第468回「原発を作らせ無い人々」富士山」と気象観測

2025年4月 日寄稿

ここに山秋真著「原発を作らせない人々」ー祝島から未来へーという本がある今回の話の前の書影を出した置くので是非読んでほしい。

原発反対と言えば思い出されるのが、「世界文化遺産」たる「富士山」をひかえる「富士宮市民の反核運動」だ。富士宮市民による核廃絶運動は長く、昨年10月に市と富士宮平和委員会がICANの川崎啠さんを講師に招いて核廃絶平和都市宣言40周年記念講演会を実施し、その直後に日本被団協がノーベル平和賞を受賞した事は大きな感動でした。以上述べた事は「赤旗」に出てた「わが町、ふるさと」の記事によって知った。筆者に感謝する。

 

富士山と言えば独立した山だから、昔から気象観測に使われた。それについては吉川武彦著「気象庁物語」ー天気予報から地震・津波・火山までーを出しておく。

ところで、冬の富士山に初めて住み着いたのは誰だったか。冬季には氷点下20度に達する富士山頂で、通年観測に耐えうるだけの施設や装備、観測機器が無い事だった。それでは俺がやってやろうという青年が現れた。明治28年、当時28歳の野中至と妻千代子夫妻だ。しかし、80日余りで衰弱仕切って下山した。ところで、富士山と言えばこの本の右に出るものが無いという本がある。河野元昭著「富士山」。

最後にもう一冊出す。「木田安彦の世界」ー「富士百観とふるさとの名山」展。平成22年思文閣美術館から出た本。素晴らしい本だが一つ残念な事がある。室蘭に「母恋富士」という綺麗なやまがあった。しかし、先の「ふるさとの名山」にこれが含まれていない。

 

 

 

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