認を指摘するつまり歴史「で」主張を語る事はプロパガンダ(政治的な宣伝)であって社会科学ではない、と言う。先天性虚言症の安部と組んでこれまた同じようにケロリと嘘をつく百田の本に金を使うより真っ当な本に金を使って真っ当な知識を得、真っ当な人間になろう。

 

 

  1. 西鋭夫.岡崎匡史.占領神話の崩壊.中央公論新社(2021) []
  2. 鬼塚英昭.白洲次郎の嘘. 成甲書房(2013) []
  3. 家長知史・本庄豊・平井美津子.日本国紀をファクトチェック.日本機関紙出版センター(2019) []
  4. 宝島編集部.日本国紀”の真実.宝島社(2019) []
  5. 浮世博史.もう一つ上の日本史. 幻戯書房(2020) []

第428回 北方少数民族のドラマ、 サハロフ賞とサハロフ博士

2021.10.27寄稿

「切り抜き、こんな事たぶん御存知と思いますが、送ります」と大学時代の同級生純子さんから手紙が届いた。 続きを読む 第428回 北方少数民族のドラマ、 サハロフ賞とサハロフ博士

第427回(ひまわりno243)内山書店76年ぶり復活。贋作事件簿他

2021.10.2寄稿

私は2004年に、地元の室蘭民報社から「本の話」を出した。これは同紙に平成元年(1989)から連載している専ら「本」に関する話を書いたエッセイ「本の話」の初回から1996年(平成8年)までの200回分をまとめたものである。 続きを読む 第427回(ひまわりno243)内山書店76年ぶり復活。贋作事件簿他

第426回 フランソワーズ・アルヌール、 さまざまな差別との戦い

2021.9.6寄稿

私が女の「おっぱい」を初めて見たのは高2の時だ。当時、父は春秋2回、自分の手掛けている会社の従業員を、3、4社まとめて旅行に連れて行った。でその年の観楓会は、登別温泉となって、皆して第2滝本館に泊まった。その時だ。私が風呂に入っていると、事務員のO嬢が入ってきた。当時は混浴が普通だから、それは当然だったが、20歳ぐらいだったと思う彼女の盛り上がった「おっぱい」に私はびっくりした。 続きを読む 第426回 フランソワーズ・アルヌール、 さまざまな差別との戦い

第426回(ひまわりno242)

私が女の「おっぱい」を初めて見たのは高2の時だった。当時、父は春秋2回、自分の手掛けている会社の従業員を、3、4社まとめて旅行に連れて行った。でその年の完楓会は、登別温泉となって、皆して第2滝本館に泊まったその時だ。私が風呂に入っていると、事務員のO嬢が入ってきた。当時は混浴が普通だから、それは当然だったが、20歳ぐらいだったと思う彼女の盛り上がった「おっぱい」に私はびっくりした。「よっちゃん」という人だった。その次に私が見た「おっぱい」はフランスの女優、「フランソワーズ・アルヌール」だ。これも確か高2だ。これはジョルジュ•シムノンの小説「判事の手紙」が原作の「禁断の木の実」で名優ヘルナンデル扮する気弱な中年の医師を小娘のアルヌールが誘惑する話。この中で彼女が「おっぱい」を見せる。まん丸い「おっぱい」だった。ついでに言うと、3度目の「おっぱい」は「浮気なカロリース」で風呂から全裸で出てきた年増の美女マルチーヌ・キャロルの「おっぱい」エミール・ゾラ原作の「女優ナナ」にも出て世界中の男を悩殺したこの女は、たった45歳で風呂場で死んだ。ついでにもう一つ、ジョルジョ・シムノンは私が一番好きな小説家で、私の棚には4.50冊あるが、この人の小説ほどさっと本筋に入っていくものはほかにない。アルヌールもその辺を「シムノンの小説では〜わずか数行の文書を読むだけで、読者はたちまち小説の世界に引き込まれ、わくわくする旅が始まるのだ」と言う。当たっている。

アルヌールを次に見たのは「フレンチカンカン」で1888年創業の「ムーラン・ルージュ」の創業者ジドレルをモデルにして、フレンチカンカンの誕生を描いた名作だ。これは長いスカートをまくりあげ足を高く上げて踊るテンポの速い踊りで、踊り子全員が両股開きで着地する。

興行師役はジャン・ギャバン。その情婦役がマリア・フェリックス踊りの名手の小娘役が、アルヌール。ラストのカンカンがこの上なく楽しい。主題歌「モンマルトの丘」を歌うのがコラ・ヴォーケル。そういえば、エディット・ピアフも特別出演した。因みに、この「ムーラン・ルージュ」(Moulin Rauge)は「赤い風車」のことで、これが劇場の壁につけられていたからだ。

後年私と我妻さんはパリに着いたその晩に、この「ムーラン・ルージュ」(もちろん現代の)に出かけて、1920年代に栄えた一大娯楽の殿堂をしのんだものだった。

アヌールの作品で一番忘れ難いのは「ヘッドライト」だ。シムノンと同じく私の好きな、セルジュ・グルーサルの「過去のない女」。初老の運転手がジャン・ギャバン。この男が家庭を捨て新しい人生を送るべく選んだのが、ドライブインのウエイトレスのアルヌール。この二人が迎える悲劇を、哀調きわまるジョセフ•コスマの曲が予告する。原因は今書かないが、女は死を迎える、絶望にかられるギャバンの顔、こんな悲しい映画はそうないと思う。今にして忘れる事のない名画だ。(しみじみと、切ない映画だったなあ)長々と語って来たが、このアルヌールが90歳で、過ぐる7月20日に死去した。よってここに追悼の意味で、「フランソワーズ•アルヌール自伝」を出す。

「ブラック•パンサー」はアメリカの黒人解放運動の政治結社だ。最近その活動を描いた「ユダ&ブラック•メシア•裏切り」を観た。20歳で殺された党首に代わって未亡人と息子が未だ人種差別に対して闘っている様を描いている。これを観て

「Black lives Matter/ブラック・リブス•マター」運動の遅来る、それでいて確実な歩みを思いながら・ふと思いついて、古典を見直した。

名優グレゴリー・ペックがアカデミー主演男優賞をとった「アラバマ物語」だ。これは同時に脚色賞と美術監督装置賞もとった。原作はハーパー・リー。

アラバマ州で起きた強姦罪で訴えられた黒人を弁護士のパックが救おうとして無罪を立証するのに成功するが〜