第317回日本美術所蔵世界一のボストン美術館

2012.3寄稿
3月24・25(土・日)の両日、「モルエ中島」で「ダ・ヴィンチのパリ手稿展」をやるのに、色々と頭をひねっていて...諸事万端、この人が居ない始まらぬ、と言う程に気の利く妙女にTELをかけた。ダ・ヴィンチのパリ手稿=手帳の大きさは、掌大から大学ノート大まで様々で、普通ならこれを開いて出せばいいのだが、如何せんダ・ヴィンチはいわゆるギッチョ=左利きで、そのアルファベットは、したがって逆さ、つまり「鏡文字」になっている。

それを正常に見せようと、まず小幡由紀子さんから、藤娘とやらが入っていたと言う人形ケースを譲ってもらい、函の中の正面に鏡を置き、それに向かって大学ノート大のものをL字型に開いて置いて...これで見える筈。
次なる厄介は掌大の手帖で、ふと思い付いたのはホテルの鏡の隅っこにある2倍強の奴、それを下に置き、ガラスの鍋かバットをかぶせ、その底に当る部分に手帖をおいて開けば...として...と言う具合で、妙女そして泰女に以来、ナントカ揃いそうになってきた。

そのTELの時、妙女が言うにはテレビでボストン美術館の紹介をしていて、絵巻だ、竜だとの話しだ、と言う。私はそれについてすこしばかりかいせつをしてTELを切った。その直後に偶然のように田澤早智子女が来た。

早智子女は、「ふくろう文庫特別展inモルエ中島」他に際してのポスターを書いて呉れている書家で、書の○○展出品などの合間を縫って協力してくれている。早智子女が言うには、92歳になる母親が雑誌「サライ」を定期購読していて、先日行ったらそれを見せてくれた。中にボストン美術館の里帰り展のことが出ていて、読み終わって寝ようとしたら、ナントカテレビで11;00から「ボストン美術館特集」で、絵巻だ竜だと出て来たので、一旦布団に入った母親も起き出して、共々すごいすごいと観たんです、ーと話している所へ、泰女がガラスのバット他を持って来てくれて話しに加わり、「あー、あの絵巻すごかったね」となった。さて話しに出てきた絵巻とは①「平治物語絵巻・三条殿夜討の巻、②吉備大臣入唐絵巻」で竜とは曾我蕭白の「雲竜図」である。

①は、平治元年(1159)、源平合戦の最初の戦い、とも言うべき「平治の乱』で、三条殿の焼き討ちと後白河上皇の拉致を描いたもので、合戦絵巻の最高峰、縦41.3cm、700.3cm。平治の乱の100年後、13世紀後半鎌倉時代の作。日本にあれば当然国宝。これを持っていた人はかのアーネスト・フェノロサで、これを含めたコレクションを、明治19年(1886)に全部ボストンの大金持ちウエルドに売却、ウエルドはこれを明治44年(1911)に又全部ボストン美術館に寄贈して、以後フェノサ=ウエルド・コレクションと呼ぶ。

②は、奈良時代、実在の秀才官僚・吉備の真備(きびのまきび)が主人公の絵巻、遣唐使の真備は唐に渡って皇帝に愛されるも、唐人達によって、あれこれの嫌がらせ、又テストを受けさせられる。困り果てた時には先に唐に渡ってその地で死んだ、阿倍仲麻呂(あばえのなかまろ)の霊が出現して助ける奇想天外な筋の運びと、洒落た絵で、実に面白い。

この①と②については私は「本の話し」に書いたことがあるから、今回はこれくらいにしておく。只一つ、面白さの例を上げるなら、吉備は当時日本にはなかった囲碁の勝負に引きずり出され、辛うじて勝つが、これは一種のカンニングによる勝ちで、私はこれを『日本最初のカンニング」と名付けた。

この全部で4巻からなる絵巻は、これ又日本にあれば国宝だがナント昭和7年に日本人の手によって持ち出され、ボストン美術館に収まってしまう。持ち出した人は、これ又、岡倉天心の後任者・富田幸次郎。これが物議をかもし、結果昭和8年(1933)に美術品の海外流出を防ぐ法律が出来たが、つまりは「後の祭り」と言うか「怪我の功名」と言うか!!さてこの2点の中の①が「ふくろう文庫」にあるのです。泰女が「すごかったわね」といったのがこれ。

早智子女が92歳の母親と驚いた場面とは、三条殿が燃えさかる場面の炎の描き方。実はこの炎日本美術史上三大炎の描写の一つ、と言う人もいる程ののもの。

次に「竜」と言うのは、曾我蕭白の「雲竜図」のこと。元々は襖の絵で、全部で8面の由。これ、本邦発紹介。さて、ボストン美術館今や、世界一、日本美術を所蔵している館だが、底が今回92点もの、国宝・重文クラスの作品を持ってくる。東京国立博物館での3月20日を皮切りに、最終は最終は平成25年6月16日の大阪市立美術館まで、名古屋、九州とロングランだ。お金と暇のある人は、このいずれかに行くべし。

参考までに....ボストンに何故にかくも多くの日本美術が集まったかを知りたい人には、堀田謹吾の「名品流転1 」(NHK出版)

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と、矢代幸雄の「日本美術の恩人達2 」(1961/文芸春秋社)を。そのボストンで指導的役割を果たした天心を知る為には、吉田千鶴子の「〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたものー〉3 」(吉川弘文館)を、

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蕭白を含む若沖やら又兵衛らを知りたい人には、それらの画家を発見したと言ってもさしつかえのない美術史家・辻惟雄の「奇想の系譜4 」(美術出版社)を、

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又「しょうはく」1人については、2005年京都で見て来たきた「曾我蕭白―無頼という愉快」の図録を出しておく。

「ふくろう文庫では」今年1月「清明上河図」を3月には「ダ・ヴィンチ」をーと、常に中央に先駆けての展示をして来た。そこでモルエの工藤さんが5月にも何かやってくれと言う。私が思うにボストンに合わせて、「平治物語絵巻〉を4月に出そうかと...計画し、4月28日(土)29日(日)に行うことになりました。ボストンものはあと2点掛け軸があるのだけれど、モルエには高さ2mを越すパネルが無いのでこれは展示出来ぬのが残念。皆さん 平治物語絵巻を」室蘭で観よう11

  1. 堀田謹吾.名品流転.NHK出版(2001) []
  2. 矢代幸雄.日本美術の恩人達.文芸春秋社(1961) []
  3. 吉田千鶴子〈日本美術〉の発見ー岡倉天心のめざしたもの.吉川弘文館(2011) []
  4. 辻惟雄.奇想の系譜.美術出版社(2004) []

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