2017.3月寄稿
私は去年11号の「司書独言」で、図書館の民間委託について、愛知県田原の森下元館長の「受託企業は人件費の抑制で利益を生んでいる」との言を紹介した。これに関する事だが「トップランナー方式」なるものがある。民間委託などでコストカットを進めた自治体経費水準を交付税算定に反映するものだ。日本図書館協会はサービス低下や職員の非正規化、低賃金化につながるとして、この方式を導入する事に反対するとの見解を去年発表している。この点について、2月23日の衆議院総務委員会で高市早苗総務相は、「図書館・博物館・公民館・児童館の管理業務へのトップランナー方式の導入は、専門性の高い職員を長期的に育成、確保する点でなじまない」とし「今後もすぐに導入できる状況にはない」と言い,更に文部科学省の神山修審議官が「同制度を導入した場合、施設の機能を十分果たせなくなる懸念がある」と述べた(下線山下)。当然だ
話を戻すが、釧路や苫小牧では図書館が民間委託となった結果、非正規職員の給料が大分減らせれ、そのため非正規職員が定着しないとの声が聞こえてくる。
行政は直営を止めて委託する事で「人件費を減らすメリットがある」と言うだろうが、これでは逆に行政が職員=市民の貧困化に一役買っているようなものであるのではなかろうか。
この点を片山善博・元鳥取県知事の言を借りて言い換えると、「指定管理方式によって公の施設を民間事業者に委ねると、そのコストを軽減できるので,自治体に取ってメリットがあるといわれる〜ではどこでコストを削減しているかと言えば、図書館の場合であればもっぱら人件費である」で単価の低い非正規職員が指定管理では一般的であるから、「~官製ワーキングプアの例の一つとして、しばし引き合いにされるのが指定管理業者のもとで働く図書館スタッフたちである。〜本来若い人にとって魅力ある司書の職を自治体が指定管理を通じ,自ら率先して魅力の薄い職に貶めているように思えてならないのである」〜等々(下線山下)
「定数削減」なる目的達成のために、職員定数には算入しない非正規職員を、正規職員よりはるかに低い給料で雇い、しかも正規と同じ仕事をさせるというのは、没義道(人格を全く無視した行為)極まる話ではないか。
ここに、永年「図書館は直営するのが本筋」と主張する片山義博と糸賀雅児の「地方自治と図書館1 」が出た。片山は序文で「〜自治体の運営に当たる人たちの間で、図書館の持つ役割やその重要性に対する認識が極めて乏しいと感じられる〜と言う。「外部委託には人件費削減のメリットがある」なんて馬鹿なことを言って、図書館の存在を無にするような暴挙を避けるためにも、市長・教育長他、市議の面々にも一刻も早く目を通して欲しいい本だ。図書館を殺すのは行政〜ナンテナー無残な話になってほしくない。因みに、市民の反対を押し切って市立図書館にTSUTAYA を引っ張り込み、自分はTSUTAYA系列会社社長に収まった佐賀の武雄市の桶渡啓祐・元市長は、佐賀の「橋下徹」と呼ばれた男だ。念頭にあるのは「自分の利益」のみと言う、こういう手合いには図書館を委ねてはならない。高市ですら、あるいは高市でさえが、図書館にはなじまないとするトップランナー方式なんてものに市長と財政が振り回されて、あげく非正規更に下回る給料となる民間委託の貧困労働者(ワーキングプア)を生むべきではない。
三浦綾子の「母」を基とした映画「母、小林多喜二母の物語」が各地で上映され始めているようだ。母親役は寺島しのぶだと言う。
昭和8年2月21日の朝日新聞(夕刊)に、多喜二が取り調べの最中に苦悶したので築地病院へ搬送したが、心臓麻痺で死去したとの記事が出た。この取り調べなるものが特高による拷問だったことは今では誰もが知っていることだが、遺体は、築地署に駆けつけた大宅壮一や江口渙らによって小林家へ運ばれた。この時、デスマスクを制作したのは千田是也、死に顔デッサンを描いたのが岡本唐貴。遺体の解剖を要請して帝大・慶応大・慈恵医大などを走り回ったのが役者の佐々木孝丸。そして翌23日、葬儀への参列を警察から許可されたのは親族以外は佐々木と江口渙(作家)だけだった。
佐々木を今役者と紹介したが、明治31年(1898)1月30日に、北海道は標茶町で生まれたこの人は、何とも定義しがたい不思議な人生を送った。その不思議の一つが、1871年3月のパリコミューンの時、ウジェーヌ・ポティエの詩にピエール・ドジェーテルが曲を付けた革命歌「インターナショナル2 」を日本語訳したことだ。仲代達矢主演の「人間の条件」や吉田満原作による「戦艦大和」にも出た、この不思議な俳優の伝記が出た。こういう人生もあるか!!
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去年12月イギリスでの出来事。英国東部ノーフォーク州にあるノースウォルシャム高校に女性の卒業生が来て、高校時代に借りていた本を返したいーとて、19世紀のロバート・ルイス・スティーーヴンソンの「旅はロバを連れて」を返したーと。63年ぶりの返却されたというこの本も、私は小沼丹「旅は驢馬をつれて3 」(角川文庫)で昔面白く読んだ。南仏の旅行記だ。私の本棚には遠藤敏雄の「R・L.Steveneonの文体」(研究者)なんて七面倒くさい本もあるが、いい機会だから,すこぶる良くできた彼の伝記を出そう。よしだみどりの「物語る人ートゥシターラー4 」だ。中島敦がスティーブンソンを語った「光と風と夢5 」は無論いい本だが、よしだのこの本も実にいい。よしだにはもう一冊スティーーブンソンの「子どもの詩の園6 」(白石書店/2000刊)なるいい訳本がある。どちらも読んで楽しい。
安倍の「国際戦略特区」案で今治市の「加計学園」が妙なことになっていると知って、紹介した本がある。施三恒(せみつひさ)の「英語化は愚民化〜日本の国力が地に落ちるー7 」がそれ。これ、「公用語を英語とする英語特区をつくる」なる安倍の目論見に、徹底して反論する警世(けいせい)の書だ。社内の公用語を英語化した楽天やユニクロ、授業を全て英語で行う秋田の国際教養大学や東大の理学部化学化のやり方は本当に正しいのか。英語を最重要視する考え方は日本をかつてのインドフィリピンのような植民地にしてしまう危険はないのか。「言語帝国主義」なる言葉もある時代だ。英語しゃべってトランプにお手をしてその手をデカイ手でよしよしされて喜んでいる場合ではないよね。じっくり考えるべき問題だと思うがね。