`07.10月寄稿
大学2年の頃、銀座7丁目(だったと思うが)に「銀巴里」と名乗る喫茶店があって、シャンソンを聞かせていた。今で言うワンドリンクでいくら式の店のはしりみたいな所で、私も一度行ったことがある。確かジュース1杯で¥200だった筈.地下室にあるその店は大して広くはなく、椅子を三日月型に並べた前に出来た僅かなスペースで歌手が歌うのだったが、そのたった1度行ったその店で、私の前に現れたのが丸山明広、今の美輪明広だった。
只でさえシャープな顔をどきつい化粧で彩って、上下つなぎと言う作業服みたいだが、真っ黒のレオタードを着て、「ケメケメ」を歌った.性別不詳な感じで、大して感心もせずに出て来たが、後で、この店が三島由起夫が足繁く通った店だと知った。
この時の美輪を思うと、今のトーモロコシみたいな金髪(カツラ?)を付け、肥満した占い師になった姿には、驚かざるを得ない。正しく今昔の感と言う所か?。
その頃から、あの世が見えてるてなことを言っていたのかどうか?知らぬが、今、細木と江原(?)なんてのとテレビに出ているのを見ると、呆れるより先に、何だか気の毒に見える.私には...。
それにしても、嘆かわしいのは、当今の占い流行、中でも好かんのは細木...「ずばり言うわよ」式のあの物言い方、あれは殆ど恐喝と言うべきものではあるまいか。年商24億と言うあの女の正体について、暴力団追放のルポで名のある溝口敦が、「魔女の履歴書1 」なる本を書いて、細木と暴力団との癒着、その占い法が他人のパクリであること、更に墓石屋とのこれ又癒着を説いても、多勢に無勢、世の中心弱気人々は、懲りもせずに驚かされっ放しだ。
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本屋に行けば細木の本が山積みにされ...テレビもテレビ、出版社も出版社、見る方も見る方、買う方も買う方!!
それと、エバラ焼き肉のたれ(まだ許せるが)あの着物姿のショボショボ髭の飽食肥満(であろう)男を英国留学組だと感歎かつ褒める馬鹿がいるが、だから何だと言うのだろう.外っ国(とっくに)に行ってくりゃ偉いのか...それなら渡り鳥の方がはるかに偉くてかつ害も少ないと私しゃ思うね。まあインフルエンザは困るけど。
もっともなあ、江原が英国に行ったことで、「箸」を付けたがるのも分からぬではない....と言うのも英国は、今流に言えば、スピリチュアリズムの本場みたいな所がないでもないもんな.例えば、あのコナン・ドイル 。
理理知な上にも理知的、合理的な上にも合理的、しかも人情の機微に通じた探偵「シャーロック・ホームズ」を作り上げた理性の人(?)なるコナン・ドイルは、実は心霊術の大の信奉者だった。
ドイルは、心霊現象研究家のマイヤーズの著書が好きで、これを初めとして、実に1000冊に及ぶ心霊学の本を持っていた。更に自分でも、「ある心霊学徒の彷徨 」「新しい啓示」「生命の言葉」などを書き、又更に、世界各地で講演をし、一説では25万人もの人に呼びかけた。
とは言っても、ドイルの場合は、長男のキングスリーが第一次大戦中、フランス戦線で重傷を負い、除隊後に死ぬと言う悲劇があり、その時、かつてドイルの患者の一人だったドレイスン将軍なる男から聞き知っていた心霊学に心が動き、とどのつまりは「死者との交霊」を信じるようになった云々のいきさつがあるから、まあ、同情を寄せるか或はわからぬでもない。
もっとも、この点は日本人の悩める人達も皆同じような悲劇に見舞われての「占いだのみ」なのだろうがね。
そう言えば「レ・ミゼラブル」の作者ヴィクトル・ユゴーも降霊術が好きだった。そしてこのユゴーを愛読した詩人土井晩翠(つちいばんすい)ーあの「荒城の月」の作者ーも降霊術が好きで、自分は英文学者と人に言われているが、心霊研究家が実は一生の仕事だ、と人に語っている位だ。ヤレヤレ...。
ところで、私は過ぐる9月14日(土)に「ふくろう文庫・ワンコイン美術講座」で、一回目の「七夕と北斎の謎」に続いて、「お化けと妖怪」と題して第2回目を開いた。「ふくろう文庫」が所蔵する「日本の幽霊名画集」他を使いながら、①お化け対幽霊、 ②幽霊のimage、 ③丸山応挙の幽霊 ④大幽霊、と話を4つに分けて約2時間の講演だった。(興味のある方はここに挙げた画集を見て下さい) 「画図百鬼夜行2」
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「暁斎妖怪百景3 」
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「国芳妖怪百景4 」
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「芳年妖怪百景5 」
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明治の昔、妖怪・幽霊を研究し、これを迷信と見て、その撲滅に懸命となり「妖怪博士」とあだ名された井上円了は、人が不安、恐怖、ねたみ、そねみ、などから生むものが幽霊でもあり、妖怪でもあるととらえて、「されば、心とは妖怪の母と申してもよい」と結論した。
さて、皆様よ、この辺で、あの装身具をひからめかせてドレスを効かせつつおどかす女占い師の年収を更に増やすことに協力することを止めようではないか。
どうしても行き先を占って欲しいなら、死んだ人に会いたいのなら、汽車に乗り、車に乗って恐山の「イタコ」に会いに行こうではないか.その方が、恐らくつましく生きているであろう彼女達の為にもなり、我が身の為にもよろしいのではあるまいか。