第026回 反骨の人「鈴木東民の生涯」

`931.14寄稿

1987年中旬に長野に旅した時のことです。「碌山(ろくざん)美術館」を観たあと、穂高駅に戻ってくる道筋の電信柱に、「ケーて、コルヴィッツ展」と新聞紙大の張り紙があるのに気付きました。思わぬ所で、コルヴィッツとは珍しいーと、一電車おくらせて、タクシーを拾いました。かなりの距離を走って着いた所は、雑木林に囲まれた「有明美術館(ありあけ)」でした。美術館というよりは、小体(こてい=小さくて派手でない)な別荘のように見えました。

展示された作品は多くはなかったのですが、ナガサキ、ヒロシマをテーマにした上野誠の作品も合わせて出ていたり、日本ではじめてコルヴィッツを紹介した千田是也(せんだこれや)の文章(中央美術1928年1月号)のコピーも売られていたり、で得る所がありました。

因みに、ケーテ・コルヴィッツ(1867-1945)は、生活苦にあえぐ労働者の生活に材を取った作品を発表し続けた、ドイツの版画家です。

彼女の作品を知るには「版画集.愛と怒り1 」がいい本です。

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そのあと、私は、卒業生の野沢君達に連れられて上田市に出「刀屋=かたなや」なる名物そば屋に行きました。この店のそばの「盛り」の良さには驚きました。ざるそばなぞ、まるで丼を逆さまにしたような形で盛り上がっています。味は絶品ですが、いや食べるのに時間がかかったこと、あれほどの盛りは、あとにも先にも知りません。

そばと言えば、三陸の釜石市には「山盛」という屋号のそば屋があります(今もあるかしら?)そば屋にふさわしい屋号と思いつつ、表札を見ると、ナント主人の名前が「山下盛ナントカ」で苗字と名の一時をとった名でした。今では盛りのよしあしを確かめずに来たのが残念です。

釜石と言えば、イタリアのフィレンツェの市場を真似た「橋上市場」があって、これは文字通り、橋の上を市場にしたもので、日本唯一のものです。これを案出したのは「鈴木東民(とうみん)」という人です。

東民は、戦後釜石市長を3期、市議を一期つとめた人で、12年間の市長在職中、激務を塗って、3冊の本を出しました。中の一冊が「ケエテ・コルヴィッツの日記2 」です。

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東民はあとがきで「芸術家としてのケエテ・コルヴィッツ葉偉大な業績を遺しています。しかし私が彼女の日記と手紙を翻訳したのは、芸術家としての彼女だけでなくはなく、一個の女性、戦争に反対し、平和を守るために戦った1人の母親としてのケエテ・コルヴィッツを紹介したいと思ったからです。と書いていますが、前記の版画集と相俟って、コルヴィッツを知る絶好の本と思われますが、残念ながら絶版です。復刻してほしい本の一冊です。

さて、ドイツの画家の日記と手紙を翻訳したのが、美術評論家や、ドイツ文学者でなくて、一地方都市の市長であると言う事に、奇異な感を持ち、この市長はどんな人なのかと、思う人は少なくないとおもいます。

東民は釜石出身で、東大を出て朝日新聞社に入り、後日本電報通信社研究生として、ヒトラーとその一派がはびこり始めた頃のドイツに渡った人で、奥さんはゲルトルートという名のドイツ人です。

そうした、いわゆるエリートが、如何なる人生遍歴を重ねて、故郷の市長となり、かつ挫折(?)したかを書いたのが、鎌田慧の「反骨3 」です。第9回「新田次郎文学賞」を受けた力作です。

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反骨(はんこつ)=容易に人に組しない気骨、権勢に抵抗する気骨)(きこつ=自分の信ずることを貫こうとし、やたらに人に屈服しない強い心)...といい得て妙で、東民の不屈の一生を語るにふさわしい書名です。

廉価版の出たところで、この魅力に満ちた人物の生涯をたどってみませんか。

  1. ケーテ・コルヴィッツ.版画集.愛と怒り.岩崎美術社(1970) []
  2. 鈴木東民.ケエテ・コルヴィッツの日記.アートダイジェスト (2003) []
  3. 鎌田慧.反骨.講談社(1992) []

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