これを書いている今日は3月12日水曜日、今朝白鳥大橋を渡って来た時の気温(10時一寸過ぎ)は+5℃、風速は4m…でまあ寒くはない。先週はもうちょいと冬めいていた…が、その或る日、「ふくろう文庫」のことで来客中のの所に、質問があるとて別に来た人がいて、その質問とは「菊」についてである。「菊」は日本在来のものか、いつ頃からあるのかetc…と言った所で、私は即答出来る種類のものでなし、「ふくろう文庫」の方の用事は片付いていないしで、帰宅して調べてみますからと、一旦引き取ってもらった。その晩、晩酌を終えてから書庫から出して来た何冊かの本の中から「答え」を見つけて、翌日知らせたが…今回は、まあちょいっと季節外れの話題であるけれども、事の序でだから「菊」の話をしよう。
それに上にあげた桜井萬の「花の民俗学」1 は今月刊の「講談社学術文庫」の一冊として名が上がってルから、それ一つでもいいタイミングだ。
桜井によると、
しかしこの菊はわが国根生いものではなく、中国から薬用植物としてもたらされたものであり〜
で、先ず「菊」は日本になかった花だ、外来種だと言うことが判明。次も又桜井によると
菊は仁徳天皇73年に唐来したものだということが諸書に見えるがこれは“古事記”にも“日本書記”にも痕跡を伝えていない。菊はまた“万葉集”にも登場しないのであるが…
とある。本当に万葉集にはないのか…と今度は山本章夫の「萬葉古今動植正銘」をみると、「草部」の「上」に「きく」と出ていて、古名「からよもぎ」(漢名「菊」)と書かれている。説明はこうだ。
“和名鈔”に菊をかわらよもぎ又かわらはぎと訓したれども、是はかわらに生ずる苦薏(せんぼんぎく)をさうなるべし。菊は秋気の正を得、故に百花もて常とすという。その美花は古え三韓より種を伝えたるなれば、古えこれをからよもぎと名づく。万葉時代未だ世に弘まらざれば、万葉に菊詠ぜし歌なし
とあって、万葉集に「菊」は出現していないのは確かのようだ。
脇道にそれるけれど、この山本章夫は、大変な学者で、そもそも、これ又大変な学者の山本亡羊なる人の四男坊だ。
章夫は小野蘭山に学んで京都で突出した本草学者だったのだ。本草画を数千枚描いたと言われるが、「ふくろう文庫」にはそれをまとめた全9巻の「本草写生図譜」なる、限定700部本1セット¥450、000と言う大著がある。章夫の父親を「亡羊」と先程話したが、亡羊には自分の書斎を、実に好ましくも「読書室」と名付けた。実に明快な名前で、この名の部屋の入ったら勉強するしかないではないか。亡羊は子沢山だったが、中で2男の沈三郎が出来が良かった。しかしこの息子は56で死んでしまう。この息子の代わりになったのが4男の章夫、号は「渓愚」で、20歳から40歳にかけて描いたのが先述の本草画だ。「本草学」とは植物、薬物を研究し、合わせて動物、鉱物をも研究することで、まあ今云う生物、物理、薬学etc…とジャンル別なのを一緒くたにしたものと思えば良い。
さて、菊は外来種で、万葉には出てないと分かったが、では、どの本に最初に現れたのかと言うと、桜井の答えは我が国最初の漢詩集である「懐風藻」に出てくると。それは境部王の「対峰傾菊酒〜」で、
秋の夜に山水を眺めて菊酒を飲み〜
の所で、菊酒は邪気を払い寿命を延べるものの由。
次に、いわゆる「菊の御紋章」のいわれは?と言うと、…桜井は沼田頼輔の「日本紋章学」に拠って、
後鳥羽上皇が深くこの文様を好まれ〜後深草、亀山の二上皇および後宇多法皇とあいついで後鳥羽上皇に追随されて、菊花文様がほとんど皇室の専用の文様となり、ついにはご紋章となるにいたった
と説明する。
ところが皇室が使う菊は16弁と決まっているが、ここの所を山本は「皇室の記章に用うる菊を十六菊という、この花に象どるなるべし」と言う。そして「この花」とは「はまぎく」で、後鳥羽帝が隠岐島に流されていた時、白菊を見て御心を慰めたが、この白菊こそはすなわち「はまぎく」であって、また、菊にしても、牡丹にしても、大体外来種は必ず色も形も変わるのに、「はまぎく」だけは、時をたっても変形変色しないにで、皇室の記章に当てたのだ云々。
成る程「はまぎく」か、これなら我が庭にもある。植えた記憶は毛頭ないけれど、いつしか出て来て、ほっておくと矢鱈ひろがるので、時々抜いてはいるけどね。菊の御紋章は功績のあった臣下に天皇から下賜されるのが普通で、足利尊氏も信長も秀吉も、これを無上の光栄としてありがたく頂いたが、家康は断って、アオイ=葵にした….と
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の釜江は言う。質問に来たお客さんは又、「菊」の色の事を聞いとったが、釜江によると、江戸時代いらいの園芸改良技術で、今や年中通して栽培されて…と言うことらしいから、何色もあるのだろうか。只、私個人の好みとしては、「黄菊白菊その他の名は無くも哉」/嵐雪作で、この2色で結構。
高校の時、漢文で「菊を採る、東の籬の下、悠然として南山を見る」なる陶淵明の詩を覚えたが、まあ秋まで待たなくとも、今からでも菊を楽しんで悪いことはなかろう。9月に入って、菊の季節になったら、この文章を思い出して読んでみて下さい。
- 桜井満.花の民俗学.講談社(1974) [↩]