第285回 独裁者と芸術

チェコはプラハの北15km、プラハの空港のすぐ近くに「リディツェ村」がある、いや、あった、と書く方が正確だろう・・・と言うのは、この村は一度この地上から抹殺された村だからだ。この抹殺と言う意味は文字通り、言葉の通りのもので、この村の人達は殺され、大地はブルトーザーにならされて、一見,只の「さらち」にされてしまったからだ

。6月10日はこのリディツェ村と村人が破壊と虐殺に会った悲劇の日として,ヨーロッパでは今もなお記憶されている日だ。リディツェ村の抹殺は、かの「ゲルニカ」と「アウシュビッツ」と並んで,ナチの本質を証する出来事なのだ。

事件は1942年5月27日に始まる。この日、占領下のチェコスロバキアで総督代行の悪名高き冷血漢ラインハルト・ハイドリッヒが銃殺され,病院で死亡した。これに対してナチは,1942年6月10日、リディツェ村を抹殺した。それはリディツェを含む炭坑町クラドノが、労働運動・革命運動・の伝統を持つ所で,当時ナチに対する果敢な抵抗運動が行われていた場所だったからだ。リディツェ村を襲ったナチは,15歳以上の男性192人を全員銃殺、15歳以上の女性203人を強制収容所に送りガス室で殺し,15歳未満の子供104人の内ドイツ人に似ているとされた者をわずかながらドイツ人の家庭に「養子」として出した。と言う訳で,この悲劇を語って余ある本をここに上げる。

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次は・・・私が高校2年生で読んだ「愚痴神礼談」著者のエラスムスはオランダはロッテルダム生まれの人文主義者で,私が敬愛する思想家の一人だが、1536年に赤痢で死んだ・・・と言うが、実は「梅毒に」かかっていたらしい。梅毒は,人間の種類を問わず、詰まり貴賓関係なく襲うから、フランスのフランソアー一世もかかった。只、このかかり方が変わっていて、この王、弁護士のフェロンの妻君に一目惚れして、妻君もこれに応えた。すると焼き餅を焼いた夫(フェロン)が、王に仕返しをすべく、梅毒にかかった娼婦を買って,自ら梅毒にかかり,これを妻に移した。つまり娼婦→フェロン→妻→フランソアー一世の順で梅毒が移行した訳だが、これ、聞くだに壮絶な話だなあ。

因みに「骨疼き(ほねうずき)」なる言葉があって、これ、梅毒が全身にまわって骨に達し、うずき痛むことを言う。これ又聞くだに痛そうな言葉だが、まあ、4人が4人して「骨うずき」を味わった訳だ。イヤ、オソロシイ!!と言うような話が次から次と続く、すこぶる面白い濱田の本を読んでいたら,第9章に至って,「インフルエンザ」が出て来た。

同時に豚インフルエンザが始まった。この病,中世以降のヨーロッパで冬に流行すること一度や二度ではなかったから、当時の人が考えるに、この病名は冬特有の星座によって起こるのではないか=星の影響が大ではないかと考えついて、(影響=Inflence)なる名前がついた由。1918年の流行時には,4000万人死んだ由。又〔スペイン風」なるものは,実はスペインにあらず,アメリカで発生した由。「インフルエンザ騒ぎ」が静まるまで,家にじっとしてこの本を読もう。②2

室蘭民報に連載している「本の話」の第462回(2007.1.21)で、私は前年に生誕百年を迎えた作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチがスターリンなる悪魔的独裁者の圧政下、いかに知力を尽くしてスターリンのの迫害をまぬがれたか・・・と言う話だった。スターリンはヒトラーもそうだったが、あらゆることに口を出した独裁者だから、当たり前と言えば当たり前だが,少しは引っ込んでもよさそうなものまで口を出した。因みに無能の画学生ヒットラーは権力を握ってから,絵画や・建築にも口を出して,パウル・クレーやオスカー・コシュッカやエゴン・シーレなどの作品を、退廃芸術としておとしめ続けたが,ヒットラー亡きあと、ヒットラーが迫害した芸術家達の殆どが真正の芸術家として,芸術史上に輝きある位置を占めているのを見れば、ヒットラーが如何に芸術を観る目がなかったか、と言うことが良く分かる。

さてスターリンだが,スターリンはショスタコーヴィチとショスタコーヴィチと並ぶプロコフィエフに向かって言うに、「少しは口ずさめるような曲を作れ」と進言した由。言うも言ったりとは思うが、まあそー言うスターリンだからしてショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」当然のことに嫌った。スターリンに嫌われたお陰で、このオペラお蔵入となって,実に30余年の陽の目をみることがなかった。

何故スターリンが嫌ったかについては,私は又「本の話」第524回(6月14に民報に載せる予定)に書いて、今日5月19日現在、既に民報に原稿を渡してあるので、興味のある方は是非それを読んで下さい。

話を戻すと、ショスタコーヴィチのオペラをスターリンが嫌ったとなるや、提灯持ちの当局はこれを「音楽における荒唐無稽」と評した。ここで序に言うと、ローレル・Eファーイ著「ショスタコーヴィチ・ある生涯〕(2002/アルファベータ刊)を訳した藤岡啓介らによると、この「荒唐無稽」なる訳語は誤訳で、「音楽ならぬ混乱楽」と言うのが正しい訳なそうな ③3

それはともあれ、私が大事にしているものに「オペラ映画」と称する「カテリーナ・イズマイロヴァ」がある。これ、実はスターリンが嫌ったところのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の映画版なのだ。原作は19世紀ロシアの作家レスコフが実話に基づいて作ったもの。この映画について、批評家の一柳富美子曰く、「本作品は映画音楽の名手ショスタコーヴィチにとって〜 〈ムツェンスク郡のマクベス夫人〉の音楽化が最も理想的な形で実現した結果とさえ言えるかも知れない〜そう、これは映像音楽作家ショスタコーヴィチの会心作なのであると」と。

主人公カテリーナに扮するのは、皮肉にもスターリンによってソ連の市民権を夫君の指揮者ロストロボーヴィチ共々剥奪された名歌手ガリーナ・ヴィシフスカヤ女史だ。このオペラ5月初めに東京新国立劇場で上演されたが、観に行けぬので、代わりにこのDVDを出して来たところ。

  1. ジョン・フラットレ-・大虐殺リディツェ村の惨劇・サンケイ出版・(1971) []
  2. 濱田篤郎・疫病は警告する・洋泉社・(2004) []
  3. 作曲家 人と作品シリーズ・ショスタコーヴィチ・音楽之友社・(2005) []

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