第363回木下杢太郎の伝記と「百花譜」他

`16.3寄稿

3月中旬、所用で札幌に行き一泊した時のこと、ホテルの駐車場に車を回そうとしていた所(と言っても運転は我妻さんで、私は助手席だが)、ホテル脇に止まったバスから数十人の女性が降りてきた。その姿は、ジャージと言えばいいのか、真っ白、長袖セーター?に、真っ赤なタオルを首に巻いたり肩に掛けた利、それには白ヌキで「旗」と書いてあるようだった。

ハテナと、一瞬頭の中をよぎったのは、これ、まさか北朝鮮からのナニカの応援団?ということだった。でも字は日本語のようだし・・・で分からぬまま,駐車してから、カウンターで「さっきのは何?」と訊くと「西野(?)ハナ?カナのファンです」との答え。「それ誰?」「歌手」です」「演歌なの?」と此処まで来て、次の客が来たので、答えは得ず仕舞い。

私は日常、鼻歌も歌わぬ口で歌詞も全部覚えているのは一つもない(あ、君が代の一番は大丈夫だな)ので、カラオケ屋も行ったことはないし、テレビも観ないから、西野だの北野だの言われても検討がつかぬ。

以前「ふくろう文庫ワンコイン美術講座」で、「山下りん」を取り上げた後、彼女の作になる「イコン」を観るべく、受講生30人余りとバスを仕立てて、福住の「ロシア正教会」に行った時、札幌ドームの前がすごい人の流れで,「これ何だ」と「ふくろうの森の会」の墨谷真澄女史に訊くと「嵐」が来るんですーと言う。えっ今日の天気予報は「晴れ」じゃなかったのと、聞いてわかったのは「嵐」という歌手のグループがあると言うことだった。

さてホテルに荷物を置いて買い物に出ると、入った所の店員の女の子の名前が「下嵐」とある。嵐山とか五十嵐とかは聞いたことがあるが、「下嵐」は珍しいので「何と読むの?」と訊くと、答えは「テイ・ランです」、で中国人だった。下ではなくて「丁」だったのだ。

そう言う具合の私だから、スマップ解散には非常に違和感があった。キムタクは「武士の一分」で観て、唇の歪み具合が好きでなかったし、中井は「模倣犯」で観てガラガラ声が嫌だった市、クサナギは「市」で観て、身体と顔の比率の悪さが気になったし、あと誰がいるか、要は歌ったり踊ったりしたのを見たことがないので、つまりはファンでも何でもない。それが「解散」とやらで、新聞が日本中に激震なんてな見出しで知らせる。読んで、「やめてくれ、日本中はないだろう」と思う。

まあ、この解散、謝罪については、評論家・斎藤美奈子の「単なる視聴者である私たちが(少なくとも私が)、謝罪される理由は、余り見当たらないのであるが〜」で始まる意見他、色々出たが、私も彼らに謝られる筋合いは毛頭ない。

日本中という言い方でもう一つ「福山ロス」とか言う事件、で出た菅官房長官の「産んで国家に貢献を!」発言。これに対する反論で一番良かったと私が思ったのは、元TBSアナウンサーの下村健一の「ママさんに国家がどう貢献するか」を言うべきだと反論。これがないから。つまり国家がママさんを助けないから、「保育園落ちたの私だ」が出てくる訳で、これ必然と言うものだ。

ところで、漢文学者の一海知義に「クサナギクン」なる随筆がある。読者から彅はナント読むのか、との質問が来たので調べると、最大の「大漢和辞典」、中国最大の「漢語大字典」他にも出ておらず,流石の碩学も読めぬ。で大学の授業で黒板にこの字を書き、知っている人は?と訊くと、全員知っていて仰天した一海の「どうして知っているの?」に対する学生の答えは、「スマップの草彅」です・・・・という一幕。

この字「日本製の国字」の由。たしかに、神話の「草薙の剣」とも違うしな。この話、スマップを知らなかった一海の「詩魔-二十世紀の人間と漢詩1 」にある。一海は去年11月15日、86歳で惜しくも亡くなった。追悼!

亡くなったと言えば、古代史研究者で京都大学名誉教授の上田正昭が、今年3月15日に88歳で逝った。京大を出てから高校の教師をして京大に戻ったが、奈良の高校でこの上田に習ったのが、山口格さんーと言っても誰も知らないが、私が室工大在勤中に仲良くしてた北大出の数学の先生。小樽で生まれたが、父親の仕事の関係で奈良育ちと言っていた。私は交友を求めて人に近づくタイプでないから、山口さんの場合にも、向こうから話しかけてきて・・・同じ年だと分かった上に、すぐに仲良くなったのは、高校時代の読書が、奈良と室蘭と離れているのに、実に似かよっていた事だった。

山口さんの高校には後に京大に戻っ人が何人もいて、上田はその中の一人だった訳だ。お互いの家庭に行き来して、酒を飲みながら話すのはほんの事ばかりだったが、中で一冊、私が子供向きだと思って手にしなかった本、加藤文三の「学問の花ひらいて2」を山口さんは勧めてくれて、これは読んで本当に良かった。加藤は中学の先生で、この本は「蘭学事始」についての本だったが、すばらしい本だった。

近代日本の礎を作った蘭学者たちの足跡を知るのに、これほどの名著はないと断言できる。社会科の教師だった加藤文三は、85歳で今も車椅子で戦争法の反対に活動していると報じられているが、山口格さんは定年になった途端に、ガンで亡くなった。残念だ!!

ダイアナを追いかけたパパラッチを、今は「ナイトクローラー」と言うらしいが、その生態を描いて評判のDVDを観た。無職で夜中に町中を徘徊している男が、たまたま事故現場を撮影しているカメラマンのグループを見かけ、見よう見まねで自分もナイトクローラーになろうとする話。この男、警察無線盗聴の機械を武器として事件を追っ掛けることになり、結果、金になる事故現場、犯罪現場を自ら作るようになる。

これを観て思い出したのは、1993年9月に封切られた映画「パブリック•アイ」と、そのモデルのカメラマン、ウィージーの自伝「裸の街ニューヨーク3 」。ウィージーも警察無線を使って誰よりも早く現場に駆けつけ、社会に衝撃を与える写真を発表し続けたが、ウィージーとナイトクローラーの分かれ目は良心のあるなしだ。ウィージーは事故も事件も捏造せず、現実だけを相手にした。

4月に入ると、「ふくろう文庫」のミニ展で、木下杢太郎の植物図「百花譜」を展示する。医者、文人、画家etc、と多面の杢太郎の伝記が折良く出た。百科全書的教養人の木下を平明に説いている。「私の木下杢太郎4 」これ読んでから百花譜を見れば、興趣いやますことだろう。杢太郎はスカンポとスイバが好きだった由。私が木下杢太郎を初めて読んだのは、高1の時、角川の「昭和文学全集」でだった。
o

  1. 一海知義.詩魔-二十世紀の人間と漢詩.藤原書店(1999) []
  2. 加藤文三.学問の花ひらいて.新日本出版社(1972) []
  3. ウィージー.裸の街ニューヨーク.リプロポート(1981) []
  4. 岩坂恵子.私の木下杢太郎.講談社(2015) []

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください