2014.4.7寄稿
昨今、とみに腹の出て来た友人の話ー4月6日(日曜日)雪が降った.夕方奥さんんが「今日はポイント15倍の日だから買い物に行こうと思っていたけど、雪だからやめるわ」と言い「残り物でガマンしてね」と加えた由。「いいよ、いいよ」応えて、早めの風呂に入ろうと裸になった亭主=友人の姿を見て、「貴方のお腹なら、ハム代わりになるわね」とつぶやいたのだそうな。
憮然として、あごをなでつつ語る友人に,私は話しが話しだけに,笑う訳けにもいかず、かと言ってうなずく訳にもいかずーで黙っていたが,内心連想していた言葉と図があった。
言葉は「凌遅=りょうち=切りきざみ」。これ,中国の刑罰の一つで、つまりは小さな刀(とう)で受刑者の身体を時間をかけて少しずつ削りとっていくもの。遼代(916〜1125)になって正規の刑罰として採用されたものーで,「図」はもちろんその有様を描いたもの。
文学者魯迅によると「〜酷刑の発明者及び改良者は酷吏(こくり)か暴君である。それは彼等の唯一の事業であり、かつそこには工夫と考究が存在する」のだそうな。この「凌遅」にはやり方=切りきざみ方の種類があるが,一番すごいのは「魚麟砕割り=うろこそぎ」とて、受刑者を投網(とあみ)でしばりあげ、その編み目から盛り上がった肉を一つ一つ切り取る方法。これ正しく「ボンレスハム」だ。奥さんの言葉と友人の身体つきで私が連想したのはこの極刑の図だ。図を出したいと思ったが表紙にとどめておく。ところで、ムッソリーニ夫妻は街頭で逆さ吊りにされ,ルーマニアのチャウシェスク夫妻も地下宮殿で同じく逆さ吊りにされた。独裁者の末路はこんなもんだろうが、そうなれば投網をかけられてはみ出る肉で一番図になるのは北のあの仁かも知れぬ.そう言えば『餃子の王将」の社長が殺された件、毎日新聞の牧太郎執筆の「大きな声では言えないが、、、」によると「北朝鮮の工作員が先頃処刑されたno?の張成沢(チャン.ソン.テク)と関係ある人間だと手見せしめに殺した」云々だと。「図説 中国酷刑史1 」
4月6日朝刊には安倍首相がどこぞのデパートにあらわれて4万円もの買い物したとある。8%を強いておいての演技だろうが,何も面白くないね.戦中東条英樹もゴミ箱を除いたりしたが,庶民よりの顔をしてみせる天では似たようなもんだ。
先程「〜酷刑の発明者及び改良者は酷吏(こくり)〜」なる魯迅の言葉を引いたが,近代において、その最も著名な酷吏とくれば、「アウシュビッツ」でユダヤ人絶滅に辣腕(らつわん)=遠慮せずにテキパキやる事務能力)をふるった、かのナチス親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマン(1906〜62)だろう。この男はイスラエルの法廷で裁かれたが,反省の色などみじんも見せなかった.悪い事をしたとは露程にも思っていなかったからだ。この冷酷な男の言い分は「私は命令に従ったままです」であって悪いのは「殺せ」と命ずる上司で「私はそれを事務的に処理しただけです」と。ガラス張りの函に守られたアイヒマンのイスラエルでの裁判を傍聴して「エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告2 」(大久保和郎訳)、みすず書房(1969年刊)を書いたのが政治哲学者でユダヤ人のハンナ・アーレント(1906−1975)だった。この本の副題の「悪の陳腐(=ありふれていること)さ」なる意味は,アイヒマンなる男がとりわけ残忍だとか,冷酷だと言うのではなく、そんじょそこらにワンサといる単なる事務屋、人間として,いい悪いの判断をせずに、命じられたことさえやってりゃよしの,実に平々凡々たる男がーということ。
私はこの本の結論にも,又彼女の代表作「全体主義の起源3 」(全3巻大久保和郎他訳みすず書房1972‐1974刊)を読んだ時にも非常に妥当だと思ったが,意外なことにアーレントンのアイヒマンに対する人間観は,当のユダヤ人のみならず,おおくの人から激しい非難を浴びた。その訳はー例えば,ユダヤ人殺しをしたのはナチだけではない,ユダヤ人の中にもヒトラーに手を貸した人間がいるーとのアーレントの指摘がユダヤ人の気持ちを逆なでしたのだったその間の経緯を含めてこの優れた政治哲学者にいついての良書というべき本が出た.矢野久美子の「ハンナ.アーレント4 」がそれ.非常にいい本だ。昨年発表された映画、マルガレーテ,フォン.トレッタによる「ハンナ.アーレントは」苫小牧で上映されたが私は多忙で見ることが出来ずDVD化を待っているところ。
私は「紅白歌合戦」なるもの湯治宿の大広間で仕方なく数場面観ることがある他は全く観たことがない。理由がない訳ではないが,今は言う気にならぬ。大昔竹中労がこの番組について書いたウラ話めいた?文章を読んでさもありなんと思ったことがあるのも、その理由の一つだが「この番組は日本人全ての心のふるさと」的言い方されると「そう、くくられたくはない」位は思う。
そういう人間が去年の紅白の顔ぶれを見て、こりゃおかしい、こっけいと思ったことがあるので、それを書く。
きっかけは、北島三郎が「これが最後」とか言い出したことで、北島のデビュー曲「ブンガチャ節」は1962年(昭和37年)放送禁止になった「あの娘いい娘だ、こっち向いておくれキュキュキュキュ」のキュ.キュがベットの軋む音を連想させるからーと言うのだが、そう聞こえた奴は余程「性」に飢えていたに違いない.顔ぶれの1人に、丸山(美輪)明宏がいたが、彼の「ヨイトマケの唄」も日雇い労務者の歌だとされて、引っ込められた.1965年のこと.そう言えば、昭和40年高倉健の「網走番外地」の主題歌も犯罪肯定の気ありとてダメ。その高倉が文化勲章もらって「前科者ばかりやってた私が...」と述べたのはおかしかったなあ。と言う訳で昨年の紅白は前科者が何人か出てたようで、それが私はおかしかったのです。「戦争小唄」「黒かばん」がやられた泉谷しげるも出てたしな。
「放送禁止歌5 」
紙幅がないので、簡単に、学生時代、下宿皆で浅草鶏神社の酉の市に出かけた。押すな押すなで、ためしに人に挟まれたまま両足を浮かしたらそのまま、十数米移動出来た程だ。そこの縁起物の熊手を8億円で買ったと言う、聞いて目を向くようなことを言う人が出た。ほっぺふくらませ、ふいごみたいにしゃべるみんなの党の渡辺代表。「熊手」には「欲張り」の意味があるとは言うね、この言い訳、歴史ある神社にも熊手にも失礼だ。あのトンガリヘア丸めて、少しは教養付けて出直したらと言いたい「歳時記6 」でも読んでみなさい。2014.4.7(月)と書いた翌4月8日渡辺辞任の記事が出た。