2015.12.寄稿
丸川珠代は以前テレビのアナウンサーで、そのケロっとした所と無表情で、かえって人気があった聞いているが、選挙に出た時、実は自分自身は投票に行ったことがないと判明して批判された。それが時を経て今や環境大臣だというから、世の中甘いもんだ(ということは本当らしい)
ところがこの丸川が政党助成金で「健康診断料」を払っていたと昨年11月末報じられた。ケロっとした表情そのままの行為だが、ミミッチイことをしたもんだ。と呆れていたら、「上には上」と言うべきか「下には下」と言うべきかは知らず、今度は、政治資金で「赤飯代」を払ったと言う、随分と家庭的なのが出てきた.これが又大臣で、復興相の高木毅。なんでも自分の資金管理団体の「赤飯代」に焼く40万円使ったという...で本人曰く「内閣改造や党役員人事のタイミングで、先輩議員や同僚に祝意や日頃の感謝を伝えるために贈った」で、自分は食べてはいない言う訳。これ食った連中知らず知らず赤面していたことだろう。それはさておき、私は赤飯大好き...で、「ふくろう文庫特別展」の時、仲間の松本女史、康子女史、それに尾形君の母親が作ってくれる赤飯は実に楽しみだ。「赤飯を」を時に「強飯おこわ」と言うが、そもそもは糯米(もちごめ)を蒸したものを強飯(こわめしorこわいい)といい、これに赤あずきを混ぜた赤飯を特に「おこわ」と言ったのだ。一般に祝儀の時はアズキで色を付けた赤飯とし、普通の行事やお祝い(本復祝い=全快祝い)にはクロマメを入れるか、または紅白にして白い方へクロマメを入れる。仏事には白ダイズを入れるか、モチ米のみ白蒸として配る。以上は以上は日本風俗史学会編の「図説江戸時代食生活辞典1 」(雄山閣/平8)に依ったが。つまりアズキのはいらない強飯=白蒸は葬式,法事専用だということだ。
ところが世の中広いもので、「〜葬式当夜〜あい集まり、仏前において念仏会を営むの習慣あり。而してこの時念仏玉
と称して、昔は赤飯を、会者勿論〜に与えて、供養となすの風ありて」で、これ群馬の伊勢崎のことで「葬式と赤飯〜民族文化を読むー」に出ている話。一般読者に面白いか否かは分からぬが、変な赤飯の話が出てきたこんな機会でなくては仲々紹介の機会がないからあえて出してみる。これ書いたあと、芝垣晶子女より「丹波大納言小豆の赤飯」をもらった。うまかった。
国会議員の後は教育委委員会の登場。茨城県教育委員会の長谷川智恵子委員が、特別支援学級の視察後に、「妊娠初期に障害の有無が分かれば、障害児の出産を減らせる」と発言.更に「世話する家族が大変んなので、障害のある子供の出産を妨げるものなら防いだ方がいい」、更に又こうした子供が増えては「大変な予算だろう」。何たる発言だろう。
かつて作家の陳舜臣は言った。「文明の度合いをはかる一つの目安を、私は弱者に対する配慮の程度如何に置いている。弱者に全く無頓着な社会には、文明は存在しないと考えてよい。弱肉強食の野蛮界に過ぎないのである。〜文明な土地ほど身体障害者についての関心は高い」。となると、いやしくも教育委員なるものに、長谷川如きを選んだイバラキーの文明度は低いということになる...イヤ、待て〜。この問題、一イバラキーの問題ではないぞ。
アベがとっている政策のモロモロ、全て弱肉強食になってないか。となれば日本の文明度は??高いとは言えないな。と言うわけで、その文明度の低そうな日本にあって、その文明度を高めるべく、その文化を豊かにするべく、どれほど障害者が力を与えてくれたかを実証する名著を出しておく。花田春兆の「日本の障害者2 」がそれ。
私は一応文学者なるものは文化人と見做しているが、例外もあって、その一人が石原慎太郎。この人を文学者扱いする人の気持ちが私には解せない。この男は教養の欠けた、ゴーマン男というのが私の認識。この石原が2010年12月(だったか)に同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう」と発言して物議をかもした。アンダーラインは私が引いたがこの箇所、当てはまるのは石原本人ではなかろうか。
この時、性人類学者のキム・ミョンガンは、歴史的に見ると、同性愛がより一般的だった時時代もあるとして、「石原都知事が好きな武士道も、同性愛者とは近い関係にあった〜」と指摘したが、信長、家康,信玄、勝海舟に至るまで、皆そうだ。と書いた訳は、この問題で、今度は市議が登場したからで、この人、神奈川県海老名市の鶴指真澄。自身のツイター等やらに書いた文句が「同性愛は異常なのだ。異常人間の行動を正常化した報道はするな」。何たる無知!これを読んだクリス松村が、この発言は「死ね、キモイ、と同じレベル」と批判。「同性愛は異常」云々に関しては、とうの昔、すなわち993年(平成5年)の4月中旬(ということはすでに22年前)に、TBSブリタニカの「ブリタニカ国際大百科辞典」小学館の「日本大百科全書」が、差別、偏見と指摘された「異常」の記述の削除や訂正に応じた前例があって、それを今更「異常だ」などとは時代遅れも甚だしい。とここで話を先の「赤飯男」に戻す。というのはこの御仁、仲々忙しいというか、ご苦労というかの男で、去年の10月には過去に女性の下着を盗んだことがると週刊誌に報道されて、その時の弁明が、「今日はそういった場所ではないので、お応えは控えさせていただく」で、やってませんではない。思うにこれ「下着フェチ」なのだろう。
Fetishism(フェティシズム)は英語で「異性の体の一部や、身につけたものなどに異常な執着を示し、それによって性的満足を得ること」(例文で読むカタカナ語の辞典。小学館)
同性愛ほか、偏見はダメで、正確な認識を持つためには知識が必要。そこでそれらすべてが出ている小宮卓「性現象辞典3 」(光風社出版/1975刊)を出そうと思ったが、¥7,000-弱と高いので、代わりに下着フェチ以外のフェチとは何ぞやを論じた本を、こんな機会でもないと仲々出せぬから、出しておく。北原童夢の「フェティシズムの修辞学4 」
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「ふくろう文庫」の助っ人で、「社団法人・美術品の鑑定、評価する会」の業務課長松島みどり女が「招き猫」の話を持ってきた。猫の本と来たら、田中貴子の「鈴の音が聞こえる5 」や、今村与志雄の「猫談義6 」など語りたい本はワンサといや、ニャン冊もあるが、みどり女の話に最適なのは、「招き猫の文化誌7」。
招き猫の元祖は世田谷豪徳寺というのが猫好きの常識だが、それよりも古いのは京都の壇王法林寺。ところで立会いでパチンと両手を叩いて白鵬が非難されるがアベの「国民だまし」より、害がないと思うがね。アベのミックスも「猫だまし」の一種だろうが。