2016.9月寄稿
Marcel・Pagnol(マルセル・パニョル、1895〜1974)フランス劇作家、南仏オーバーニュー生まれ、22年パリに出て高校教師(父親は小学校の先生)、学生時代から文学好きで、1925年、ポール・ニヴォワと合作で「栄光の商人 」を出して当たった。第一次大戦の戦争利得者を諷した作品だ。
劇作家としては1925年の「トパーズ」が有名だが、彼の名を世界的にしたのは、昭和36.7年頃に封切られたアメリカ映画「ファニー」の原作たる、マルセイユ三部作で、「マリウス」「ファニー」「セザール」から成る。世界につながる港町マルセイユを舞台に、純情で陽気な娘「ファニー」の悲劇を軸に、人情にもろい庶民の哀感を描いた傑作(永戸俊雄の全訳あり、昭和37年刊、角川書店)。
映画と言えば、「愛と宿命の泉」もパニョル原作だ。ところで、3部作物がもう一つあって、それは「少年時代」なる総代の下、①父の大手柄、②母のお屋敷、③秘めごとの季節...で、佐藤房吉の全訳がある。(昭和51年、評論社)。そして、これを基にした映画「プロヴァンス物語、マルセイユの夏」とマルセイユのお城」がDVDとなったので観た。文字通りほのぼのした佳作。プロヴァンスの壮大な自然を背景に描かれる家庭生活の諸々が、ことごとく目新しく面白い”なつかしやパニョル”の思い一入(ひとしお)だ。
と言う訳で、今では誰も読まないであろうパニョルの作品を紹介しようと思うが、三部作2種は出したので、ちょっと毛色の変わった作品を出してみよう。それは「鉄仮面の秘密1 」。「鉄仮面」とは、フランス、ルイ14世の専制政治下、34年間もの長きを鉄の仮面をかぶさせられ、かの有名なバスチーユ監獄に幽閉されて、1703年11月19日死ん謎の政治犯。鉄の仮面というものの、実際には黒ビロード製の仮面だったらしいが、死後セント・ポール寺院の共同墓地に埋葬された、45歳位とみられるこの男の正体は何なのか。ルイ14世の私生児、英国チャールズ2世の落とし種のモンマス公爵、或いはルイ14世の大蔵大臣フーケetc.と諸説あって定説なし。
この話を最初に日本に紹介したのは、黒岩涙香の「鉄仮面」(旺文社文庫、1980)。涙香の種本はフランスの推理作家・ボアゴベ(1824?〜1891)だが、涙香の訳は再話的な自由訳だから、ちゃんとした(と言うと涙香に悪いが)訳なら長島良三訳、ボアゴベ「鉄仮面・上下)講談社文庫)がいい。と言う事で、なつかしやパニョルの」珍しや「鉄仮面の秘密」をお楽しみあれ!!
パニョルの映画は、心洗われるよき人々の物語だが、最近観たロシアの映画、ズビヤギンツェフ監督の「裁かれるは善人のみ」は恐ろしい映画だ。ロシア北部の町が舞台。自動車修理工が、先祖伝来の土地を市から」収容されそうになり、強欲・悪徳の市長を相手にモスクワから呼び寄せた友人の弁護士の助力を得て、徹底抗戦と出るが、結果はタイトル通り。政治権力と司法、教会と癒着は強固で、一善人如きの抗戦にはビクともしない。この映画、第72回ゴールデングローブ賞・外国語映画賞を初めとして、30余の賞を総ナメにした傑作だが、救いはどこにもない。けれど、考えさせる力はたっぷり持っている作品だ。見終わって諸所資料を読んでいてびっくりしたのは、監督が参考にしたものの一つがドイツ、ロマン派の作家、ハイリッヒ・フォン・クライスト(1777−1811)の中編小説「ミヒャエル・コールハースの運命2 」(1810年作)だということ。
クライストは近代写実主義の先駆をなした人だが、在世中は文筆の人として仲々認められず、失望して、不治の病に悩む人妻ヘンリエッテ・アドルフィーネ・フォーゲルと共に、ヴァンゼー湖畔でピストル自殺を遂げた。その「ミヒャエル・コールハース」は宗教改革時代、一人の博労が貴族の横暴に反抗して破滅する話だ。私がびっくりもし、感嘆もしたのは古典の持つ力だ.200年も前の作品が、今なお一人の映画作家にヒントを与えて傑作を生ましめる、その力だ。
昔、手塚富雄の訳で読んだなあと」思いつつ、書庫に入ったが、如何なる訳か見つからぬ。仕方ないから、同じ手塚富雄訳の「アンフィトリオン」を出しておくこれモリエールの戯曲の翻案。
6月初旬のニュースで、二松学舎が夏目漱石没後100年を記念して漱石のアンドロイドを作ると知った。漱石が二松学舎の前身の漢学塾で学んだ縁からという。作るのはアンドロイド(人造人間)研究第一人者、大阪大学の石黒浩教授との事。顔つきはデスマスクから造り、声は孫のマンガ家・房之助の声でいくという。私はロボットに関心がないから、この話、へえーと思うだけだが、声と言えば、昭和60年4月に漱石の声を録音した「鑞管(ろうかん)レコード」が広島で見つかった事がある。ナンデモ、1905年(明治38年)東京は文京区本郷の漱石宅で録音した由。持っていたのは広島加計町の旧家の息子で、当時東大英文科の学生だった加計正文の息子の慎太郎。明治38年というと「猫」執筆時で、これを北大で再生することとなった。
すると是非欲しいという人が出てきて、それはロンドン漱石記念館の恒松郁生館長。この記念館は昭和58年8月末の開館で、館長の恒松は、この時ロンドンに事務所を構える旅行会社の代表者で、後に熊本の崇城大学教授。ところが、この記念館、最近(切り抜きはみつからず...で最近にしておく)閉館となった。惜しいことだが、何か事情があるのだろう。そこで恒松の本もあるが、今回は開館式に招かれて挨拶した、出口保夫の「ロンドンの夏目漱石3 」を出す。清水一嘉の「自転車に乗る漱石-百年前のロンドン4 」(朝日新聞社)もいい本だ。
ロンドンと言えば、9月4日、1666年9月ロンドン大火を記念して当時のロンドンの街並みを再現した120mの模型に火が付けられた.350年前のこの火事、9月2日未明でパン屋が火元。
報告を聞いた市長が、「ふん、女一人の小便で消えるだろう」と軽く見たのが災いして,13,000家屋が消失、25万人が家を失い....でおかげ(というと、ヒンシュクされそうだが)で、ロンドンは近代都市に生まれ変わった。〜と言ったようなことに関心があって、多少ひまな人に勧めたいのが、名著「ロンドンーある都市の伝記〜5 」(クリストファー・ヒバート著・横山徳爾訳)。