`04.10.月寄稿
「ふくろう先生と行く文学の森」と題する講座を昨年は、Ⅰ期Ⅱ期と都合8回やった。Ⅰ期毎4回で、1ヶ月に1回、結構長丁場と言う所だが、これで、フランス、イギリス。両国19世紀の小説やら、美術やら、それと我が国芸術の関係やらと、まあ過不足なく面白く語ることが出来た。言い遅れたが『ふくろう先生」とは不肖私。この講座の応援団は、室蘭では「たんぽぽ文庫」苫小牧では「ふくろうの森の会」の面々。
Ⅲ期目の今年の第1回目は「鉄斎と放庵ーゴッホ。セザンヌ目じゃないよー」と題して7月に市民会館で行った。鉄斎の「贈君百扇(そうくんひゃくせん)」と放庵の「奥の細道画冊」(いづれも当館『ふくろう文庫』所蔵)を展示した記念の内容だった。
第2回目は8月に行った。題して「ろくろの謎」。このタイトルが発表されるや「たんぽぽ文庫」の安藤薫さん宅の電話は暫しの間、鳴りも止まず...あやうく回線がパンクしそうだったとか!! どうしてか?ナント.ナント!!
安藤さんの関係する北海道新聞の「道新コミニ」にろくろ変じて。どくろとなっていたのである。つまりはどくろの謎。
「どくろの謎」ってどんな話をするの?ホラー?お化け?解剖の話?などなど、まあ世に言う校正恐るべしと言うやつで、流石の安藤さんもしゃれこうべの中いや、頭の中が混乱して応対に苦労した由。聞いた私はどうだった?
私はこりゃまずくないテーマだな、と泰然自若(たいぜんじじゃく)つまりおちついてたってこと...かっこう付ける訳ではないけれど、私の頭に浮かんで来たのは、かって読んだ数々の名作だった。
例えば、横溝正史の「髑髏検校(どくろけんぎょう)」,例えば高杉琳光「どくろ観音」例えば、角田久喜雄の「髑髏銭(どくろせん)」これなんか3度も映画化された傑作だ。..時代は徳川5代綱吉の時世、家光の実弟忠長が遺したと言う、秘法の在りかを示す、謎を解く鍵をして、のどくろ銭をめぐって、正邪入り乱れる活劇。
忠長の血を引く浪人、神奈三四郎の主役は、製作順に示すと、アラカンこと嵐寛寿郎、市川右田衛門、里見浩太朗。盲目の怪剣士、銭鬼灯(ぜにほうずき)には、原健作、月形竜之介、東千代之介...あー書いていてもワクワクする。第1回目のアラカン(1938)のやつ、『図書館シアター』で取り上げようかな。
そう言えば我が愛する詩人金子光晴の「どくろ杯」もよかったなあ。海の向こうでいいのは、やはり映画になった、ジョンディクスン・カーの「髑髏城」か?それともSF作家、ロバート・シルヴァーバーグの「髑髏の書」か?
てなことを思っていると、ドイツに住んだことのある「たんぽぽ文庫」の米沢孝子さんが、「そい言えば、ドイツのどこやらの、どこやら協会の地下室にしゃれこうべがうず高く積んであるところがあって、それがちっとも気味悪くないの」なんて言い出すものだから、そのどこやらを後で、調べてみようと、思ったり、その一方で、ローマの「しゃれこうべ寺院」をおもいだしたり...とにかく私はしゃれこうべの中は、しゃれこうべの事で一杯で、決して、真っ白になったりはしなかったのである。...じゃによって、しゃれこうべのテーマも悪くないなと言う次第。
ところが、どくろがろくろの誤植であったと判明した後も、安藤さんの所の電話は鳴り止まなかった。どうしてか?
今度は「ろくろ首の話なんだって??」と異口同音に言って来たと言う訳。正しく書いても、どくろと誤植され、正しく発音してもろくろ首と受け取られ、あー、物言えば唇寒し秋の暮れ...とか!!か?
然し又私は動じなかった。何となれば、又私の頭には、いや今度は、首だから何も浮かばないか?いやそうでもない。「ろくろっ首」となれば、あの本だと私が思い浮かべたのは、変な本だが、武村政春の「ろくろ首考ー妖怪の生物学ー1 」だ。変な本と言うのは、この著者細胞生物学が専門とやらで、ろくろ首なるものが.生物学的にあり得るのかどうか。と自問する所から、話が始り、しゅるしゅると伸びるカメレオンの舌やら、ヒモ虫の吻(ふん)やら、ツリガネ虫細い柄やら...と生物界から類似のもの...首に似ていると言う点で,,,を探し出して来て、さあどうするか。
ろくろっ首族をヒト科「ホモ・クロロビンシス」と命名し、..このあと、首を長ーくして結論を聞きたい皆様、自分で読んで判断して下さい。
さて、ろくろ首の生態学については、この変書、いや珍書にまかせるとして、ろくろっ首のことが出てくる本をいくつか紹介しましょう。
と言っても、有名な鳥山石燕(とりやませきえん)「画図百鬼夜行2 」などはあえてとりあげない。
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先ずは、見世物研究と言えば古典中の古典朝倉無声の「見世物研究」をとりあげたいが、この本にろくろっ首はわずか二行足らずしか出てないから、この本を種本にしたような古河三樹「見世物の歴史3 」を取り上げる。
もっともこの本、今は確か「図説庶民芸能―江戸の見世物ー4 」と書名が変わっているはず。一度取り寄せたが、単なる改題本と分かって返品した記憶がある。
古河によると、ろくろ首は見世物の舞台で「因果じゃないかい、わしゃろくろ首、今宵お見えの四方様中に混じったお一人の、思う方にはあるなれど、添うに添われぬ片恋の、せめておへそがしゃぶりたい」てな歌を歌う由。出臍も引っ込むような歌だなあ。
藤沢衛彦(もりひこ)1885-1967は日本風俗史学会の理事長を務めた民族学者で明治大学の教授だったが、「変態見世物史」の中で、文化7年(1810)上野山下に出ていた50余才の大和出身の男は、本当にろくろ首だったと書いている???信じるか信じないか?それが問題だ。
さて最後に「ろくろ首」(らしい)ものも含めて見世物看板の巨匠と言われる絵師、志村静峰(せいほう)の名を紹介しておこう詳しくは「世紀末倶楽部VOL45 」をどうぞ。
ところで、沢史生「鬼の大辞典6 」にはろくろ首はー体に女だがー“しかし一方では、けしからぬ男の妖怪もいた。「生娘がこたつとび出す、ろくろ足」ーこの方がよほどこわい”とある。我が家は床暖だけんこれよくわからんのう!!